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【新連載】「診断はない、でも生きづらい」母の不在、双極性障害、ひきこもり…「自分はダメだ」から脱却した40代の今

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40代、愛猫と暮らすフリーランス。診断こそないけれど「特性の偏り」に悩んだ過去


名前はくろまる、年齢は40代、都内で愛猫とともに一人と一匹で暮らしています。幼少期から生きづらさを感じており、大学生で双極性障害(双極症)を発症。その後はひきこもり期間を経て就労移行支事業所に通い就職、約10年勤めたのちに独立し現在はフリーランスのWebライターとして活動しつつ、通信制高校の「居場所カフェ」のスタッフもしています。

発達障害の診断はありませんが、小学校の頃から特性の偏りはいくつか見られました。特定の教科だけ極端にできなかったり、いわゆる空気が読めなかったりと。そこに家庭環境や時代性も加わり、ずっと生きづらさを感じていたのが大学生の頃に精神疾患として現れたのではと考えています。

このエッセイではこれまで困ったことやその対策、もっとこういうケアがあったら良かった!など、読者の皆さんのヒントになるようなことを書いていきたいと思います。今回は初回なので、私の幼少期から現在までの経歴を紹介していきます。
どうぞお付き合いください。

九九ができない、空気が読めない……生きづらさが「精神疾患」として顕在化するまで

【新連載】「診断はない、でも生きづらい」母の不在、双極性障害、ひきこもり…「自分はダメだ」から脱却した40代の今

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家庭での最初の記憶は母親がいなくなったことです。5歳の時、朝起きたら家からいなくなっていました。その出来事が強烈すぎたのか、それ以前の記憶はあまりはっきりしていません。そこから父方の実家で祖父母と生活することになります。

この経験から私は「自分が悪い子だからお母さんが出て行った」と自分を責めるようになりました。何か理由をつけないとショックに耐えきれなかったのだと思います。

そして、小学校に入ってからは特性の偏りも見られるようになりました。
例えば小学校2年生の頃、かけ算は九九だけまったくできず、先生や祖父母からは叱られたり呆れられたりしました。また、いわゆる空気が読めない子どもで、先生が「合唱コンクールの朝練は任意参加で」と言ったので行かなかったら、あとで職員室に呼び出されて「何で来なかった」と怒られたことを覚えています。任意とは建前で実際は強制だったようですが、私にはその空気が分かりませんでした。ここで反発できたらまた違ったのかもしれません。しかし、「自分が悪い」という観念が根底にあるため、何かを訴えたりすることもなく「僕が悪かった」「自分のせいだ」とただ自分を責めるだけでした。自己肯定感というものが皆無でしたね。

同様の失敗は数多くあり学校が好きではなかったのですが、「育ててもらっている」という意識が強く休むこともできませんでした。

現在だったらいろいろと気づかれるかもしれませんが、30年前の私の環境では違いました。
当時は仕方なかったのでしょうか?もうみんないなくなったので答えは分かりません。ただ、私を含めて皆適切な対応はできていなかったなと感じています。

それが障害として顕在化したのは大学3年生の頃でした。就職活動をしていたのですが、そのストレスからあるとき体が動かなくなり、精神科を受診したところ「うつ病」と診断を受けました。のちに双極性障害(双極症)へと診断が変わっています。

「自分はダメだ」からの脱却。就労移行支援で自分の特性を活かすことを知った

【新連載】「診断はない、でも生きづらい」母の不在、双極性障害、ひきこもり…「自分はダメだ」から脱却した40代の今

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大学を卒業したあとはひきこもり状態でした。数年経ってイベント系のアルバイトを始めたのですが、ちょうど東日本大震災が起こり、イベントが軒並み中止に。その影響でアルバイトもなくなりました。


そこから障害者雇用を考え始め、いろいろと調べたのちに就労移行支援事業所の利用を開始します。そして、これが転機となりました。福祉につながったのは初めてだったのですが、「自分の特性を活かす」という概念を知ったことがとても大きかったです。それまでは「自分はダメだ」「人より劣っている」という認識でしたから。

その後も紆余曲折ありましたが、アルバイトで入った会社で正社員としてステップアップし、一人暮らしをして念願だった猫を迎え入れることもできました。

現場を経験したあとは管理部門も経験しました。この時に児童発達支援の部署も担当しました。それからフリーランスとして独立し、現在に至ります。


怒りも悲しみも原動力に。すべての過去が今につながっている


簡単に私の経歴を紹介してきました。自身の特性や家庭環境、それに時代も複雑に絡み合っているなと感じます。振り返ってみるといろんな感情が浮かんできます。怒りも恨みも悲しみも喜びも感謝も。その思いが私の原動力になっています。

就職でつまずいたから就労支援を、誰かのために仕事をしてきた反動でフリーランスに、学校に馴染めなかった経験から居場所カフェのスタッフを。そして今後はもっと若者支援に関わりたいので資格勉強もしています。

といっても全肯定しているわけではありません。
嫌な思いもたくさんありました。それが今の私を形作っていることは確かですが、同時に次の世代に同じ思いをさせないためにどうしたらいいのかを考えるようにしています。

そのためにも、自分が困ったこと、その原因と対策をしっかりと言語化していきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします!

執筆/くろまる

(監修:鈴木先生より)
私のクリニックには、くろまるさんのような方が大勢相談に来られています。神経発達症の診断は専門的な視点が必要なため難しく、子どもの病気ととらえられる傾向にあるため、くろまるさんのようにうつ病や双極性障害と診断されているケースが多くみられています。くろまるさんの小学生からの特性の偏りや生きづらさを考えると、ベースに神経発達症の傾向がある可能性も考えられます。神経発達症を特性と考え、その特性を生かした仕事に就ければいいのではないでしょうか。

また、少しユニークな視点ですが、私は「猫の習性は自閉スペクトラム症の特性とよく似ている」と感じることがあります。
ルーティーンを好み、感覚に敏感で、同じ動作を繰り返し、塀の上など高い所を好む。以前は犬を飼っている家庭が多かったのですが、最近は猫が逆転して増えています。もしかすると、現代には猫のような特性を持つ方や、その感性に共感する方が増えていて、お互いに相性が良いパートナーになれているのかもしれません。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

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