子育て情報『来季ブンデス1部加入決定の高校ナンバーワンストライカーが語る、決してスターではなかった少年時代』

来季ブンデス1部加入決定の高校ナンバーワンストライカーが語る、決してスターではなかった少年時代

とは

■DFとして評価されていた4種時代

――当時はどのポジションでプレーしていたのでしょうか?

「3年生のころはトップ下をやっていました。[2-3-2]の真ん中。でも、4年生でCBとSBにコンバートされて、そこからはずっと後ろのほうですね」

――後ろのポジションをやることに抵抗はなかったのでしょうか?

「特にこだわりはなかったですね。とにかく勝ちたいだけ。勝てるのであれば、どのポジションでもいいと思っていました」

――いまのプレースタイルを考えると、"守備の選手"というイメージがつかないですね。

「いまみたいに体が強いわけじゃなくて、背もめちゃくちゃ小さかったんです。線も細かったし。小6で140cmぐらいしかなくて、本当にガリガリでした。
でも、プレースタイルは粘り強い感じ。1対1の守備が得意で、小学校6年生で九州トレセンまでいきました。ナショナル(トレセン)で落ちましたけど、DFとして評価をしてもらっていましたね」

――神村学園中時代から一緒にプレーし、抜群の連係を築いている大迫塁選手と出会ったのもそのころだと思います。

「小学校4年生のときの県トレセンで出会ったんですけど、仲よくなったのは中学に入ってからです。当時は喋るぐらいで、会ったら話すぐらいの感じだったんですよね」

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■憧れた神村で見いだされた攻撃の才

――次の進路を考え始める時期になります。神村学園にいくきっかけはなんだったのでしょうか?

「小学4年生のときに神村学園の試合を初めて見て憧れたのがきっかけです。それはいまでも覚えています。神村学園のサッカーはドリブルやパスが主体で、ヒールパスとかもやっていて。
『かっこいいな』って思ったんです。

そこから実際にいきたいと思ったのは、小学校6年生の夏ぐらいです。練習会に呼んでもらって、実際に参加してそこで決めました」

――入学してみてどうでした?

「レベルが全然違いましたね。巧いし、強いし、速いし......とにかくすごかったです(笑)。九州トレセンに選ばれた経験もありましたが、全然違いましたね」

――小学校時代はDF。中学校ではどうなったのでしょうか?
「中等部の監督にコンバートしてもらって、入学してすぐにFWになりました。ただ、なんでポジションが変わったかはいまも分からないんですよ(笑)」

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