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開拓者たちの「Now and Then」 - クリエイターの祭典「eAT KANAZAWA 2015」(4)

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開拓者たちの「Now and Then」 - クリエイターの祭典「eAT KANAZAWA 2015」(4)
●クリエイティブ業界のキーパーソンがキャリアを振り返る

「eAT KANAZAWA 2015」最後のセッションでは、「コミュニケーション~eATがつないだ才能」と題して、モデレーターに中島信也氏(東北新社専務取締役)、パネリストには秋山具義氏(アートディレクター)、小西利行氏(コピーライター)、加藤拓氏(NHK・エグゼクティブプロデューサー)という、クリエイティブ業界でも影響力の高いメンバーが壇上に上がった。

モデレーターである中島氏自身はCMディレクターとして、原始時代の大地を舞台に、槍を手にした原始人の狩人集団が巨大な野生動物に追いかけられるストップモーションが印象的な日清食品のカップヌードル「hungry?」シリーズや、アクロバティックな器械体操を作品化したサントリーの燃焼系アミノ式「グッパイ、運動。」シリーズなど、話題作で多数の受賞歴を持つ伝説の人物だ。そんな氏が冒頭に「なんだかベテランばっかり集まっちゃった」と笑いながら、自身のキャリアについて「決して順風満帆ではなかった」と切り出した。

氏は東北新社に入社後CMプランニングを何本か手がけるが、その結果は「イマイチだね」と反応も薄く、中にはその場でプロジェクトを降ろされ別の人に交代させられるという仕打ちに会い「毎日クビにならないように生きていくのに必死だった」という。その中でさまざまな人と出会いつながることでコミュニケーション能力を高めた氏は数々の「名作」と呼ばれるCMたちを作り上げていった。「自分はクリエイターではなく調停者だった」と振り返るが、それでも「未来的なものは好きだった」と自身の作品を提示し、常に最先端なものとは何かを意識していたという。

秋山具義氏が振り返る自身のキャリア

それを受けて、秋山氏も自身のキャリアを振り返った。秋葉原生まれの生粋の東京人である氏は、日本大学藝術学部を卒業後「ほかにどこも採用してくれなかった」ということでI&S BBDOに入社。
アートディレクターとして数多くの作品を輩出することになる。

最近のものでは、AKB48のCDジャケットシリーズや、壇蜜、前田敦子、ふなっしーなどの写真集のデザインや、TOYOTAの「もっとよくしよう」キャンペーン、Samantha Tiaraの冬コレクション、マルちゃん製麺のパッケージデザイン、UHA味覚糖と進撃の巨人のコラボ「進撃のちょ人」など、とにかく挙げればきりがないほど、その作品は我々の目の前にある。「そもそもキャリアプランなんてなかった」と語ったが、それでも仕事を通じてさまざまな人と交流する中で自身のスキルやコネクションを広げていった結果が今の自分につながっているのだと感じているという。

●「とにかく無我夢中で駆け抜けてきた」
小西利行氏のコピーライティングのキモ

次いで、小西氏も「自分の人生もそんなに華々しいものではなかった」と話し始める。大学卒業後、博報堂に入社したが、そこで最初に行われる「適性試験」の結果、氏はコピーライターとして制作局に配属された。しかし実は「定員12名のところに13番目の補欠として入れられた」とあとで聞かされたというほど、当初の氏にはコピーライティングのセンスがなかったという。

「とにかく書けなくて、毎日先輩や上司に怒られた」というが、その中でコピーライティングの本質を自分なりに理解したという。大切なのは「伝える」ことではなく「伝わる」ことが重要なのであって、コピーライトの意義はここにあるのだと氏は考えている。
「膨大なメッセージの中から、もっともわかりやすく理解しやすい言葉を抽出して見せる」という手法に基づいた作品は、日産自動車のセレナ「モノより思い出」やソニーのプレイステーション「暮らし、イキ!イキ!」、サントリー「伊右衛門」の一連のシリーズや、秋山氏と手掛けたTOYOTAの「もっとよくしよう」キャンペーンなど明快なメッセージを持つものが多い。「初日の菅野さんのメッセージに《Art, Copy & Code》というフレーズが出てきて本当に嬉しかった」と述べるが、クリエイティブの間でどうしても見落とされがちなのがコピーライトなのだという。「ここを拾い上げていく人生だったが、結果として良かったと思う」と振り返り、これからもコピーライトの持つチカラを広げてクリエイティブを広げていきたいと熱く語ってくれた。

○大河ドラマ「八重の桜」に傾けた情熱

3人目となる加藤拓氏は「壇上にいるパネリスト3人ともが同世代」というキーワードをひもときながら、自身のキャリアを紹介した。NHKのドラマ部門に所属し、エグゼクティブプロデューサーとして活躍する氏だが「実は手掛けた作品はそれほど多くはない」という。それは、司馬遼太郎氏原作のドラマ「坂の上の雲(2009~2011年)」の制作に携わっていたからだという。放送そのものは3年、氏が担当したのはその中の第3部(2011年)だったが、プロジェクト自体は10年以上かけて準備されたものであり「10年間一本の作品を作り続けたのはちょっとない事例」という本人の弁もあるとおりの異例のものだったが、そのクオリティの高さは、頻繁に再放送を繰り返されいることからも人気の高さが伺える。デジタル技術にも積極的な意欲を見せる氏は、演出を担当した大河ドラマ「八重の桜」をメイキングを含めて紹介してくれた。
坂の上の雲に続いて手掛けた歴史物だったが「よりリアルな表現がしたかった」ということで積極的にCGによる合成を導入。鶴ヶ城はもとより、江戸城の松の間、京都御所前のシーンなど通常のセットでは組めないようなスケールでの展開を毎週放送のある大河ドラマの枠でやってのけた。「おそらくこれだけの量のCGを合成で使ったのは大河ドラマ史上では最多」の演出も説得力のある表現に積極的な氏ならではの取り組みだ。最近では「歴史物以外もやりたくて」と村上龍氏原作の「55歳からのハーローワーク」を手掛けるなど自身の演出技法の幅を広げるのに余念がない。

4人の共通として、「とにかく無我夢中で駆け抜けてきた」という認識があるのだという。先の事など考える余裕もなく「今を生きるのに精いっぱい」で、むしろ未来を見据えて何かをしようと考える若手たちには自分たちにはないものさえ感じる、というのが正直な感想のようだ。しかし、そんな中でも変わらないのは「人の縁」であり、このeATに参加したことが新たな繋がりを生んで次のクリエイティブワークへと進んで行っているのは間違いない。eATは発見の場であり、同時に出会いの場であることを登壇者自身も自覚している、まさに「eATがつないだ才能」というタイトルにふさわしいセッションとなった。


○交流こそがeATの本質

普通のイベントであればここで終了といったところだが、eATの「本番」はある意味ここからである。セッションの後には恒例の「夜塾」が開催された。この夜塾では、テーマや分野ごとにわかれた5~6人で編成された小さなグループを複数作る。参加者はその中から好きなグループに加わってディスカッションすることが可能だ。内容も昼間のセッションに関連したものや、クリエイター自身たちが関わっていたり普段考えていることなどを聞いても構わない。中には自分のビジネスプランや進むべきキャリアなどを質問するなど、まさに「制約なし」の自由な時間でトップクリエイターたちと文字通り「膝を突き合わせて」語り合うことができる時間が提供されている。

夜塾に参加するメンバーは登壇者のほかにも土佐氏や中島氏といった実行委員、さらにはスペシャルゲストの林信行氏(ジャーナリスト)、菱川勢一氏(映像作家)、川井憲次氏(作曲家・ミュージシャン)、樋口真嗣氏(映画監督)などが加わり、さまざまなジャンルのプロたちと夜通し熱い語り合いが続いていた。行政主催のeATは今回いったん終了となるが、実行委員長の中島氏を中心とした運営メンバーの士気は高く、来年以降もイベントそのものは民間主体に軸を移したまま継続するという。
日本の最先端クリエイティブを牽引するタレントたちが一堂に会するだけでなく、直接意見交換をできる機会までが提供されている「奇跡的」とも呼べるこのイベントだが、地元金沢以外からの参加も「クリエイターの育成」という視点で見るとメリットも大きい。生まれ変わるeATが来年、どういった形で開催されるのかも含めて注目すべきイベントだ。

(氷川りそな)

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