山田孝之、働き方の転機「年2本がベスト」俳優を目指す人と後輩のために
●シングルファザー役の試写「本当につらかった」
「基本的に、作業はすべて同じです。その人として、その期間を生きるということ」
これまで数々の難役と対峙してきた山田孝之が、約20年の俳優人生で導き出した1つの答え。常に人々を驚かせ、多彩な役柄を通して魅了してきた彼が、主演映画『ステップ』で初のシングルファザー役に挑んだ。新型コロナウイルスの影響での延期発表から3カ月、7月17日にようやく公開日を迎えた。
ある日突然妻を亡くし、一人娘を育てることになった会社員・健一の苦悩と葛藤。山田は他の役と等しく身を捧げたが、そこには「複数の役を並行して演じない」という18年前に設けた“仕事の掟”が生きている。
彼はなぜ、「年2本」を目標として掲げるのか。プロデューサーや監督など俳優業以外の分野への進出、そして『全裸監督』(Netflix)といった“規格外”の仕事にも意欲的に挑戦し続けるのは、「後輩たちや、今、俳優をやっていない人」のためでもあるという。
山田孝之の「働き方」の転機、そして信念に迫る(インタビューは2020年3月27日に実施)。
○■「素の山田」発言の真意
――シングルファザーの役は初めてだったそうですね。
過去にこういう役のオファーが来て断った記憶はないですけど、このオファーを受けたのも4年前なんですよね。ただ、「今、この作品をやったら、どういう感じなのかな」とは、いつも考えます。それは見る側もそうだし、自分も。あとは、飯塚(健)監督と笑いメインの作品を2つやってきたので、こういう作品をやったらどんな感じなんだろうという興味もありました。あと、僕は結婚して息子がいるんですけども、妻を失うのはどういうことなのか、娘を育てるのはどういうことなのか。そういったことを健一の人生を通して見てみたいとも思って、今回オファーを受けました。
――公開記念舞台あいさつでは、「ついに素の山田を出しました」とおっしゃっていましたね(笑)。
あれはまぁ、盛り上げるために(笑)。そもそも、「素」なんていうものはないんですよ。そう言った方が観る人に伝わりやすいかなと思って。いわゆる役を作って、ガチガチに作り込むことがお芝居ではなくて、役を演じるということは結局、「その人の人生を生きる」ということなんです。ただ、動き方や喋り方、服装も普通だと芝居をしていないと感じる人もいるので、「素」と言うと分かりやすいかなと思いました。
――1カ月ほどの撮影で、飯塚健監督は山田さんを見て「すごくしんどそうだった」と。
めちゃくちゃしんどかったです。
亡くなった妻のことをずっと思い続けているので……でも、実際に僕の中にその思い出はない。健一が奥さんと出会ってから付き合ってた期間、子どもが生まれてから奥さんが亡くなるまでの期間の思い出は、すべて自分で考えて補填しないといけない。それをずっと1カ月間やり続けているので、精神的にはかなりきつかったですね。
自分の中で「創り上げる」ということも大変なんですが、その上で気持ちをそこに持っていき、維持し続けなければならない。しかも、その気持ちは、とてもつらい感情です。いてほしい、でもいない。自分がこんなにつらい時に、何でいてくれないんだ。でも、本当に生きていたかったのは彼女の方。
娘と関係がうまくいかなくなって、悩み事も自分に話さず友達に話して……なんなんだよ。でも、奥さんはそんなことを思うことすらできなかった。妻は本当にかわいそうだ……ずっとそういうことを思いながら。
――ちなみにご自身の中での死生観に影響はありましたか?
僕も知り合いや親族で亡くなっている方はいるので……ただ、妻が亡くなることとはまた違いますよね。悔しさがより強いというか。例えば、病気だったとすれば妻を守れなかったこと、病気に気づけなかったこと、なんとかしてあげたかったのにできなかったこと。もっと一緒にいたかったし、妻ももっと一緒にいたかっただろうし。ただただ悔しいみたいな感覚が強いですかね。
さびしいというよりも、悔しい。今、こうして話していてあらためて思いました。その感情がすごく強かったです。
――試写で客観的にご覧になっても?
全然分からないですね……。僕からすると、つらかった記憶を見せられているので。撮影期間は1カ月でしたが、健一として生きた10年間の大変さを「改めてご自身で見てください」となると……本当につらかったなぁ。
●監督やプロデュース業に挑戦する本当の意味
――どのような作品でも、そういう向き合い方なんですか?
基本的に、作業はすべて同じです。その人として、その期間を生きるということなので。
――他の作品と重なった時はどうするんですか?
それは18歳の時からやってないです。うまくいかないと思ったので、「今後、一切掛け持ちはしない」ということを事務所と話し合って。それ以降は、掛け持ちしないでやらせていただいてます。
――何かきっかけがあったのでしょうか。
18歳の時、連ドラをやりながら単発の2時間ドラマをやって、他の仕事もやったりしていて。自分がいて役がいて、そこを行き来するだけでも大変な作業なのに、もう一人の人格が増えると訳が分からなくなる。仮に2つの作品を並行してやって、50%と50%ぐらいの力が出せれば良いんですけど、僕の感覚ではたぶんそうはならない。20%と20%ぐらいになってしまうと思います。
であれば、スケジュールを縫ってやるのではなく、片方は諦めて、1つに100%を注ぐことを選んでいます。
――そこから18年ほど経ったわけですが、そのスタイルは一貫しているんですか?
そうですね。東日本大震災の時に撮影がストップして、多少作品が重なったこともありましたが、基本的には一貫しています。作品が終わってから、次の作品に入る。スケジュールの都合上、数日しか空かないこともありますが、基本的には1週間ほどは空けさせてもらうようにしています。
そういえば、過去に京都で撮影があって、終わったその日の夜に東京に帰って、翌朝別の作品にクランクインしたことがあって。これはもうスケジュールを縫ってることと変わらないなと思って、最低でも数日は空けるようにしています。
○■出演作を増やさないと生活が維持できない
――多くの人々が「働き方」を見つめ直す時代になっていますが、山田さんにとっては今がベストな「働き方」なんですね。
僕が思うに、俳優にとってのベストな「働き方」は年2本です。準備期間がしっかりと作れて、その役の身なりから内面までをしっかりと作り込むことができる。これが、年5~6本になるとそこまで本気に作り込めない。これは10年以上前から周りの俳優とも話してますけど、「年2本ぐらいがベストだよね」とみんな言ってます。そこまで細かく考えず、多くの作品をこなすことが好きな方もいらっしゃるかもしれませんが、年2本で生活が成り立つのであれば、みんなそちらを選ぶと思います。
ただ、年2本でも結構大変だと思います。僕は36年生きていて、36年の経験がある。そこをもとにキャラクターを作っていく。もちろん、小説や原作から「架空の情報」も含めて反映させていきますが。例えば今回でいえば、撮影1カ月で健一の10年間を演じる。健一の人生を作るわけです。この「人生を作る」という作業を年に2回やっていると、一年で2人の一生と向き合うことになります。そうなると、自分の人生経験が足りなくなってくるわけですよ。僕の中に入ってくる情報は、1年で365日分しかないのに、2人の人生を作るということは700日分を超えてしまう。これが5作品とかなってくると、それぞれの差を出せなくなる。もちろん、差を出すことだけが正解ではないですが……そこまで役を作り込まなくて仕事をする意味とは、一体何なんだろうと思ってしまいます。
――近年は、監督業やプロデュース業にも挑戦されていますが、そこは今の「働き方」には含まれていない領域ですか?
俳優は「心」が主です。もちろん、客観性も必要で、頭で考えなければならない部分もあるんですけど。プロデューサーと監督は使う脳みそが逆でした。監督は右脳……いや、どっちもだな。プロデューサーはもっと引いた側なので、スタッフとキャストがベストパフォーマンスに近づくためのお手伝いというか。
――俳優業をこれからも続けていくために?
僕は自分なりに俳優を続けられるとは思うんですけど、僕以外が俳優を「続けたい」と思うようにするためには、プロデュースはやっておくべきかなと。そもそも、なぜ、パフォーマンスは落ちるのに年に5本もやらなければいけないのかというと、そこまでしないと生活が維持できないからです。年2本に全力を注いで生活が維持できるようにするためには、どういう仕組みを作ればいいのか。それを作れるのがプロデューサーの仕事なんです。すばらしい俳優は本当にたくさんいます。その方々に続けてもらうためには、どう自分が頑張ったらいいのか。模索しながらやっています。
●『全裸監督』『ヨシヒコ』『ウシジマ』の共通点
――俳優業ですぐに生活が維持できる人も一部なんですか? 下積みが大変というイメージがあります。
下積み……経験値は大事ですけど、未経験でもオーディションに受かればそのまま俳優一本で生活を維持できるようになる人もいます。経験が少なくても、それ相応の仕事をして、評価を得たのであれば、しっかり対価をもらうべきだと思います。あとはしっかりと労働環境を整えること。睡眠時間を削って毎日撮影だと、質が下がるのは当然なので。キャストやスタッフ含め、事故やケガの可能性だって上がります。プロデューサーをやったのは、そういった理由です。
――これからの若手たちのためにも。
そうですね。後輩たちや、今、俳優をやっていない人に向けても。10年後、20年後、30年後に俳優をやる人へ。今の状態のまま進んでいくと、将来も変わらない職場環境であることは確実なので。自分が今できることをやっていれば、俳優なんか興味なくてYouTuberになりたいと思うような人でも、「映像の世界って、すてきだな」「俳優やってみようかな」「監督やってみようかな」みたいに思えるような状況にしておきたいですからね。すごい才能の持ち主が日本にはたくさんいます。その質をもっと上げて、もっともっと世界へ羽ばたいていって、世界から「日本もどんどん良いものを作るようになった」と思われるようになればと。
○■数%の熱狂的なファンができればいい
――最近は映像配信サービスも活況なので、その土壌は整ってきたと言えそうですね。
そこも考えて、『全裸監督』に出演しました。別に、「『全裸監督』をどうしてもやりたかった」わけではないんですよ(笑)。日本の題材で、日本のスタッフとキャストで、世界に向けて作品を届けるためにやりました。
――ものすごい反響でしたね。山田さんにとっても、一定の成果はあったと。
多くの人に見てもらえたので、それが何よりも成功ですよね。撮影している最中は、僕らもスタッフも、「題材が題材なので1%か3%ぐらい熱狂的なファンができればいいな」ぐらいにしか思ってなかった。
そういえば、『ヨシヒコ』や『ウシジマ』も、「数%の熱狂的なファンができればいい」と思っていました。ゴールデンではなくて、深夜ドラマということの意味もあったので。単純に見られる数が少ない。だったら、人気になるまでシリーズとして続けようと。基本的に、僕は続編を嫌いな人だったんですけど、逆にしつこく続けました。
――貴重なお話、ありがとうございました。大変な状況ではありますが、記事を通して作品の魅力が伝わればと思います。
ありがとうございました。『ステップ』を終えて妻に優しくなったというか……感謝の気持ちですね。分かりやすいのは、お皿をちょっと洗っておこうかなとか。義理の父との関係性も描かれていますが、うちの奥さんもたまに息子を連れて実家に遊びに行って、何かをもらって帰って来たりするんです。この作品を撮り終えてから、「ちゃんと電話とかした方がいいのかな」「たまにはお礼を言いに会いに行ったりした方がいいのかな」とか、これまで以上に気に掛けるようになって。
そうやって相手のこと、相手の時間、相手の気持ちを考えることが少しだけ増えました。そういう作品になるだろうとは思ってましたし、しなきゃいけないとも。一緒に生きている人、それが観ている人にとっては奥さんなのか、子どもなのか、親なのか。結局、みんな一人では生きていけない。みんなで一緒に生きている。その自分の近くにいる人を「家族」だと思って。そこに血縁は関係ありません。自分の近くにいる「大切な人」のことを考える時間が増える作品になったと思います。
一人でも多くの人に届けて下さい。宜しくお願いします。
■プロフィール
山田孝之
1983年10月20日生まれ。鹿児島県出身。1999年に俳優デビューし、2003年に『WATER BOYS』(フジ系)でドラマ初主演。主演をつとめた映画『電車男』(05)は社会現象にもなった。その後『闇金ウシジマくん』シリーズ(12~16)、『勇者ヨシヒコ』シリーズ(11~16)などのドラマで存在感を発揮。主な出演映画は『クローズZERO』シリーズ(07~09)、『凶悪』(13)、『映画 山田孝之3D』(17)、『50回目のファーストキス』(18)、『ハード・コア』(18)、自身のドキュメンタリー『No Pain, No Gain』(19)など。2019年には主演ドラマ『全裸監督』(Netflix)が全世界に配信され人気を博す。また、映画『デイアンドナイト』(19)ではプロデュース、ドラマ『聖おにいさん』では製作総指揮をつとめたほか、ミュージカルなどその活動は多岐にわたる。