とりあえず「メールで届いたPDFにサインして」大学を辞めたときのこと【ビアンカ・チェン・コスタンゾさん インタビュー・第6回】
6回目の今回も、前回に引き続き、ビアンカさんに「学歴とはたらくこと」と、ビアンカさんの人生の転機についてお話をお聞きしました。
さっそくご紹介しましょう。
MIT(マサチューセッツ工科大学)を辞め、Appleのインターンに戻るビアンカさん(以下B):それで、このMITの学期はベネチアから戻ってきて終えたのです。それで、その後大学を辞めることを決めたのです。
両親にこのことを話したら信じてくれなくて。でも、その時は厳しい時期でもありました。
家族の「危機」で、私の祖父が危篤でした。
だから私はブラジルに飛び、彼の世話をするためにブラジルに1ヶ月滞在したのです。
これ、みなさんに話したほうがいいのでしょうか。
ブラジルに居た時のことはよく覚えています。ブラジルから大学に電話をかけて、辞めました(笑)。
ちょっと馬鹿げているのですが、大学側がメール添付でPDFを送ってきたので、そこにサインして。
と言っても、実際のところMITを「辞めた」のではなく、2010年から10年以内にはまた大学に戻って学部のコースを終えることができるのですが。大学を退学させられたわけではないので。
それから、Apple社でインターンシップをしていた時の上司が、次の夏にまたAppleでインターンをしないかと声をかけてくれていたので、まだ2月の頃でしたが、彼に電話をかけて今すぐにAppleでインターンしに行ってもいいかどうか質問したのです。
そしたら、OKと言ってくれて!私はラッキーでした。
そしてAppleに戻り、1年半程インターンをしました。
聞き手(Takako以下T): 何でも言ってみるものですね。
B: そうですね、でも、そこまでお願いしてよかったのかどうかは、わかりません。
もしかするとお願いし過ぎたかもしれないとも思っています。私はかなり彼をプッシュしたので。これはチャンスだと思って、どうしても掴みたいと。
それで1年半後に、正式な仕事のポジションを手に入れました。
T: お仕事された部署はインターンの時と同じだったのですか?インターンの時にはどこの部署にいたのですか?
B: 正確にいうと、ハードウエアの部署でした。でもその部署の中で、ソフトウエアの試作品開発グループにいました。
T: はあ、なんだか複雑ですが了解です(笑)。
B: ははは(笑)。そうですね。
T: この社内構造はスティーブ・ジョブス氏が生きていた頃の仕組みですよね?
B: はい、今はもっとシンプルな構造になっていると思いますが。
今回のインタビュー、いかがでしたか?
ブラジルからApple社のインターンに戻る時のビアンカさんの行動力というかエネルギーが凄いと感じました。
「何かを手に入れたい」と思うときはその方法がちょっと「ふつう」でないとかそんなことはとりあえず置いておいて、自分の思いをきちんとアピールするのはアリだろう、と思います。
とくにスペインに住んでいると、なんでもとりあえず口にしてみる、というのはよくあることだと感じます。わたしも図々しく(?)実践しています。
日本ではよく世間体を気にすることがあると思います。何か言って、図々しい人だと思われたら困るとか、そういう思考です。目的を達成することに意識を集中するより、むしろ自分がどう上手く立ち回るかに意識が集中してしまう。
欧米文化では「ダメかどうかなんて言ってみないと分からない」→「とりあえず言ってみる」という発想がふつうです。
もちろん、お願いごとを押し付けるのはNGですが、OKかNOかとりあえず聞いてみること自体は悪いことではありません。
次回はApple社でのお仕事の内容についてお話いただきます。
どうぞお楽しみに!
(写真:Biancaさん提供)
【取材協力】
Bianca Cheng Costanzo(ビアンカ・チェン・コスタンゾ)
ブラジル生まれのデザイナー、テクノロジスト。ブラジル、イタリア、米国の間を旅しながら幼少期を過ごす。最近、サンフランシスコからバルセロナに移住し、個人プロジェクトの企画・開発に取り組んでいる。以前はApple社でインタラクションデザイナーおよびソフトウエアのプロトタイパー(試作品の製作者)として、また MITメディアラボのタンジブル・メディア・グループで学部研究生として勤務していた。
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※この「ビアンカ・チェン・コスタンゾさんへのインタビュー」の過去記事はこちらの一覧からお読みいただけます。