バブルへの怒りが生んだ『ラピュタ』『トトロ』…冷戦後の混沌で『紅の豚』が誕生
(Photo:cinemacafe.net)
『風の谷のナウシカ』が公開されたのが1984年。翌1985年に宮崎駿は高畑勲らと共に「スタジオジブリ」を設立。その後、約30年にわたって邦画史上に残る名作アニメーションを作り続け、このほど長編アニメーションからの引退を表明した。
9月6日(金)に行なわれた宮崎監督の引退会見では、これまで送り出してきた作品に対する思いや時代背景についての言及も見られた。
ジブリ設立と同年9月、アメリカ・ニューヨーク市のプラザホテルでのG5(先進5か国財務大臣・中央銀行総裁会議)における為替レート安定化の合意、いわゆる“プラザ合意”を引き金に、日本はバブル景気へと突入していく。
ちなみに大人気のドラマ「半沢直樹」の半沢らが銀行へと入社したのも、数年の隔たりはあるものの、バブル景気の中の大量採用時期のこと。同ドラマでは、バブルの崩壊により入社当時の理想とはかけ離れた世相の中で苦闘するバブル入社組の姿を描いているが、初期のジブリ作品はまさに浮かれた世の中への怒りの“弾丸”であった。
会見で宮崎監督は「ジブリを作った頃を思い出すと、浮かれ騒いでた時代だったと思います。