自立を阻害していない?「子どもの気持ちを全部わかりたい」という美談のウソ
5歳の長男と私は性格が正反対。とても繊細で、石橋を叩いて壊すほど慎重で、甘えん坊で、プライドの高い彼と、大雑把な私。そのため長男の気持ちがわからなくて、度々悩んでいました。
しかしあるとき、「全部をわかる必要はない」ということに気付いたのです。
子どもは自分の所有物?
エピソード1:長男の気持ちがわからない
4月に転園してから、なかなか友達のできない長男。一度こんなことがありました。私には「お友達のやっている鬼ごっこに混ざりたい」と言っていたのですが、いざお友達から「一緒にやろう」と誘われると「オレは遊びたくないから!」と断って走り去ってしまうのです。
自分の希望とは正反対のことを言う長男の気持ちが、私にはわかりませんでした。
夫に相談したところ、「恥ずかしいから断っちゃったんだね。プライド高いし」とのこと。
「あの子の気持ちがわからない」と嘆くと、「そんなの当たり前だろ。自分たちが子どもの頃だって、親に自分の気持ちを全部わかってもらいたいなんて望まなかったでしょ?『別にわかってもらわなくてもいい』って思うこともあったよ」と返ってきました。
エピソード2:娘の気持ちがわからない
同じ頃、母親世代の世間話を耳にしました。娘の起業したいという希望に対し、「何でそんなことしたいのか、何が面白いのか全くわからないのよ。それより安定的に仕事して結婚でもしたほうがいいと思うんだけど」と何度も言うのです。
2つのエピソードは「我が子の気持ちがわからない」という点では繋がっています。
「子どもの気持ちを全部わかりたい」と思うのは一見美談でしょう。でも我が子とはいえ他人は他人。違う気質、性格、価値観を持ち、好きなものやタイプも違います。「我が子であっても気持ちはわからなくて当たり前」なんですね。
それを全て「わかりたい、わかろう、わかるはず」とするのは、どこか「子どもは自分の所有物」と言う考えがあり、「自分の思い通りに子どもをコントロールしたい」という気持ちが根底にあるからなのです。
「自分の気持ちがわかること」が1番大事
そういえば自分が子どもの頃は、「親にわかってもらえるか」よりも「自分はどう思っているか」が1番大切でした。理解してもらえば最高ですが、たとえ理解されなくても自分の気持ちは大切にしたい。「親の顔色をうかがったり、自分で納得できないことをするなんてもってのほか」