親なきあとの、重度自閉症の兄と私の人生。私だけ自由で申し訳ない…複雑な想いで迎えたはじめての面会
「親なきあと」の準備から「親なきあと」になるまでの話
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私の母はもともと「生活保持義務」や「生活扶助義務」について私に責任をもたせる意思はなく、親なきあとの成年後見人についても、母と母方の親戚の間で、叔父(母の弟)にお願いすると決めていました。
兄が20代前半のときです。
母の持病が悪化してしまい、重度の知的障害のある兄を育てることが難しくなりました。そのため私たち家族は、兄のこれからの人生を障害者支援施設で送ってほしいと願い、入所するための準備をしました。
入所を希望する施設には、同じ社会福祉法人が運営している共同作業所が隣接しています。その作業所は以前から兄が通っていたところで、障害者支援施設に入所した方も利用しています。そのため、仮に施設入所が決まった場合でも、兄の環境の変化が少なく済みます。
私は、こういった「親なきあと」の母の意向を早めに知ることができたことは、とてもありがたかったです。
私は当時高校生でしたが、「兄を含めみんなが自分らしい人生を送れるのでは」と安心したのを覚えています。
それから4〜5年ほど入所を待っていたと思いますが、たまたま空きが出て、施設の入所が決まりました。
現在は、施設でお世話になり始めてから18年ほど経ちました。
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5年前に母は亡くなったのですが、当初の予定通り、叔父が兄の成年後見人になりました。主に母方の叔父や叔母たちが施設に面会に行ったり、ときどき外食に連れて行ってくれたり、物資の調達、医療や支援などの協議、財産管理などをおこなってくれています。
私は実家から500キロ離れたところに住んでおり、4人の子どもたちもまだまだ目が離せないので、兄の身の回りのサポートをするのは難しいです。そのため、兄の身の回りのサポートをしてくれている母方の親戚には頭があがりません。
コロナ禍で直接会うことは難しい…施設長が提案してくれた「WEB面会」という方法
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わが家の末っ子が5歳を迎えたころ(昨年)少しだけ子育てにかかる時間に余裕ができ、久しぶりに兄の入居する施設に電話をして、兄の様子について聞くことにしました。
電話をとった方は施設長でした。
施設長は、養護学校(注:現在は特別支援学校)卒業後に通っていた作業所で働いていた方で、兄との付き合いはかれこれ30年近くになります。
「(亡くなった)お父さんもお母さんもよく作業所に来てましたよ」と昔話に花を咲かせているうちに、施設長から「よかったら、WEB上でお兄さんと面会しませんか?」というご提案をいただきました。私がなかなか会いにいける状況ではないこと、さらにはコロナ禍で実家にすら帰ることができないという事情を知った上で提案していただきありがたかったです。
さっそく施設長の厚意に甘えさせていただくことにしました。
電話を切って最初のうちは、私はうれしい気もちでいっぱいになりました。ですが、時間が経つとだんだんと、言葉には言い表せない複雑な感情が芽生えてきました。
私が面会することで、兄の情緒が不安定になってしまわないか?という不安
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私が直近で兄と会ったのは、5年前。
母の葬儀のときに兄が支援員さんと参列したときです。
そのため、そもそも「あまり会いにこない妹のことを兄は覚えているのか?」といった疑問をもちました。
また、このような不安もありました。
「仮に妹のことを覚えていたとして、私と面会することで、兄の情緒が不安定になってしまわないだろうか?」
兄はもともと情緒が不安定なときに、耳を抑えてうなることはありましたが、癇癪などで表現することがないので、周りに兄の気持ちの変化などがなかなか伝わりません。また、自分の感情を言語化することができません。そのため、私は兄の本心を知ることができず、兄が今までどんな気もちで「親なきあと」の生活を送っていたのか分かりません。
ただ、私が知っている事実は、「兄は母の死を今も理解できていない」ということです。
母が亡くなったあと、施設の職員さんは兄に「お母さんは、もう会いにこれないって言ってたよ」「天国ってところに行ったんだって」と伝えてくれていました。
それからというもの、兄は時折「おかあさん、テンゴクにいった」と、笑顔で独り言を言っているのだそうです。テンゴクはどんなところなのか?
なぜテンゴクにいったのか?
なぜテンゴクにいくと会いにこれないのか?
そこは理解してはいないようです。
心の底で兄は、母が面会に来なくなったことを、悲しんでいるのではないだろうか?
いつか来てくれるだろうと待っているのではないか?
もしそうだとすれば、私(家族)が面会することで、「母に会いたい」と思い、情緒が不安定になってしまわないか?
不安定にさせてしまうのであれば、「兄に会いたい、話したい」と私が思うのはただのエゴなのではないか?
そういった複雑な気もちが芽生えました。
外の世界で、兄とは別の人生を送っていること、自由に行動できることへの罪悪感
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また、私にはこのような感情もありました。
5年前に母が倒れたときに、危険な状態だと知り、私は現在の家族(主人と子どもたち)と一緒に実家のある大阪へ向かいました。2週間ほど滞在し、毎日出来る限り付き添いましたし、意識のあるうちに子どもたち(孫)に会わせることもできました。
ですが、重度の自閉スペクトラム症と知的障害のある兄は自分から母に会いに行くことはできません。母の命をつなぐ処置が施されている病室(ICU)に、多動の強い兄を連れていくことはできないと思いましたし、母方の親戚も同じ考えだっただろうと思います。
私はこういった「私(きょうだい)は外の世界で、兄とは別の人生を送っている」「私は重要な場面で、自由に行動ができる」という事実を考えると、兄に対して申し訳なさに似た気もちがありました。
兄はそういった状況を理解しているわけではありませんし、望んでいるわけではありません。「申し訳ない」と罪悪感を持つのも私の気もち次第ではあるのですが…。
複雑な気もちを抱えたまま面会。笑顔の兄を見てすっかり気もちが楽に
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昨年の11月に、いよいよ兄と会う日がやってきました。私は自宅のリビングで、兄は施設の事務所から、画面を通して面会しました。
始めに兄のケース担当の方と話をして、5分ほどして兄がニコニコしながら事務所に入って来るのが見えました。私は「Yくん(兄の名前)!」と声をかけました。
最初は目があったのですが、スルーされました。
どうやら事務所は普段入ることができない場所のようで、兄は目をキラキラと輝かせながら事務所にあるものを手にとっては戻し、手にとっては戻しを繰り返していました。
その様子を見て、今まで私にあった不安な気もちが消えました。多動の強い兄の行動や表情は、一緒に住んでいたときと同じだったのです。
「Yくん、この人誰?」と私自身を指さして聞いてみました。すると、私の方を見てすぐ、「カズちゃん!」とニコニコしながら答えてくれました。そして、また先ほどと同じように周りを気にしていました。
妹の私を覚えているのもうれしかったですが、なにより、妹よりもまずほかのことに目を向けて楽しそうにしている兄を見て、安心しました。
家族(私)を気にしている様子があるのなら、それは「母が来なくなって今も寂しい思いをしている」ともとれるのではないかと思ったのです。
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そのあと、兄のケース担当の方から、最近の兄の様子や生活について詳しく聞くことができました。その話から兄にとっての「自分らしい生活」が送れていると感じましたし、担当の方にあたたかく見守っていただけていると感じました。
面会の時間は1時間ほどだったのですが、終わるころにはすっかり私の心は軽くなりました。
「Yくん、がんばってね。また会いに行くからね」と伝えると、兄は「うん、うん」とうなづきました(言葉は理解せずともあいづちをうってくれました)。
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ここ数年、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、入居している障害のある人の家族は面会が思うようにできないという話を聞きます。
そういった中でWEB面会が今回できたのは、コロナ禍であることが要因の1つかも知れませんが、私のように実家から離れて生活をしているきょうだい、家族にとっては、とても貴重なよい経験でした。
現在は2〜3ヶ月に一度施設に電話をして、兄の様子を聞いたり、兄が好きなお菓子を送るようにしています。今はまだそういったことしかできませんが、10年後にはまた違った関わり方ができるようになると思います。はじめに提案してくださった施設長には心から感謝します。
執筆/スガカズ
(監修:三木先生より)
「親なきあと」は本当に難しい問題ですよね。どういう方法や状態がベストなのかは、その人によっても違ってくると思います。そして、相当な悩みと葛藤を過ぎたあとでないと、「これでいいのかな」と思えないこともよくあります。お兄さんのコンディションや反応がどうであったとしても、そのとき、そのときを過ごしていくことで、お互いに安心できる状態になっていくのかもしれませんね。