ASD娘の育児、離婚を経て40代未経験から支援の道へ。支援員から教員免許取得まで「再出発」の記録【読者体験談】
モヤモヤから始まった第二の人生
- 支援員の現場で直面する、教科書通りにはいかない「特性」への対応
- 未経験から通信制大学で教員免許を取得するまでのリアルな苦労
- 「自分らしく生きる」場所を見つけるための、一歩の踏み出し方
- エピソード当時の年齢:40代(投稿者本人)
- お子さんの年齢:(保護者が支援員を開始した時)13歳
- お子さんの診断名:ASD(自閉スペクトラム症)
- お子さんの診断時期:3歳
娘は3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。おっとりした性格ですが、コミュニケーションが極端に苦手。それでも、小学校の自閉症・情緒障害特別支援学級で素晴らしい先生方に出会い、「学校楽しい!」と言えるまでに成長しました。今の娘の姿があるのは、間違いなくあの時の手厚い支援のおかげです。
一方で、娘の交流学級には同じASD(自閉スペクトラム症)の特性がありながらも、苦しんでいる女の子がいました。友だち関係がうまくいかず、つらそうだったその子を見て、私は強いモヤモヤを感じていました。
「支援ひとつで、子ども時代が変わってしまう。でも、その支援を受けるかどうかを決められるのは保護者しかいない……」
困っている子をなんとかしてあげられないだろうか……。
でも、通常学級の先生は業務が多忙で十分に個別対応をする余裕はなく、どうすることもできない自分を不甲斐なく感じていました。
ちょうどこの頃、私は夫と離婚をしました。「これからは娘と二人で食べていかなきゃいけない。だったら、第二の人生はやりたかった支援の仕事を頑張って、楽しみながら生きていこう!」
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衝撃の連続だったけど……大変だった毎日から見えた小さな光
私はまず、支援員として小学校の支援の現場に立つことになりました。しかし、その初日……私は衝撃を受けました。
配属されたのは、やんちゃな子、支援が必要な子、家庭環境に課題を抱える子などが入り混じり、常に誰かしらに対応が必要なクラスでした。最初はどのように支援をしたらいいのか分からずに毎日精一杯の状態。精神をすり減らす日々でしたが、不思議と心は軽やかでした。
目の前の子どもたちに必死に向き合っている間だけは、離婚に伴うドロドロとした悩みから解放されていたのです。
ASD(自閉スペクトラム症)の娘を育てた経験があるから大丈夫、という私の自信はすぐ打ち砕かれました。娘とは真逆の、衝動性が強く授業中に脱走する男の子。 「何時になったら教室に戻ろうね」と約束しても守ることが難しく、思い通りにならなければ自傷や他害につながる。私の「鉄板」だった「褒め」作戦も、彼には全く通用しません。
「私の声かけが悪いのかな……どうすれば教室に戻ってくれるんだろう」毎日悩みましたが、同時に「どうすればこの子に響くのか」と試行錯誤することにもやりがいを感じるようになりました。10回中9回うまくいかなくても、残りの1回で子どもが「できた!」と達成感を見せてくれた瞬間、すべての疲れが吹き飛ぶ。そんなワクワクを、初めて仕事で実感したのです。
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教育実習という壁。わが子との二人三脚で築いた信頼関係
「この仕事で食べていきたい。もっと深く、子どもたちの『学校が楽しい』を支えたい」。そう決意し、私は働きながら通信制大学へ入学しました。
最大の難所は、40代での教育実習でした。 指導案の作成と授業準備に追われ、寝る時間も食べる時間も惜しんで机に向かう日々。完璧にこなせない自分に焦り、家事もままならず、協力してくれているわが子に愚痴をこぼしては泣いた夜もありました。そんな私を支えてくれたのは、ASD(自閉スペクトラム症)の特性がありながら彼女らしく成長した娘と、指導してくださる現場の先生方、そして私の拙い授業を一生懸命聞いてくれる子どもたちでした。
大学での理論も大切ですが、一番の学びは現場にありました。
娘の担任がそうであったように、「安心して失敗させてくれる場所」をつくること。それが信頼関係の土台になると、実習を通して肌で感じたのです。
「学校にいるお母さん先生」として。安心の先に咲く「楽しい」の種
今、私は「先生ではないけれど、学校にいるお母さん的なお助け先生」として、子どもたちのSOSを受け止めています。かつて勤めていた時は、気が進まない仕事を嫌々やっていることもありました。ただお金を稼ぐために仕方なく仕事をしていたこともあったし、なんのためにこの仕事をやっているんだろと思ったこともありました。でも今は自分を取り繕う必要がありません。子どもたちが好きだという素直な感情のまま、面白がりながら向き合える。それが、私が私らしく生きている証です。
教壇に立つ時、私が大切にしたい信念はひとつだけです。「まずは安心。その上に『楽しい』を乗せること」。安心できる居場所があって初めて、子どもは「ちょっと挑戦してみようかな」と前を向けるようになります。
いきなり「挑戦」なんて大それたことでなくていい。止めようと思えばいつでも止められるレベルで、ほんのちょっとだけ興味のあることに触れてみる。それだけで、世界が変わりました。私はこれからも、子どもたちが「学校が楽しい」と思えるような仕組みをつくれる教員を目指して、一歩ずつ歩んでいこうと思います。
イラスト/プクティ
エピソード参考/ケアルラ
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コラムを拝読し、離婚という大きな出来事を経て、特別支援教育の教員を目指して新たな一歩を踏み出されたお母さんの姿に心を動かされました。「まず安心できる居場所があり、その上に『楽しい』を乗せることで、子どもは挑戦する気持ちを持てる」という言葉は、本当にその通りだと感じました。子どもが安心して過ごせる環境があってこそ、少しずつ前を向く力が育まれていくのだと思います。クラスの子どもたちにとって「お母さんのような先生」がいることで、ほっとできる安心感が生まれているのではないでしょうか。教員としての学びだけでなく、これまで歩んでこられた経験そのものが、きっと子どもたちに寄り添う大きな力になっているのだろうと想像しながら読みました。(監修:小児科医 藤井明子先生)
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。