「小5まで障害に気づけなかった」私は保護者失格?療育につなげられなかった母の後悔、軽度知的障害、ASD、場面緘黙のある娘とのこれから【専門家によるアドバイスも】
小5で障害の診断。「どうしてそんなに発覚が遅かったの?」という言葉が心に刺さり…
わが子に軽度知的障害、ASD、場面緘黙などがあり、その診断を受けたのが小学5年生だと他人に伝えるとよく言われるのが「どうしてそんなに発覚が遅かったの?」という言葉です。親戚にも、見学に行った中学校の先生にも言われました。その人は純粋な疑問で聞いているのかもしれないのですが、私の心にはチクリと刺さります。子どもがこの年齢になるまで障害に気づかないなんて保護者失格じゃないかと言われている気持ちになるのです。
でも実際のところ、小学4年生のころに担任の先生から勧められるまでわが子に発達検査が必要だと感じたことがなかったのです。ゆいが人と話すことが苦手なのも、勉強が苦手なのも個性の範囲だと本気で思っていました。この特性は家庭で過ごしている分には問題を感じないので、私の交友関係が狭く、同い年の子どもたちと比べる機会が少なかったのも影響があるかもしれません。
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このようにとてつもなくずぼらな私ですが、ゆいが生まれたころは育児雑誌をよく読み発達のことを気にしていました。
やはり第一子ということで少し神経質になっていたと思います。ですが、当時ゆいには特に心配になる遅れはありませんでした。母子手帳の年齢別ページの「できること」を確認しても、特に引っかかる項目はなく安心していました。
このように最初は私なりに気を配っていましたが、ゆいが3歳くらいになると気が緩んで「健康ならそれでいいか」と思うようになっていました。発達に関して全く気を配ることをしなくなっていったのです。そのころから感じ始めたゆいの人見知りの強さも「恥ずかしがり屋さんなのね」といった程度にしか感じていませんでした。ここでピンときていたら、療育につなげることができて何か変わっていたのかもしれません。
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勉強の遅れが目立ち始める
ゆいは小学2年生の終わりころからテストの点が取れず、勉強が苦手な子なのだなと感じるようになりました。
もしかしたらこのタイミングで子どもに何かあるのかもしれないと気づく方も多いのかもしれません。けれども私はお勉強系の習い事をさせたり励ましたりするだけで、ゆいを発達検査に連れて行こうとは思いつきませんでした。
ある人に言われた「小学校低学年の子がテストで80点以下を取ることはめったにない。そこでなぜ知的発達に何かあると気づかないの」という言葉は、今でもナイフのように私の胸に刺さって抜けません(もちろん80点以下を取っていたとしても障害のない子どももいると思います)。
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これからのこと
このように私が子どもの発達の遅れに気がつくのが遅れたことで、幼いころに療育につなげることができず、結果ゆいにはつらい思いをさせてしまいました。勉強はどんどん難易度が上がっていき、通常のクラスで勉強していくことはとても気疲れしたと思います。
反省点はたくさんありますが、過去に戻ることはできないので、これからは先のことを考えていきたいと思います。少しでもゆいが快適に生きていけるように、周りの人の手を借り相談しながら進んでいこうと思います。
執筆/吉田いらこ
(監修:初川先生より)
いらこさんご自身の、ゆいちゃんの発達の遅れに気づくことが遅くなってしまった経緯と思いをシェアいただきありがとうございます。周りを巻き込むような行動面の大きな課題(例えば、授業中どこかへ行ってしまう、トラブルになりやすくお友達に手が出てしまうなど)がなく、学校や日常生活の枠組みに入り、それなりに過ごせていて、学習面やコミュニケーションで苦手さやおとなしさがあるという場合、たしかに発達の遅れに気づきにくい面はあります。おとなしく、そして静かに困っているお子さんはなかなかそのつまずきが見えにくいです。
周りの大人が「どうしてもっと早く気づかなかったの?」と素朴な疑問を何の気なしに口にされると、「(今となっては)もっと早く気づいてあげたかった」と思っているいらこさんにとっては刺さりますね…。小学校低学年の学習の単元確認テスト(いわゆるカラーテスト)は、たしかに満点や高得点を取るお子さんがかなりの数います。なので、そこで点数がふるわない場合、「おや…?」と思うきっかけになる面はあります(とはいえ、学習のつまずき、テスト場面での集中が難しかった、興味関心のムラが大きいなどさまざまな可能性が考えられるので、あくまでも、「何らかのつまずきがあるかも、そのあたりよく見ていくと良さそうだ」というサインだと捉えるとよさそうです)。お子さんの学習に対して、その到達度や定着をどのくらい求めるかは、保護者の方によってさまざまであると相談場面を通して感じるところです。学習が苦手なのは個性の範疇だと捉える方もいらっしゃれば、少し間違えるだけでもお子さんに厳しく指導されたり、とても心配されたりする方もいらっしゃいます。
一般的に、学習の遅れを見つけたらかなりの量の勉強をさせたり、厳しい声掛けをされたりすることが多く、厳しく教えたら誰でも勉強ができるようになるわけではないですが、結果的にお子さんになかなかの負荷がかかってしまうことが懸念されます。
まずはお子さんの知的発達の特性を知って(検査に限らず、どういうときにどう間違えやすいかについて情報を集めて傾向を見ることから始めましょう)、お子さんに合う学習方略を検討できると望ましいですね。
いらこさんの大らかな眼差しによって、おそらくゆいちゃんは救われてきた面もあると思います。ただ、いらこさんも感じているように、ゆいちゃんは静かに困っている場面があり、そこに早く手立てを取ることができなかった面もあるのかもしれません。子育ては、自分とは別の人(子ども)をどう健やかに育てるかという課題で、どれだけ考えても理解が及ばない(気づくことができない)領域はあります。そういう意味で、お子さんへのまなざしを固定することなく、学校の先生などお子さんに関わる方に、その方から見るとお子さんがどう見えているかについて聞いてみる(多角的にお子さんを見る)、そして、お子さん自身に折々に困ったことがあるかを聞いてみることは、自分が気づけていない視点に気づくための方法として持っておくとよいかもしれません。
いらこさんは「もっと早く私が気づいていたら」と後悔される気持ちも強いようですが、これまでのゆいちゃんの育ちにはうまくいっているところ、ちょっとつらいところどちらもあるはずです。誰しも満点の子育てはできるものではありません。
「いつ気づくか」よりも「気づいてからどう理解してどう手立てを取るか」のほうがよほど大事です。ゆいちゃん本人の思い、先生方の視点、家庭での様子やこれまでの育ちを誰よりも知っている保護者ご自身の視点を活かしながら、ゆいちゃんの充実した学校生活のためにできることをしていきましょう。