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指差し・発語なし、笑わない…何事にも興味の薄かった自閉症息子。2歳半で療育開始、大変だった親子通園を経て3年後の変化は?

LITALICO発達ナビ

どんな遊びが息子に響くのか模索していた日々


おっとりマイペースな息子は、あやしてもあまり笑わず、どんなおもちゃにも反応が薄い赤ちゃんでした。1歳半健診の時点で指差しもなく、発語はほぼ喃語の単語のみで、名前を呼んでも10回に1回振り向くかどうか……運動面の発達もゆっくりで、1歳5ヶ月の時点でようやくひとり歩きができたところでした。もともと怖がりで慎重派な性格だったので大きな怪我はもちろん、小さな怪我もほとんどしなかったように思います。

おうち遊びでは、「今日は絶対これで遊びたい!!」という意思もなく、目の前に出したおもちゃで遊び、目の前から隠せばあっけなく諦め(忘れてる?)、そしてどんなおもちゃへの興味ももって5分程でした。お外遊び(公園など)はどうかというと……まず運動面の発達もゆっくりだったので、息子が遊ぶにはまだレベルの高い遊具がほとんどでした(ちなみに砂場は嫌いなようで、全然遊びませんでした。笑)。滑り台を一緒に滑ったり、ブランコに乗ったり……つきっきりで遊んでみるも、そんなに喜んでなさそう……(チーン)。

指差し・発語なし、笑わない…何事にも興味の薄かった自閉症息子。2歳半で療育開始、大変だった親子通園を経て3年後の変化は?

Upload By 海乃けだま

そんな息子が唯一ハマっていた遊びは、体を使った触れ合い遊び。
お馬さんや高い高い、くすぐったり抱っこしてぐるぐる……などなど。しかし当時、娘を妊娠中だった私にはその遊びを何度もすることはできず……。ほぼ毎日のように児童館に通い、ママ友とそのお子さんと一緒に遊んでいました。

1歳半頃から少しずつ好きなものが出てきた息子。2歳半で療育に通うまで


1歳半を過ぎると、その当時見ていたテレビアニメの影響からか、息子は電車にハマり出しました。最初こそアニメのキャラクターそのものに興味があった息子ですが、そのうちに本物の踏切を見たり、電車が走っているところを見たりするのが好きになっていきました。

家にはみるみるうちに電車のおもちゃが増えていき、指先の力が弱く上手くおもちゃを連結できない息子に代わり、レールの組み立て・電車を連結するのが私の日課でした。あの頃は部屋のあちこちでおもちゃの電車のモーター音が響いていたなぁ……(そしてそんな騒音の中でも赤ちゃんだった娘は熟睡していたなぁ……笑)。
2歳を過ぎると、少しずつ単語が増え、簡単なやり取り(ちょうだい、どうぞ、順番や、ゴミ箱に捨ててきてなど)ができるようになってきました。


ついに療育へ。親子通園した1年間。


息子は2歳半で自閉スペクトラム症と診断され、療育へ通うことになりました。
単語は少しずつ出ていましたが、初めのうちはお名前を呼ばれてももちろん返事なんてできません。一緒に手を添えて挙手を促し、私が代わりに返事をしていました。まだまだ体力の少ない息子と午前中2時間みっちり療育のスケジュールをこなすことになるのですが、最初の半年くらいは最後まで体力が持たず寝てしまうことも何度かありました。

それでも活動自体を嫌がることは少なく(自我の成長もゆっくりだったことも関係ありそうです)、療育自体は私と行くことで楽しんでいるように思いました(特に活動の中でも、息子はリトミックとミュージックケアという音楽療法が好きでした)。3歳目前になると、2語文が出るようになり、表情や反応も見違えるように出てきました。

指差し・発語なし、笑わない…何事にも興味の薄かった自閉症息子。2歳半で療育開始、大変だった親子通園を経て3年後の変化は?

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大変だった親子通園……そこで得たもの。


1歳の娘を連れながらの親子通園は本当に本当に大変でした。家から遠い園だったので、車で往復1時間強。
療育が終わってから家までの間に空腹で不機嫌になるので、車内で昼食を2人分食べさせたり、お昼寝に失敗して泣き叫びながらの帰り道になったり……家に着いてからも自分のごはんもままならないまま家事をこなしたり……。

しかし、一緒に通園したからこそ、先生の関わり方や息子の成長を間近で感じられたと思います。特に療育の先生方の子どもたちの興味を惹く関わり方・一人ひとりの発達具合に合わせた関わり方は本当に学びになるものばかりでした。そして、同じ療育に通うお子さんの親御さんと話したり、悩みに共感したりすることで、私の心も軽くなったと感じています。

指差し・発語なし、笑わない…何事にも興味の薄かった自閉症息子。2歳半で療育開始、大変だった親子通園を経て3年後の変化は?

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2年間の単独通園、そして幼稚園への転入。


1年間の親子通園の期間が終わる頃には、お名前のお返事もしっかりとできるようになっていた息子。療育への通園にも慣れ、いよいよ単独通園することになりました。

初日は私がいないことに不安で泣いてしまったようですが、3日で泣かないようになりました(早!)。徐々にお友達の名前も覚えてきて、今日はどんなことをして遊んだとか、時々話してくれるようになりました。


できなかった線路の組み立てができるようになり、それを1周ぐるっと繋げられるようになり……。そして電車にしか興味がなかったのが、おままごとやブロックなど遊びの幅も格段に広がりました。単独通園最初の1年は1人で遊ぶことがほとんどでしたが、2年目には好きなお友達もでき、一緒に仲良く遊んでいることも多かったようです。

お友達に興味を持ち始めたタイミングで、今年の4月(年長)から幼稚園に転入となりました。最初の2ヶ月は環境の変化に戸惑い、幼稚園の活動ができなかったり、家で不機嫌になったりすることも多かったですが、6月あたりから"お友達と一緒に"という意欲が出てきて、活動も息子なりに頑張っているようです。

たまーに、スーパーやお店で息子のクラスのお友達とばったり会うと、「あ!〇〇(息子の名前)くん!!」とニコニコ笑顔で挨拶してくれ、それに対して息子も少し恥ずかしそうにニコニコしています。

指差し・発語なし、笑わない…何事にも興味の薄かった自閉症息子。2歳半で療育開始、大変だった親子通園を経て3年後の変化は?

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4月の時点の新版K式発達検査では、実年齢5歳の息子の発達年齢は4歳前後でした。そして、もともとマイペースでゆっくりした性格の息子なので、クラスのお友達に助けてもらうことも多いのですが、療育で3年間頑張ってきて、そしてお友達にも恵まれて良かったと思っています。


執筆/海乃けだま

(監修:初川先生より)
療育に通園する前、通園させての成長、親子通園のご苦労とありがたみ、そして幼稚園に転園しての成長と一連のプロセスのシェアをありがとうございます。お子さんの成長にとってよき関わりを安心安全な環境の中で提供してくれる療育は、その内容のみならず、先生の関わりからの保護者にとってモデリングとしての学びや、保護者同士のつながりなどさまざま良いところがありますね。

小さい子を連れて数時間親子で家を空けて通うとなるとその分の負担も保護者の方にはありますね。そこについてもお知らせくださり、参考になった方や共感される読者の方も多いのではないでしょうか。療育というと、例えば苦手なことの多い子が訓練するために通う場所のように捉えられることもあるかもしれませんが、そこに通い、そしてそこを卒業(卒園)していくプロセスや保護者の方の体験談をうかがえるのは読者の方にとって参考になりますね。ありがとうございます。
(※お住まいのエリアの療育がどのようになされているかは、ぜひそこに通われている方やスタッフの方、子育て支援担当の方などからお話をうかがってみてください)

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。


神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

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