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算数障害じゃないのに…得意教科との差は80点以上、計算ができないのはASDの特性の影響で…!?

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とにかくできなかった算数、数学


私はとにかく算数や数学が苦手で苦手で、苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。

文字を見ているといくらでも発想が広がっていくような楽しさがあるのですが、数字を見ているとまるで頭にモヤがかかるような感じがするのです。

図形を扱う幾何や、ベン図などを扱う論理数学のような分野はまだ楽しいのですが、ともかく「計算」ができない。

小学校のころに習う「つるかめ算」「植木算」などといった、本来計算を簡単にこなすためのはずの方便も頭がこんがらがってうまく覚えられませんでしたし、九九もいまだにあやふや。2ケタ以上の暗算はお手上げです。

中学以降に習った方程式の立て方なども記憶が真っ白で、大人になった今となっては、一次方程式の立て方やパーセントの出し方も分からない状態です。

小学校のころには国語で学年トップ、算数で学年ビリ、2教科平均でちょうどまんなかという「伝説的成績」を叩き出しました。高校のころには英語が満点近いのに、泣きながら吐き気を覚えながら必死で勉強した数学が13点で、英語と数学の点数差が80点以上だったことも…

なぜ私は算数・数学が苦手だったのか?


なぜ私はこんなにも算数・数学が苦手だったのでしょうか?

30歳を過ぎて発達障害の診断を受けてからは、学習障害のひとつの算数障害があるのだろうと思っていましたが、40歳ごろに受け直した知能検査のあとの説明で、心理士さんから「数の処理は平均程度。
算数障害と言えるような値ではない」と言われました。

ただ同時に、「単純な暗記や、単純作業を正確にこなしていくのが苦手。理屈や意義が見いだせないことにはモチベーションが上がりにくい」とも言われました。

私は暗記する分量の多い歴史科目も苦手でしたし、算数・数学の中でもとりわけ計算が苦手でした。こうした傾向は、「暗記」「単純作業を正確にこなしていく」の苦手に当てはまると思われます。

確かに私はいくら練習しても九九がなかなか覚えられませんでしたし、計算のときには不注意による計算ミスが目立ちました。

これに加え、私には「手書きで文字を書くのが苦手」という要素もありました。頭の回転に手の動きがついていかず、雑で読みにくい字になるので、手書きで計算式を書いていると途中で訳が分からなくなってしまうのです。
特に桁数の多い足し算引き算などには顕著でした。

教科担任制と、書字障害向けの学習支援が取り入れられていたなら…


私にとって、算数・数学は小学校時点で「意義も理屈も分からない苦痛なだけのもの」になってしまっていました。

苦痛になった理由の一つとして思いあたるのは、私が小学校の早い時点で教師にぶつけた疑問にきちんと答えてもらえず、まるで私が悪いかのように理不尽に叱責された経験です。

「算数・数学はなぜ勉強しなくてはいけないのか。生きていくうえでなんの役にたつのか」
「つるかめ算はどうしてこういう仕組みになっているのか。なぜ、これとこれをこうするとこの値が出るのか」
「分数を分数で割るとはどういうことなのか。また、どうして分母と分子をひっくり返してかける決まりになっているのか」

こうした疑問に担任の先生はなかなか答えてくれず、繰り返し訊いているうちにどんどん不機嫌になって「ともかくそういうことになっているんだ!」「屁理屈をこねて大人をバカにしているのか!」「なんてひねくれた性格の子なんだ!」などと怒鳴られるのです。

いま思えば、当時の担任たちは私の質問したようなことについて興味がなく、そういうものだと捉えて疑問に思ったことがなかったり、知らなかったりしたのかもしれません。
それを私が繰り返し質問するものだから、ついあのように怒ってしまったのだと思います。

彼らは数学の専門家ではないのだから、知らない・分からないならそれも仕方ないのだと今は思います。ただそれなら「先生も詳しい理由は分からないんだよ。でも、とりあえずこうすることが一番便利だからこういうことに決まっているんだ」などという言い方をしてもらえたら、私も繰り返し質問することはなかったと思います。

小学校も教科担任制になって、算数には数学を専門に学んだ人が教えてくれたならと思います。数学の専門家は数学の深い理論や、数学の世界でいま何が分かっていて何が分かっていないかを知っているから。彼らは、算数を学んで知識と技術を積み重ねていくことの意義や面白さについて語れるし、算数を教えることへのモチベーションも高いはずです。

また、もし当時から書字障害への理解・学習支援があったなら、私はもっと楽しく算数・数学に触れられただろうと思います。


私は中学のころ、数学のノートがあまりに汚いというので数学の先生に「やる気や教師への尊敬が足りない!」と叱責され、反省文まで出させられたことがあります。気持ちの問題ではない、どう頑張ってもできなかったのに…。

努力してもきれいにノートが書けない子がいるという理解が浸透していてほしかったし、学習障害のある子にも使いやすいノートやタブレットPCなどのツールがあったならと思います。

算数・数学への苦手意識を抱えながらも


算数・数学が苦手であることは、私の人生にとって結構な損失だったと思います。

理系科目が好きで理系に進みたかったけれど、大学受験で数学が必須になるというので泣く泣く諦めた経緯もあります。哲学にも興味がありましたが、入門的内容に触れるうちに「これは数学の素養がないと無理だ」と気づいて諦めました。

けれど、最近は日常の簡単な計算だけでなく、統計をとるのもなんでも、計算自体はうまく設定しさえすればすべてPCがやってくれます。私はこれから福祉系の大学院の修士課程に進む予定なのですが、研究上必要な統計調査の計算自体はPCに任せるか、得意な人に頼んでやってもらおうと思っています。


算数・数学が苦手なことには変わりありませんが、苦手の中身を分析できたことでだいぶ乗り切りやすくなったと感じています。たとえば、理屈なら大丈夫なので、同じ統計調査でも、どんな統計調査で何を調べるのかといったあたりの理解はできる。でも実際の計算処理は私には困難である、とか。

そんな分析や振り返りの中で一歩ずつ前に進みながら、算数・数学に関して傷ついた自分の心を癒やしていっています。

文/宇樹義子

(井上先生より)

「なぜ学ぶのか」が納得できないと勉強に取り組めないお子さんは一定数存在します。学校の先生は、そうしたときに学ぶことの意義やメリットを説明できる力が必要でしょう。

人間は本来、興味を持ったことに対しより深い学びをしたいと感じるものです。好きなこと、興味を持っていることに絡めて教科学習に入っていけると、モチベーション高く取り組めると思います。


例えば、インターネットゲームで海外の人とのチャットが必要となり英語を学ぶモチベーションとなったお子さんや、株取引に興味を持ちそのために数学を学びなおした人などもいます。

高校で選択制カリキュラムとなり、苦手教科から解放されたと感じた人もいるのではないでしょうか。大学などの研究分野でも、専門分野や得意分野を担当する分業制は珍しことではありません。平均的な学力で進路を選択しないで済むように、入試制度なども変化していくといいと感じています。

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