小5娘の不登校は「母親が甘すぎる」から?「別居を考えている」と夫に伝えるとーー理解してもらえないつらさから感じた限界【ユーザー体験談】
娘の不登校を相談すると夫は
わが家の長女は小学5年生です。小4のときに受けた知能検査でASDの可能性があると言われ、現在は不登校を選んでいます。ほかに、1年生で場面緘黙(選択性緘黙)がある次女と、登園渋りのある年中の長男、わたしと夫の5人家族です。
夫はいつもは優しくて真面目な性格ですが、ときどき高圧的なことがありました。仕事であまり家にいないので娘と過ごす時間が少なく、さらに娘と遊ぶのが苦手でいつも距離のある接し方をしていました。それでも夫にとっては「かわいい娘」だったと思いますが、その愛情は娘にはまったく伝わっていなかったようです。
小4の6月、娘が教室へ登校できなくなったとき。夫は「母親が甘すぎるから行かないのではないか?何とかして学校へ行かせるように」と言いました。
私は「学校へ行かないならゲーム・スマホ禁止」と伝えて何とか行かせようとしましたが、どんどん娘は表情がなくなり、「自分の対応が間違っているのでは?」と感じるようになりました。
スクールカウンセラーの先生に相談して7月から保健室登校を開始しましたが、夫はまだ、私の対応が甘いせいで不登校になっていると考えていたと思います。
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夏休みに帰省し家族に相談すると
夏休みに入り気分転換をしてゆっくり過ごそうと、車で4時間ほどのところにある私の実家へ子どもたちと私だけで帰省をしました。
振り返れば、私が付き添わなければ登園できない場面緘黙(選択性緘黙)のある次女の対応で精一杯の3年間でした。それに加えて、長男も不登園になり始め、長女も不登校に…。コロナ禍で実家を頼ることができず、肉体的にも精神的にも、私一人ではどうしようもない状況に追い詰められていることを両親や妹に相談しました。
話を聞いた家族全員、実家に帰ってくることをすすめてくれました。私も、実家で両親の助けを借りないとどうしようもない状況だと思いました。
「別居を考えている」と夫に告げて
実家から夫に連絡し「子どものことを考えると実家へ帰りたい。別居を考えている」とだけ伝えました。ただ、子どもたちに転校・転園について話をしたわけでもなく、夏休み明けには自宅へ戻りました。
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そして夏休み明け、長女は保健室登校もできなくなりました。ちょうどこのころ、ママ友から「同学年に親が無理をして登校させている家庭があるけれど、子どもも精神的に無理をしている様子がこちらにも分かり、見ていてつらい」という話を聞きました。
夏休み中、不登校について私も勉強し、不登校の子どもは自己肯定感が低くなってしまうことが多く、それにより学校へ行けなくなり、学校へ行けない自分をダメだと思ってしまう場合がある、ということを学びました。そして何よりも本人が一番苦しんでいるということを、ママ友の話を聞いて私は本当に理解したのだと思います。
私はたまらず夫に聞いた話を伝えると、「そこまでつらいなら、登校しなくてもいい」と、ようやく言ってくれました。
その後しばらくして、「まだ別居を考えているか」と夫に聞かれました。「正直、私一人の手には負えないから実家へ帰ったほうが楽だと思う」と答えると、「家族一緒に暮らしたいから、申し訳ないけど別居はしたくない。私も悪かった。協力できることはするから、何とかこちらで暮らしてほしい」と言ってくれました。
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夫の変化とその後
夫はそれまで、子どもを褒めることはほとんどありませんでした。できて当たり前、できなかったら「何でできないの?」と責めることが多かったと思います。私も夫よりは褒めていましたが、周りの子どもと同じようにできないことを叱ってしまいがちだったと思います。
でも、発達障害や不登校の子どもの子育てを学ぶうちに、これではまったくダメだと分かったのです。
子どもたちを褒めることを心がけるようになった私を見て、夫も同じように変わってくれました。
長女との関係はそれほど変化はありませんが、それまで4年間、まったく会話のなかった長男(ASD傾向があり、夫の話しかけはずっと無視でした)と会話できるようになりました。
私も夫が高圧的な態度のころは別居しか考えられませんでしたが、その後は長女をフリースクールへ通わせたり、近くの小学校へ転校させたりして、別居せずに家族で過ごす方法を考えられるようになりました。また夫と言い争いをすることがなくなり、気持ちも軽くなりました。
まだ娘の不登校は続いてますが「生きている価値がない」と感じることはなくなったようです。ようやく家が安心して過ごせる場所になったのかなと思います。
再び登校することだけが目標ではありません。本人のやりたいことが見つかり、それが実現できるように見守り、サポートしていきたいと思います。
最終的には自分に自信を持って働いてほしいですが、同学年の子どもと同じタイミングである必要はないと思っています。これからも焦らず見守っていきたいです。
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イラスト/keiko
エピソード参考/かい
(監修:初川先生より)
お子さんが登園・登校渋りになると、お子さんにとって園や学校という場がどんな場であるか、また、家庭の中でお子さんがのびやかに過ごせているかということについて、振り返ってみるきっかけとして作用しますね。お子さんにとって、園や学校で苦しいのはどんなことか、そうしたことに先生方の対応や配慮は得られそうか。そして、今回のエピソードだと、家庭内の不和やすでにある難しさをどうしていくかということを考えていくことになります。
今回は、ご実家の応援もあって、特に筆者の方にとって安心して過ごせるご実家に夏休みだけ帰られたこと。よかったですね。どのような環境、お父さん(夫)との距離がどのような形だとのびやかに過ごせるかの実験ができました。
「別居したい」という申し出はお父さん(夫)にとってはきっと思いもよらない話だったのでしょう。しかしそのきっかけでご自身の対応や任せてばかりの子育てを反省的に振り返られ、新たなパートナーシップへと改変しようとされたのですね。
家族のパワーバランスは、「現状」のまま維持されやすく、そこを変化させるにはなかなかの工夫とエネルギーが必要なことが多いです。対話によってそうした面がうまく調整されることが理想ではありますが、今回は「別居」というインパクトある話によって調整が進んだということなのでしょう。