【インタビュー】『エゴイスト』鈴木亮平が見せる弱さや葛藤――「8割は自分」だからこそ伝わる生々しさと熱<ネタバレあり>
映画『エゴイスト』が話題を呼んでいる。国内外の大作ひしめく中、初週の週末興行収入ランキングでトップ10入りを果たし、鑑賞後のレビュー、満足度でも軒並み高い評価を叩き出している。
鈴木亮平演じる浩輔と宮沢氷魚演じる龍太の激しく濃厚な愛の交わり、彼らを襲う過酷な運命、そしてゲイであるがゆえに彼らが直面する様々な困難を描いたテーマ性の深さなど、高い評価を得る理由は数多くある。
だが何よりも心に突き刺さるのは、俳優たちが発する強く、生々しい感情、特に映画の後半で、浩輔と龍太の母・妙子(阿川佐和子)のやりとりには心揺さぶられずにいられない。
これは浩輔? それとも鈴木亮平そのもの――?
昨年のアカデミー賞最優秀助演男優賞に輝いた『孤狼の血 LEVEL2』で見せた狂気のヤクザや数々の漫画原作のキャラクターなど、体重の増減などを含め、どちらかというと役柄に合わせて自身を“変身”させるというイメージが強い鈴木だが、本作では役柄と本人が一体になったような錯覚さえ感じさせつつ、弱さや葛藤、それを覆い隠そうと虚勢を張る姿を見せている。そして、そんな彼の感情を受け止める阿川佐和子の包容力――。
どのようにして彼らのやりとりは生まれたのか?公開初日の翌日、映画館での舞台挨拶を終えた鈴木亮平に話を聞いた。
<こちらのインタビューは、映画の核心部分、ネタバレに触れた内容になっております。
映画ご鑑賞後にお読みください。>
映画完成後に初めて気づく撮り方
――映画を通じて、セリフではなく表情から感情が伝わってくるシーンが多いですね。歩道橋でのキスシーン、後半に病院で“愛”について話すシーンなど「こんな鈴木亮平の表情、見たことない!」と驚かれる人も多いのではないかと思います。一方で「え?ここで顔は見せないの?」というシーンも多くあって…。
そうですね。浩輔が龍太に「さよなら」を告げられるシーンも、浩輔の顔はずっと裏なんですよね。僕も映画を観ながら「こんなに浩輔の顔、映らないんだ!」って驚きました。普通、ああ言われた浩輔の表情を映したくなるものですけど、これは松永(大司)監督の意図ですね。
――現場では浩輔の表情も含め、いくつかのパターンを撮った上で、編集でああなったんでしょうか?
いや、全く撮ってなかったと思います。最初からああいうふうでした。
――病院に見舞いに行った際に、阿川さん演じる妙子が「自慢の息子なの」と言うシーンも、そう言われた瞬間、浩輔がどんな表情をしているのか気になりますが…。
あそこも撮ってないんですよ。監督はもちろん、あれがキラーフレーズであり、浩輔にとってそのひと言がどれだけ大きいのかを理解しているんですけど、それでも「撮らない」という選択をしています。その場で本当に物事が起こっているようなドキュメンタリー感を大切にするという意図もあると思いますが、その後のトイレに駆け込む浩輔の姿で、お客さんは十分に感じ取ってくれるはずだ、とおっしゃっていました。
――そういう、少し変わった切り取り方をしている映画であると現場で感じながらそれぞれのシーンに臨んでいたんですか?
いえ、この作品は撮影前からリハーサルを重ねてきて、しかも台本に存在しないシーンをリハーサルで演じた部分も多かったんです。そうしたリハーサルの間も、ずっと手持ちのカメラが近い距離で回っているんですね。
そうすると、逆に演技をしていても「いま、何を撮られてるのか?」というのを忘れる状況になるんです。だから撮影初日から、カメラがどこを向いていて、何を切り取っているか?ということを気にせずに現場にいられた気がします。
――完成した映画を観て、初めて「こんなふうに撮っていたのか」と気づくような?
全くその通りで、やっと最近、この映画を客観的に見られるようになってきました。だから、先ほど言った龍太とのシーンで浩輔の顔がほとんど映っていないことも昨日の公開初日に劇場で観て、初めて気づきました。あそこで映っていたのは、まさに現場で僕が見ていた龍太の顔なので、それまではただ「そうそうそう!」って思って観ていました(笑)。
正直いうと、昨日まで、みなさんがこの映画のどこにそこまで感動してくださっているのか、いまいちピンときてなかったんですよ。僕はただ自分が生きた時間の記録を見ているような感覚で。たぶん、運動会で頑張ってる子供って自分ではただ精一杯走ってるだけで。
でも、それを客観的に見る親は感動してくれていて。演技も、それに近いところがあるのかもしれませんね。
<以下、映画中盤以降のネタバレを含んだ内容となります。未見の方はご注意ください>
役のほとんどは“自分”という感覚「それは本当に怖いこと」
――今回は公開後のインタビューということで、特に後半部分のやりとりを中心にお話を伺えればと思います。龍太の母親・妙子を演じられた阿川さんと共演されて、いかがでしたか?
素晴らしかったです。本当に自然体で、2人のシーンに関して、僕はセリフはほとんど決まっていなかったので、阿川さんが龍太の母親として投げかけてくれる言葉に自然に反応するだけでいいという状況でした。
――セリフが決まってなかったんですか?
特に食卓のシーンはそうでした。「別れた夫のことを話す」とか、何となく会話の内容は決まっていたんですけど。
もちろん何度も繰り返すので、だんだん固まってくるんですが、監督は固まることを嫌うので…。
「別れた亭主から電話があってね」という阿川さんの言葉に対して「ちょっと待ってください。当てていいですか?」と言ってみたり…“生”の感じを求めるというか、そのテイクごとに新しいことが起きないとOKが出ないんですね。
――浩輔が妙子にお金を渡そうとするシーンでは、松永監督は阿川さんに「受け取らなくてもいいです」と伝え、鈴木さんには「絶対に受け取ってもらうように」と指示されていたそうですね。妙子としては当然「受け取れません」となるわけで、それをどう説得して受け取ってもらおうかと思案し、苦慮する様子が伝わってきました。
あれは本当に決まってなくて…。台本に書いてあることはガイドみたいなことで、それじゃ妙子さんを説得できないんですよね。当然、断られるわけです。
どうすればいいのか…?いや、あれはそもそも断られて当然の無理な交渉なんですよね。
なんで自分はこれをそこまでして受け取ってもらいたいのか――?それを言葉にすると、自分が正気ではいられないような気がして…。でも、そこまで踏み込まないとこの人は受け取ってくれないんだというところに気づいていきました。
――最初は「龍太くんを応援してまして…」という言葉を口にされますが、言いながら「いや、この言葉は違うな」と感じているのが伝わってきます。かといって、単に「お願いします!」と頭を下げるのではなく、何とかして自分の“言葉”で思いを伝えないといけないという、役柄を超越して、鈴木さん自身の“誠実さ”みたいなものがにじみ出てくる最高のシーンでした。
「応援」と言ったはいいけど「その言葉じゃないんだよなぁ…」というのが自分でも感じられて。なかなか自分の気持ちを言葉で説明できなかったんです。
なんというか、ああいう撮り方で、本当に嘘のないものを見せたいと思ったら、半分くらいは“自分”を混ぜていかないと…いや、半分以上ですね、浩輔の8割方は僕自身だと思います。
自分の見せたくない生々しい部分、傷みたいなものを見せないと成立しない役だったように思います。
――現場で浩輔という人物に向き合い、自身の中からわき上がってきた感情を取り込んだからこそ、繊細さや弱さ、葛藤が生々しく伝わってきたんですね。いま、おっしゃったような、“役に自分を混ぜていく”アプローチの面白さや大変さについて教えてください。
怖いですね。それって僕自身が魅力的な人間じゃなかったら、役も魅力的に見えないということじゃないですか?僕は自分を魅力的だと思えるほど自信家ではないので、本当に怖いですよね。自分の繊細さであったり「自分だったらこうする」というのを前面に押し出さないといけないわけで…。
「自分の生々しさに賭ける」というやり方は、もしかしたら20代から仕事が順調にいっていた人間だったら自信を持って当然のようにできるのかもしれませんが…、僕は、否定とは言わないまでも、「求めているのは君じゃないんだよ」と突きつけられる経験を現場やオーディションなどで重ねてきたので「こんな自分で勝負できるわけがない」という強迫観念みたいなものがどこかにあるんです。
それでも勇気を持って「でもこれしかないから」と自分を解放させようと思えたのは、即興に近い今回のような撮り方の作品だったからこそできたのだと思います。
もちろん、セクシュアリティという部分で、ゲイの方たちがこの作品を観た時、リアルな物語、自分たちの物語であると納得していただけるものにしなくてはいけないということは、また別の側面としてありました。そこは監修の方と相談しながら作っていますが、そうは言っても、浩輔という役のほとんどは“自分”という感覚でやっていました。それは本当に怖いことでもありました。
<以下、映画中盤以降のネタバレを含んだ内容となります。未見の方はご注意ください>
映画を通じてそれまでの“常識”を疑う
――映画の公開と重なるタイミングで、同性婚の法制化についての議論が巻き起こっています。劇中でも浩輔の友人が婚姻届けを手にする描写などが出てきますが、例えば浩輔と龍太の関係性も、男女の関係性であれば、婚姻によってカップルが経済的な部分も含め、互いを支え合うというのはごく当たり前のこととして受け止められていたかもしれません。本作への出演を経て、いま、社会で議論されていることに対して、どのような思いを抱いていますか?
原作者の高山真さんのエッセイなどを読ませていただくと、果たして彼らの関係性で「結婚」まで至ったかは分かりません。もしかしたら結婚していたかもしれないし、たとえ同性婚が法制化されていたとしても、そうはならなかったかもしれない。そこは彼らだけにしか分からない部分ですので。
ただ、僕がこの作品で演じていてつらかったのは、お葬式のシーンで、あんなに愛し合っていたのに、なぜ浩輔は堂々と龍太の“恋人”としてお母さんを慰めてあげられないのか? 親族側とは言わないまでも、関係者として参列できないのか?そもそも、当日に病院に駆けつけて慟哭することだってできたかもしれない。
葬儀のシーンでも、浩輔は絶対に恋人であったとバレちゃいけないので、さっと済ませて早く帰らなきゃいけない。
――泣き崩れながらも「大丈夫です! 大丈夫です!」と気丈にふるまおうとする姿に胸が締めつけられます。
自分が泣き崩れたことで関係がバレたとしたら、どれほど周りに迷惑をかけるのか?でも、それってとても悲しいことですよね。一番大切な人が死んでしまって、それでもお葬式で「周りに迷惑をかけちゃいけない」と思うのは。
同性婚や法律的な部分での整備に関して、僕は進めるべきという意見ですが、それと同時に自分たちの意識を変えていくことも大切だなと感じています。いままで育ってきた環境で身に着けた“常識”と言われるものだったり、価値観を自分で疑っていくということ、「これってどうなんだろう?」と自分で自分に問いかけることが大事なんだと思います。
この映画に出演させていただいたことが、LGBTQ+について考えるきっかけになりましたが、他のイシューに関しても、自分の中に気づかないままの“偏見”ってまだたくさんあると思うんです。(映画作品など)エンタテインメントを通して、そこに気づかされるということもすごく多いです。
だからこそ僕らは、映画やドラマをみなさんに観ていただき、「いや、その描き方、こうしたほうがいいんじゃないの?」という前向きな意見もいただいて、お互いに前に進む力を高め合っていくことが重要だなと今回の作品を通じて感じました。
(text:Naoki Kurozu/photo:Maho Korogi)
■関連作品:
エゴイスト(2023) 2023年2月10日より全国にて公開
© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会