先日、主人とお互いの友人関係について話しました。筆者の主人は保育園に通っておらず、あまり地元の友人がおりません。友人は多いほうに見えますが、幼なじみと呼べる地元の仲間はいないようです。
かたや筆者には、幼なじみと呼べる友人が大勢います。どちらが良い悪いの話ではありませんが、わたしは「いないよりはいたほうがいい」派。息子にも保育園での友人を大切にしてほしいと思っています。
「「保育園はかわいそう?」そんなことないと思えるエピソード集」バックナンバー
第1回:保育園は子どもが初めて「年齢のちがうお友だちから学ぶ」場所
第2回:保育園で 「たくましい先輩ママに学ぶ」ことがある
第3回:保育園は子どもの価値観を広げる場所
第4回:「お給食はママの味方です!!」
幼なじみは、兄弟のような “同じ時間を生きる” つながり
筆者には0歳児からや保育園からのの幼なじみが多くいます。もちろん、すべての友人といまだにしょっちゅう連絡を取り合っているわけではありませんが、SNSでもつながりがあり兄弟のような感覚です。
ラッキーなことに、筆者の通っていた保育園のクラスメイトは、ほとんどが同じ公立小学校に進みました。そのため、中学・高校・大学・社会人と年齢を重ねても、ときどき会う機会があります。仲の良いメンバーとは食事に行きますし、同窓会で顔を合わせることもあります。
1年前の夏にも、保育園のクラスメイト数人と同窓会で再会。お互いの子どもの写真を見せ合うと、自然と自分たちの思い出話に華が咲きました。たとえ一人っ子であっても、こういった兄弟のように話せる友人がいるのは大切なことだと実感しています。
我が子のように叱咤激励してくれる、クラスメイトのパパ
自分が親になってわかったことですが、0歳から毎日顔を見ている息子のクラスメイトはみんなかわいい。大げさな表現になりますが、まるで親戚の子のような感覚になります。
顔を見る頻度で考えれば親戚の子よりずっと身近かもしれません。
わたしも、幼少期はクラスメイトのパパやママにたっぷり叱られて大きくなりました。叱られるだけではなく、苦手な跳び箱が跳べたときや、絵の賞をとったとき…クラスメイトの親が我が子のように褒めてくれました。子どもにとって、そういった「第2の親」が大勢いることは大きな安心になるのです。
思春期に助けてくれたクラスメイトのママ
高校時代の一時期、筆者は登校拒否をしていました。