【インタビュー】ツァオ・シーチン監督、『左利きの少女(原題)』誕生の経緯を語る 共同プロデュースにショーン・ベイカー
自国の文化コンテンツのグローバル展開を目指す台湾にとって、2025年、一躍期待の星となった存在が映画『左利きの少女(原題)』(2026年日本公開予定)の鄒時擎(ツァオ・シーチン)監督だ。台湾の夜市で麺の屋台を営むシングルマザーとその娘たちが主人公の本作は、抑圧的な伝統的価値観に抗う女性たちの姿を活気ある台北の風景を背景に描き、各国の映画祭で絶賛された。昨年、第98回米国アカデミー賞台湾代表にも選ばれている。
シネマカフェでは、台湾クリエイティブ・コンテンツ・エイジェンシー (TAICCA/タイカ)主催の大型展覧会「TCCF クリエイティブコンテンツフェスタ(Taiwan Creative Content Fest)」でピッチングの審査員を務めたツァオ監督にインタビューを実施。本作誕生の経緯のほか、国際共同製作を目指す若手監督にとってヒントとなる経験談もシェアしてもらった。
ツァオ監督は台湾で大学卒業後、米国に渡ってメディア研究の修士号を取得。留学中に出会ったショーン・ベイカーと共同で監督した『テイクアウト』でデビュー後、長年ベイカーの作品の製作などを手がけてきた。本作の脚本・編集・プロデュースはベイカーが共同で手がけ、台湾映画でありながら、外国の作品のような手触りが特徴的な作品になっている。
――20年前には既に『左利きの少女(原題)』の構想があったそうですね。当初は資金が集まらなかったそうで、2025年にやっと完成したわけですが、製作に着手できた転機は何だったのでしょうか?
最大の転機は2019年ですね。映画『パラサイト 半地下の家族』やドラマ「イカゲーム」などの韓国作品をきっかけに、世界中の観客の目が“小さな場所”から生まれた映画に注目するようになったことです。その後、ショーン・ベイカーの『レッド・ロケット』(2021)でカンヌ国際映画祭を訪れた時、フランスの配給会社が『左利きの少女(原題)』の脚本を気に入ってくれて、もし台湾で出資者が見つかれば、フランスも出資すると言ってくれたのです。
さらに、ショーンが『ANORA アノーラ』(2024)でオスカーを受賞して、次に手がける作品が注目されたので、この無名の監督の単独デビュー作を皆さんに見てもらえたのかなと思います。
――話はさかのぼりますが、ショーン・ベイカーさんと仕事をするようになったきっかけは?
ニューヨークに留学し、修士課程でメディアについて学んでいた時、編集の授業でショーンに出会いました。彼はちょうど長編デビュー作の編集中で、デジタルでの編集を学ぶために学校に戻っていたところでした。よく一緒に映画を見るようになり、2人とも気に入ったのがドクマ95の作品です(1995年ラース・フォン・トリアーらによってデンマークで始められた映画運動)。
ストーリーを重視し、過度な効果音や特撮は排除、ロケーション撮影にこだわるなど厳格なルールの下で撮られた作品で、とてもピュア。私とショーンは「こんな映画を撮ろう」と話し合い、彼に『左利きの少女(原題)』のアイデアを話して聞かせました。高校生の時、左手で包丁を持つ私を見て、祖父に「左手は悪魔の手だ」と言われた話です。「これは映画になる」ということで、2001年に脚本執筆のリサーチのために台湾へ行きました。でも、外国が舞台の映画では資金が集まらず、先に『テイクアウト』を撮ることにしたのです。
――異なる文化で育ったお2人が20年以上も協力して映画作りをされているわけですが、どんな部分がうまくマッチしたと考えていますか?
好きな映画のタイプが似ていることだと思います。ドキュメンタリーのようにリアルに撮られた作品が好きなんです。それから名もなき人々の物語を伝えたいと思っているところも似ています。
いわゆる社会的弱者に注目し、彼らの暮らしを多くの人に知ってもらいたいと考えているのです。彼らは異質な存在であるように見られがちですが、その背景を知ることで思いやりを持って接することができるし、互いを理解することで、よりよい社会になると思っています。
――『左利きの少女(原題)』は台湾を舞台にした作品ですが、ショーン・ベイカーさんと共同で脚本を書かれたとうかがっています。外国人であるベイカーさんの視点を加えることで、映画のクオリティにどんな影響がありましたか?
この映画を観た大勢の方から「台湾映画じゃないみたい」と言われました。夜市を舞台に本作のような物語を撮れば物悲しくなりそうなものですが、この映画はそうじゃない。だから「台湾映画っぽくない」と思うようです。もしかしたら、それがショーン・ベイカーが加わったことによる最大の影響かもしれません。脚本は2010年には中国語で書き終えており、そのあとに台湾の暮らしに関する私自身の観察を書き加えたので、彼の影響はそれほど受けていません。
撮影後の編集の段階で、彼が素材を第4者の視点から整理し直したため、海外との合作映画のようなテイストに仕上がったのだと思います。
――この作品に、あなた自身の経験はどのくらい反映されていますか?
実は私自身、左利きだったことを覚えていないのです。小さい頃に直されたようで、母も私が左利きだったことは忘れていました。ただ、包丁を持ったり、マイクやグラスを持ったりする時は自然に左手を使っていたので、大きくなってから祖父に「左手は悪魔の手だ」と言われて、「あれ、私は左利きだったのかな」と気がつきました。
この例に限らず、上の世代の人が子供にかける言葉というのは、その子の性格や成長過程に大きく影響します。その視点から映画のテーマを探ってみようと思いました。台湾の社会には伝統的な考え方が色濃く残っています。たとえば、問答無用で遺産は息子が継ぐといったことですね。
異議を唱えようものなら、兄や弟と絶交する事態になる。
でも、こうした古い価値観に従い続けるわけにはいかないので、議論できる場に引き出す必要があります。自分の身の回りでは起こっていないことだからと言って、“なかったこと”“存在しないこと”にはできないからです。
――(昨年11月の)TCCFでは、ピッチング部門の審査員を務められました。台湾のクリエイターからは、どんどん海外と合作していこうという勢いを感じます。長年米国で経験を積まれたあなたは、台湾の映画製作者にとって、いいモデルになるのではないでしょうか。
確かに、若い人はもっと外に出て行くべきですよね。あと、英語力は非常に大事になるので、トレーニングはしたほうがいいと思います。
たとえば上映後のトークなどで、映画を通して表現したかった考えをシェアする時に必要です。これまでさまざまな映画祭に参加して、英語が母語ではない監督たちが苦労されている様子を見てきました。自分の作品が上映され、スポットライトの下に出て、観客の皆さんが作り手の考えを聞きたいと自分に注目してくださっている時に、どうコミュニケーションを取るのか?頑張って英語を勉強しましょうと言いたいわけではなく、人とコミュニケーションを取る媒介を磨いてほしいということですね。もちろん、それは映画そのものでもいいのです。
(新田理恵)