宮沢りえ、7年間舞台に専念した理由明かす「自分の無力さを感じたから」
宮沢は「30歳になって野田秀樹さんの『透明人間の蒸気』という舞台に参加させてもらって、あまりに自分の無力さに驚いて、このままじゃいけないと思った」と言い、「40歳になるまでにできるだけ舞台に心も時間も費やしたい」と舞台に専念することを決意。「40代になった時に、舞台に立っていられる役者になりたい」と目標を立てたという。
多くの舞台を経験し、「たくさんの発見があって、学んだこと、豊かになる部分がいっぱいあった」と自分を成長させた宮沢。40代になって「バランスよく映像と舞台とやっていこう」と思った時に『紙の月』のオファーがあり、「やろうと思った時に来たというタイミングがすごかったので、この7年間で得たものを映像の世界に返そう、放出しよう」と明かした。
吉田大八監督も、宮沢が舞台に専念していた7年間について、「蜷川幸雄さんとか野田秀樹さんとか世界的な舞台の演出家とお仕事されていて、一方で、映画からちょっと距離をとっているように見えていたので、映画の人間としては悔しいというか」とコメント。そして、「一か八かオファーしたらやってくれると言ったので、自信になりました」と宮沢出演の喜びを語った。
「タイミングがよかっただけというのはあとで知った」という吉田監督だが、「この映画が勝負できる映画なんだと、自信を改めて持ったのを覚えています」と振り返ると、宮沢は「グッドタイミングなだけではなくて、監督にもちろん興味があった」とフォローしていた。