偏差値で人生が保障されない時代。これからを生きる子どもたちに必要な力とは
今、子育てや教育は危機の時代。取材の中でその現状と課題、人間教育における乳幼児期の重要性が見えてきました。
※この記事は全2回でお送りします。<1回目はこちら>。
学校を学びの場へ
日本の学校教育は多くの課題があります。その一つに、「平均値を伸ばすことは得意だけど、子どもの得意なことや好きなことをどんどん伸ばしていくことができない」ということがあります。みんなで足並みをそろえて進もうとするので、伸びてきた子は叩かれてしまいます。
私が子育てをしていた時代、息子の友だちで算数が得意な子がいました。
小学1年生のあるとき、毎日1枚ずつやっていくドリル帳を、彼は楽しくなって一晩でやったのです。それを先生のところに持って行くと、「これは毎日1枚ずつやるの。先にやってしまったら後でできないでしょ!全部消しなさい!」と言って叱られてしまいました。「○○くんは算数がとっても好きなんだね。次はどうしようか。もう一度やってみる?違うドリルに挑戦してみる?」というような対応がどうしてできないのだろうと、情けなく思った覚えがあります。
これは数十年前の話ですが、今でも似たような話はあるような気がします。これでは、おもしろい人間が育ちません。
最近は「学校は勉強するところ」という考えを見直す動きも出てきました。「勉強」というのは明治時代につくられた言葉で、「強いて勉める」という字の通り、我慢してやることです。その時代には、国民一丸となって我慢してやらなければならなかったのでしょう。だから、無理して頑張ってやることがえらい、という価値観も生まれたのかもしれません。でも、その時代はとっくに終わっています。
実際に、偏差値が高くても「好きなことがない」「何をやりたいかわからない」という人がたくさんいますよね。今の時代は好きなことを一生懸命やってそれを得意にして仕事につなげたほうがいいと思います。もちろん勉強することが好きで、やりたいことが勉強ならば、それもいいでしょう。
体験で学び得たものこそ自分のものになる
最近、東大で「折り紙サークル」が人気のようです。折り紙を組み合わせた作品は小さく折りたためるので、NASAに注目されて宇宙にも持ち込まれています。彼らは外で群れて遊ぶ世代ではないので、パズルやブロック、ゲームなどで手先を動かしていたのかもしれません。そのうちもっとおもしろいことをやりたいと思って行き着いた折り紙で、こうした成果を上げるのは素晴らしいと思います。