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台湾のトップ女優スー・チーが初監督作『女の子』で描いた“傷を抱えたまま生きる”こと

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台湾のトップ女優スー・チーが初監督作『女の子』で描いた“傷を抱えたまま生きる”こと


『ミレニアム・マンボ』など侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品から『トランスポーター』といったハリウッド大作まで幅広く出演し、数々の栄誉に輝いてきた台湾のトップ俳優、スー・チー。ベルリン、カンヌ、ヴェネツィアという世界三大映画祭の審査員を務めるなど、世界的にも知られる彼女が映画『女の子』で監督デビューを果たした。

舞台は1980年代後半の台湾・基隆。主人公の小莉(シャオリー)は、育児放棄気味の母親と、酔うと暴力を振るう父親のもと、妹の面倒を見ながら暮らしている。そんな小莉の前に現れたのは、米国帰りの自由闊達な転入生。彼女との出会いが、小莉を新しい世界へと誘ってく。

ストーリーは、複雑な家庭環境で育った監督自身の少女時代の記憶に着想を得たもの。少女の葛藤と成長を描きながら、家庭や社会とのしがらみで苦しんできた同世代の女性たちのトラウマを映し出し、第30回釜山国際映画祭で最優秀監督賞を受賞するなど高く評価されている。


俳優としてキャリアを積むと、作り手側へと活躍の場を広げる女性が多い中華圏の映画界。トップスターを突き動かしたものは何だったのか?第26回東京フィルメックスで来日したスー・チー監督に話を聞いた。

巨匠の後押しで決意した監督業への挑戦


――監督をしたいと思い始めたのはいつ頃ですか?何かきっかけがあったのでしょうか?

監督になりたいなんて、一度も考えたことがありませんでした。ある日、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督とコーヒーを飲んでいて、突然、「自分で監督をやってみないか?」と言われたのです。もうお別れの挨拶をするところだったので、「分かりました、考えてみます」と答えました。その後、『黒衣の刺客』(2015)を撮影する時、また「脚本はどうなった?」と聞かれて、初めて本気で言ってらっしゃるのだなと気づいたのです。脚本を書き始めたのは、それからです。3つの異なるストーリーを書き始め、その中から最終的に完成したものを撮ろうと思っていました。


『黒衣の刺客』を撮影している最中も、またホウ監督に「どうなってる?」と聞かれて、そんなふうに人から何かを急かされたことがなかったので、すごく焦りました。その時、「脚本をどう書けばいいのか分からない」と言ったら、「自分がよく知っている場所や環境についての話なら取りかかりやすい」とアドバイスを受けました。それから10年かけて少しずつ脚本を書き、2023年にほぼ完成したので、急いで撮影を決めたというわけです。

――「いずれ監督業も」というキャリアプランがあったのかと思っていました。

考えたこともなかったです。もしホウ監督に言われなければ、一生やらなかったと思います。挑戦してみて分かりました。監督業は本当に難しい!

家庭内暴力を受けて育った人たちに抱擁を


――この脚本には、ご自身の経験と関連する内容が多く含まれています。
観客が、映画の内容をあなたの経歴と照らし合わせたり、勝手な解釈をしたりといったこともあると思います。こうした反応は気になりますか?

全然気にしていません。映画というのは読書と同じようなもの。同じ本を読んでいても、読み手の文化的背景が違えば理解度も違うので、本から受け取る内容も変わってくると思うのです。だから映画に様々な解釈があることを私は歓迎していますし、むしろ楽しみにしているくらいです。

例えば、『女の子』を観た多くの人が、「(家庭内で虐待されている)小莉(シャオリー)は絶対に父親の実の娘じゃない」と思っているようですが、実際は違います。小莉は実の娘です。私が伝えたかったのは、親が自分の子供に対し、ひどくえこひいきをする家庭が多いということ。
しかも、なぜか母親が、自分が不幸だからという理由で、憎しみや嫌悪感を自分の娘にぶつけてしまうことがあるということです。

この映画がアジアで公開された時、たくさんの小莉がいることに気づきました。家庭内暴力を受けて育った人が、こんなにたくさんいるのかと。映画の中の小莉のように、学校で母親に平手打ちされた人、大勢の前で親に辱められた経験のある人が本当にたくさんいました。しかも、今でもそうした被害が続いている。

だからこの映画が多くの人の共感を得て、彼女たちが自分の心の傷と深く向き合ってくれるようになったことを、うれしく思っています。そして、そういう経験をした人の周りにいる人たちも、彼女たちに温もりや光、抱擁を与えてあげてほしいと思います。

心の傷は癒えなくても、人生は続いていく


――映画の終盤、大人になった小莉と母親が向かい合って食事をするシーンが好きです。
母親に対する理解と許しの始まりを予感させる展開で素晴らしいと思いました。この物語を50代になったあなたが今語ることは、ご自身にとってどんな意味があるのでしょうか?
その終盤のシーン、実は私は和解だと思っていません。大人になった小莉は、家を出ていい暮らしを送っているのですが、彼女は母親と再会した時、「この数年間、私が元気だったかどうか聞かないの?」と問いかけます。一方の母親も同様のことを思っていて、「なぜ私に何の感謝もなく、自分を心配していたかなんて聞いてくるの? あなたこそ、私がどんなふうに暮らしてきたのか、考えないの?」と思っている。互いへの気遣いや思いやりの言葉はなく、愛と憎しみが共存する、ねじれた縄の結び目のような状態。小莉が大人になっても、その結び目が解けて母親を理解することはなく、ただ自信を持って「なぜ私にあんなことをしたの?」と言える立場になっただけなのです。

でも、この映画を見終わった後、あなたが理解や許しを感じているなら、それもOKなのです。子供が家に戻ってきて、母娘が向かい合って一緒に食事をする。
その行動自体が、お互いを理解し始める第一歩だから。理解はできても、簡単に過去は水に流せないということです。

――当面、次の監督作を撮る予定はないそうですが、小莉のその後を描くとしたら、彼女のどんな部分を撮りたいですか? 母親への怒りでしょうか?2人の和解でしょうか?

私がなぜ、彼女たちの物語を時間をかけて書いたかというと、これこそ人生だと思うからです。たとえ90歳まで、天寿を全うするまで生きたとしても、彼女たちの人生はねじれ続けているかもしれない。今の私と母の関係のように。

私はもう50代になり、過去のことは手放しましたが、だからといって子供の頃に受けた心の傷が癒えたわけではありません。例えば閉所恐怖症や、トラウマが次の世代にまで遺伝するのではないかという恐れは、私の中で続いている。

だから、『女の子』で描いたテーマは、もうこれでいいのです。
次に何か撮るとしたら、別のもっと現代的なテーマで脚本を書くと思います。もう過去は振り返らないでしょう。

――台湾には優れた女性の脚本家やプロデューサーは何人もいらっしゃいますが、女性監督は比較的少ないですよね。なぜだと思いますか?

『女の子』を例に話すと、3世代にわたる女性の成長を描いています。一番古いのは小莉の祖母の世代。祖母が生まれた時代の女性には、学校に行くという概念自体がありませんでした。誰も彼女を学校に行かせようとはしませんし、家族全員の世話をするために生まれたようなものだったのです。そんな祖母が娘を産んで初めて「あなたには勉強する能力がある」と認める。でも実際には「勉強する必要はない。勉強の機会は弟や兄に譲るべき」と言うのです。そして、3世代目の小莉、つまり今の時代になってやっと、母親が娘に学業を修めるようにと言うようになった。

時代の変遷の中で、女性が少しずつ少しずつ文字や文化に触れ、多くの本を読めるようになってきたのだと思います。そして映画の世界でも優秀な女性スタッフが増えてきている。これは時代の変化と大きな関係があるのではないでしょうか。


監督:スー・チー(舒淇)

1976年台湾生まれ。『夢翔る人/色情男女』(1996)で女優として脚光を浴び、アート系映画からハリウッド大作まで幅広く出演。香港電影金像奨を3度、金馬奨を2度受賞。ベルリン、カンヌ、ヴェネツィアの三大映画祭の審査員も務める。主な出演作に、『ミレニアム・マンボ』(2001)、『百年恋歌』(2005)、『黒衣の刺客』(2015)といったホウ・シャオシェン監督作がある。ビー・ガン監督の『Resurrection』(2025)にも主演している。



(新田理恵)

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