桜は儚いからこそ美しいというのであれば、人の一生はもっと美しい
はるか遠く昔の日本人は「色は匂えど散りぬるを」(いろはにほへとちりぬるを)と歌いました。現代の言葉に置き換えると、花は美しく香り高く咲いてもいつかは散ってしまう、と。
春、桜の花が咲く季節。
「桜は儚いからこそ美しい」とよく聞きますが、たくさんの人たちが桜の木のもとに集う光景を見ると、やがて散ってしまう花の姿に“諸行無常”(この世のものは、常に変化し、変わらないものはないという意味)を重ねるのは、遠い昔も現代も変わらないものだなと感じます。
今から8年前、私は婚約者だったある男性と桜を見上げていました。
空と辺りの建物を覆い隠すように、うすべに色の花が咲き、隣には将来家族になるであろう人間がいる。当時の「私の景色」でした。
風に揺らぐ桜を見ながら、いつか「私の景色」には子どもが加わり、ゆくゆくは孫が……と思い描き、心が温かくなったことを覚えています。
その翌年である7年前。私は、ひとりで桜を見上げていました。
空も建物も桜も、以前と同じまま。隣にいるはずの人間だけが、「私の景色」にはさみを入れたように、きれいに切り取られていました。探そうにも、見つけることはできません。
ある日の朝早く、帰らぬ人に。