あの大洪水からの復興、カシオのタイ工場を訪れた - 時計に加えて電卓・電子辞書のマルチ生産へ歩みを進め、世界の拠点へ
カシオ計算機の生産拠点および生産会社であるカシオタイにて、2014年の7月、新設された第三工場の開所式が執り行われた。カシオタイは時計だけの生産拠点だったが、2014年6月に電卓の生産を開始しており、同年10月からは電子辞書も手がけるようになる。
タイといえば、2011年に同国を襲った大洪水が記憶に新しい。カシオタイの工場(タイのナワナコン工業団地)も大きな被害を受け、同じ場所での再建を断念した。しかし、翌年の2012年3月には、タイのナコンラチャシマ県(通称はコラート)で新工場を稼働させ、生産を再開。タイの首都であるバンコクからはかなり遠くなったが、約1年半で前工場の生産量に回復させた。
ちなみに、ナワナコン工業団地の旧工場はバンコクの中心部から約45km、コラートの新工場は約300km(車で約4時間)の距離だ。旧工場の海抜は4m、新工場は海抜200mの土地なので、新工場が洪水に見舞われる可能性は皆無といってよいだろう。
コラートのカシオタイ工場は、約14万5,600平方メートルという広大な敷地面積を誇る。第一工場は時計のケースやバンドといった樹脂成形部品および電子部品の基板実装がメインで、第二工場でG-SHOCKなどの時計を組み立てているが、新設の第三工場ではまず電卓と電子辞書の生産を行う。第三工場は延床面積が9,960平方メートルの鉄骨1階建で、月産110万個の生産能力を有す。電卓と電子辞書の増産はもちろん、それ以外の新規品目が増えても十分に対応できる拡張性とレイアウトで設計されている。
○現地と良好な関係を築くカシオタイ
第三工場の開所式では、多数の来賓と出席者が着席する中、カシオタイ 前・代表取締役社長の狩佐須完夫氏(2014年6月に退任、新社長は臺場(だいば)秀治氏)、ナコンラチャシマ県知事のトンチャイ・ルーアドゥン氏、カシオ計算機 取締役専務執行役員 生産資材統轄部長の村上文庸氏がスピーチ。
前社長の狩佐須氏は、延べ8年半に渡ってカシオタイで業務にあたってきたが、洪水による被災に遭い、新工場への移転と立て直しの指揮を執った。そして「洪水リスクのないコラートでの復興を決定し、2年間で完全な復興を遂げ、新しい第三工場で電卓の生産も開始できた。第一工場と第二工場の改修、および第三工場の建設においては、現場サイトのアイデアを随所に織り込み、さらなる品質と生産性の向上を確信している」と語った。
トンチャイ・ルーアドゥン知事は、まずナコンラチャシマ県(コラート)を簡単に紹介。コラートはタイ東北部の入り口に位置し、交通、経済、社会、環境の分野で地域の中心的な役割を果たしている。主な産業は、観光、物流、農業、タピオカなどの加工品であり、再生エネルギーの発達を通じて経済を成長させている。また、海外資本や企業の進出が活発化しており、産業発達と地域開発が目覚ましい。カシオタイについては、「社会と環境を意識して経済を促進する模範的な企業だと実感した。この地で創業してくれたことで雇用を拡大でき、お礼を述べたい。今後もお互いに良きパートナーとして、コラートはもちろん、タイと日本の関係が発展することに一層の努力を重ねる」と祝辞を述べた。
カシオ計算機の村上専務は、現地の関係者に謝意を示すとともに、「カシオタイの工場は将来的な機能拡張を視野に入れ、生産拠点が中国に一極集中するリスクの分散も考慮」と、企業戦略の一端を紹介。
「カシオタイをマルチ品目生産できる主要生産拠点にしていく。ASEAN(東南アジア諸国連合)サプライチェーンの確立にご協力いただき、ともに発展、成長してまいりたい」とまとめた。
●写真で見る、カシオタイの第三工場(電卓の生産ライン)
○写真で見る、カシオタイの第三工場(電卓の生産ライン)
カシオタイの第三工場へ取材に訪れた時点で、すでに関数電卓の生産ラインが稼働していた。関数電卓を組み立てる様子を、写真で紹介しよう。
カシオ計算機は、カシオタイのほかにも、中国、そして日本国内には山形カシオという生産拠点を抱える。これらの工場は、製造・生産技術でも工場運営でも、世界のトップレベルだ。何においてもそうだが、無駄を減らして効率化したり、ミスを減らす工夫をしたりするのは大切なこと。
モノを生産する工場であれば、単位時間あたりの生産数が増え、かつ不良品の割合が低くなることで、単純に製品のコストが下がる。
企業の利益アップにつながるし、製品の価格が安くなればユーザー側としても嬉しい。詳細は省くが、カシオタイの工場では、工場内部や生産ラインのレイアウト、人と資材の動線といったところまで、細かく最適化を図っている。●カシオタイの前社長と現社長に聞く - マルチ生産拠点として飛躍するタイ工場
カシオタイ第三工場の開所式と工場見学に続いて、カシオタイ 前・代表取締役社長の狩佐須完夫氏と、現在の代表取締役社長である臺場秀治氏にお話をうかがった。
冒頭で述べたように、カシオタイの工場は主にG-SHOCKなどの時計を生産してきた。旧工場が2011年の洪水で被災し、現在の工場に移転してから着実にさまざまな整備を進め、旧工場をしのぐ生産能力を有するようになった。洪水の被災から工場移転を含め、2014年6月までカシオタイを指揮してきたのが前社長の狩佐須氏だ。「時計の生産については、新工場は当初の公表値で月産約70万台の生産能力でしたが、今年(編注:2014年)の6月には月産80万台を達成しました。現在の設備としては100%近い台数ではあるものの、余力はまだまだあります。」(狩佐須氏)。
新工場に移転したとき、旧工場から引き続いて移ってきた人員は300人足らず。それでもカシオ側から見れば、旧工場から約250kmも離れた新工場へと、300人もの従業員が移ってくれたことにとても感謝しているという。
現在は約1,800人を抱える新工場だが、稼働した当初はほとんどが新人という状況だった。人員の習熟度が高まるにつれて生産性が向上するのはもちろんのこと、狩佐須氏をはじめとする経営トップは、現場の意見を積極的に採り入れてきた。1つの例が、前ページでも紹介したセットアップルームだ(生産ラインに流す部材を品目ごとにまとめて待機させる場所)。狩佐須氏は「生産性」を特に強調する。
「重要なのは、生産ラインにどれだけ効率的に、材料を供給できるかです。組み立てる部品がなくなったら、セットアップルームに取りに行くことで、スムーズに生産を再開できます。
無駄な時間を極力なくし、いかに機会損失を少なく生産するかに取り組んできました。新工場の稼働当初と比較すると、だいたい20%は生産性がアップしています。時計に関しては、月産80万台から、月産100万台の体制までは持って行けると考えています。」(狩佐須氏)。
そして今回、新たな第三工場で関数電卓の生産を開始。2014年10月には電子辞書の生産も始める。これには多様な企業戦略が関わってくるが、1つの目的はいわゆる中国リスクを減らすことだという。部材の調達先もASEAN諸国へと拡げ、有力な生産拠点であるカシオタイ工場で作る製品(の種類)と生産割合を高めていく計画だ。将来的には、中国で生産している電卓と電子辞書の50%を、カシオタイ工場で生産することを目安とする。
先にも述べたが、第三工場は月産110万台規模の生産能力を持つ。
カシオタイ工場の生産能力が一定の水準を超え、将来的な方向性が定まったところで、狩佐須氏から臺場氏へと社長がバトンタッチ。臺場氏は「カシオタイの工場は、もともと時計の生産で成長してきました。今回、電卓と電子辞書という新しい製品を生産することになり、『マルチ生産』の拠点として、さらに成長させることが私の使命です。」と力強く語る。
なお、カシオタイの新工場は、約14万5,600平方メートルもの敷地面積がある。現在は空き地になっている部分も多いのだが、全体に対する敷地使用面積の比率は約65%で、そのうち工場建屋は約3万平方メートルとのことだ。残る35%の敷地面積は今後の拡大予定となっており、生産能力にまだまだ伸び代があることは、大きな強みといえる。
狩佐須氏も臺場氏も、タイの現地従業員を高く評価している。タイは「微笑みの国」とも呼ばれ、信仰に厚く、ファミリー的な国民性だ。仕事に対しても真摯に取り組んでくれるという。カシオタイは(現地目線で見れば)外資系の企業として、現地の人々に気持ち良く働いてもらうのは大切なことだし、陳腐な表現だが「Win Win」の関係を築けていることが、成長の原動力となっているのだろう。
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