ノートを見て「やる気がない」と激怒され。成績がいいのに不器用すぎた発達障害の私、先生に嫌われた学生時代由
あまりにも字が下手
私は字を書くのが苦手でした。字をきれいに書くことができず、きれいに書こうと気をつけるとやたら時間がかかってイライラする。算数でノートの計算式がだんだん歪んでいって桁がわからなくなり、盛大に計算ミスする。
私は手書きのノートで勉強するにあたって常にイライラしていました。その理由が当時は思い当たらず、自分のフラストレーションについて言語化もできず。ぼんやりと、皆こうして我慢しているものだと思っていました。
あまりに球技ができなかった
苦手な体育の中で特に苦手だったのが球技です。ともかくボールが怖い。
ボールをよく見ろ、逃げるなと言われても、ボールを正しく「見る」というのがどういうことなのかわからないし、必死に目をひんむいて見ようとしたところで、怖くて反射的に目をつぶってしまう。自らボールを迎えにいけと言われても、やはり身体が勝手にボールを避けようとします。そんなこんなで、いくら練習しても、投げられたボールが取れない。
ボールを力いっぱい投げても飛びません。ボールに的確に力がかかる方向に投げる動きができないのです。たとえば理屈で「◯度の角度で投げろ」「ボールがここに来た瞬間に手を離せ」という感じで説明してくれる人はおらず、ともかく「真面目に」「本気で」「やる気を出して」やれと叱咤されるばかりでした。
同級生からのいじめ、先生からの叱責
苦手な体育の種目は球技ばかりではありません。走るのも遅くて走り方が変、長縄が怖くていつまでも入れない。
小学校時代は、ドッジボール、リレー、長縄などのクラス間競争で「お前のせいで負けた」「真面目にやらないからだ」とクラスメートから罵声を浴びせられる。突き飛ばされ、動きを真似されて笑われる。私の身体の不器用さは、私をいじめるための格好の理由になっていました。
身体の不器用さにまつわる私の苦難は、中学生になっても続きます。中学生の頃、あるとき数学の先生が私の数学のノートを見て激怒しました。「こんなに汚く書くのには悪意があるに違いない。私をバカにしているのでしょう」と言います。
私は心底驚きました。
そんなふうに捉えられるなどとは思ってもみなかったのです。「いや、もともとノートを書くのが苦手なうえに数学が苦手なので、苦痛でこうなってしまうだけです」と説明しましたが、先生の怒りは治まらず。結局、反省文の提出を要求される事態にまで発展してしまいました。
いま思えばこれらのできごとは30年前後前、発達障害について世間的な認知のない頃のこと。私はほかの教科の成績はよかったし、ともかく口は立ったので、特定の教科・特定のことだけ苦手かもしれないことに、クラスメートも先生も思い至らなかったのかもしれません。
私としては精一杯頑張っているつもりなのに、悪意で手を抜いている、性格が悪いと解釈されるのです。私はこうしたできごとのせいでかなり傷つきましたし、どうしてわかってくれないのかと怒りも覚えました。そうしたモヤモヤの理由も、持っていきどころもわからず…。
ITとの出会い、発達障害の自覚
しかし、私は30歳を過ぎてようやく自分の発達障害を知ることに。発達障害者には字がうまく書けなかったり運動が苦手だったりする人が多いこと、その理由のひとつは協調運動障害(DCD)といって、頭の中のイメージと身体の動きが一致しなかったりすることによる身体の動きの不器用さだと知りました。
私は初めて、自分が手書きのノートに対して長きにわたって感じていたフラストレーションの原因を知ることになりました。そうなのです。「頭の動きに手の動きがついてこない」感じ。頭の中でイメージしていることを手が思ったように出力してくれない、手が思考を出力するボトルネックになっている。そんな感じだったのです。
そして、手の動きがボトルネックとならなければ、持ち前の頭の回転を存分に生かせるのが私でした。
私は大学に入ってからタッチタイプを習得し、いろいろな文章をワープロソフトで書いていくようになりましたが、その小気味いいこと。考えると同時に手が出力してくれる、何にも邪魔されない感じ。どれほど雑にタイプしてもきれいに整った字で出力してくれるワープロソフト。今の私の生産性は確実にワープロソフトに支えられています。
その後はPCをはじめ、さまざまなITを活用して自分の苦手をカバーしています。
表計算ソフトを使えばきれいな表の作成や苦手な計算も思うまま。買い物メモは手書きだとあとで自分でも読めなかったりしてミスのもとなので、スマホで入力したり、スマートスピーカーと買い物リストを連携して音声入力したりしています。
運動も、身体を動かすこと自体は好きなのだと気づいたので、ゆったりしたヨガやゆっくりめのダンスなどを日常的に楽しんでいます。
使えるツールは使って「本人の楽」を大事に
私の人生は、自分の苦手を把握し、苦手をカバーしてくれるツールと出会ってから格段に楽になりました。要らぬトラブルやストレスが減り、それまで誰も知ることのなかった本来の能力を発揮できるようになって自己肯定感もアップしました。
私が子どもの頃には発達障害の世間的認知もなく、今のようなITツールも存在しませんでした。しかし、いまの子どもたちにはこれらの両方があります。いまの子どもたちにはぜひ、こうした環境を存分に享受させてあげてほしいと思います。
障害のあるなしに関わらず、人にはそれぞれに苦手なこと、頑張ってもできないことがあり、それはツールで乗り越えられるならどんどん乗り越えていけばいいのです。
文/宇樹義子
(監修者・鈴木先生より)
発達性協調運動症(発達性協調運動障害)は不器用さが根底にあり、球技が苦手だったり、字の上手く書けないことが多いです。ただ、ADHDの治療をすすめ、集中できるようになると字がきれいになったり、シュートが入るようになったりする人も多いのです。
日本では根性論的な指導をされることが比較的多いのに対して、野球が盛んなアメリカではリトルリーグ時代から何度の角度で投げればいいなど具体的に教えてくれます。発達性協調運動症(発達性協調運動障害)のある人は、周りの理解がないと責ばかり受け、自尊心が落ちてしまいがちです。感覚統合訓練や音楽療法が訓練法としてお勧めです。宇樹さんが行っていたダンスは音楽と感覚統合が組み合わさっているのでとてもいい方法だと思います。
字が上手く書けなくても、今はPC等ITツールも普及しており、それに救われる人も多いのではないかと思います。書字障害のある方も学校でPCやタブレットを用いることでいじめや叱責から逃れられています。みんなと一緒でなくてもいいのです。