ミキ、マルチに活躍も「主軸はあくまでも漫才」 “間違い”に気づけたM-1敗退も語る
●「お笑いコンビじゃなく、“漫才師”と言われたい」
兄弟ならではの息の合ったしゃべくり漫才で人気を博す、お笑いコンビのミキ。『M-1グランプリ』でも毎年注目を集めている2人は、バラエティ番組に引っ張りだこで、それぞれが俳優や声優としても個性を発揮している。
■「自分らのことを芸能人と思ったことは1回もない」
様々なフィールドで活躍しつつ、漫才師としてコンスタントに舞台に立ち続けているミキ。初のオフィシャルブック『ミキ、兄弟、東京』(4月13日発売)では、2019年4月に大阪から東京へ拠点を移してからの2年間が記録されている。2人を直撃し、これまでの足跡を振り返ってもらい、準々決勝敗退で自分たちを見つめ直すきっかけにもなったという『M-1グランプリ』への思いや、“漫才師”という肩書きにこだわる理由を語ってもらった。
――大阪から東京に拠点を移して2年経ちましたが、上京して良かった点とは?
亜生:良かったのは、芸能人を間近で見られることです。僕はめちゃくちゃミーハーなので、芸能人と一緒にご飯に行けることも、一緒に写真を撮れることもすごくうれしいです。最近は永野芽郁ちゃんにメロメロです。
昴生:僕もです。確かに芸能人の友達は増えました。
――お二方も今や人気芸人ですし、同じ芸能人というくくりではないですか?
昴生:いや、僕たちは自分らのことを芸能人と思ったことは1回もないです。だから、毎日芸能人に会えるのがうれしくて。マネージャーから仕事の連絡が来たら、どんな仕事かだけではなく、ゲストが誰かというのも、めちゃくちゃモチベーションにつながります。この前は、永野芽郁ちゃんに会えて、めっちゃうれしかったです。
亜生:気合入りますが、ただただ空回りしてしまうこともあります(笑)
――上京したことでのマイナスポイントはありますか?
亜生:物価が高い。
昴生:そこはびっくりしましたね。
亜生:正直、東京で1カ月の駐車場代だけで、大阪ではワンルームが借りられます。
昴生:家賃などいろんなものが高いので、僕は嫁に任して、一切見ないようにしています。飯も高い。でもまあ、東京に住むのが長くなったらその感覚も変わるとは思いますが。
■コンビ歴9年も兄弟歴32年「漫才師として武器に」
――テレビ出演が増えたことで、漫才に注ぐ時間が減ってしまうという葛藤もあったそうですが、今はその葛藤は解消されましたか?
昴生:はい。マネージャーにお願いして、そこのバランスは保ってもらっています。でも、テレビに出ないと劇場の出番ももらえないので、両方とも大事にせんとあかんなと。僕はテレビの仕事も大好きやし、頑張りたいけど、主軸はあくまでも漫才なので。
ほんまは全部漫才の仕事をしたいけど、世の中、そんなに甘くないので。
亜生:お兄ちゃん、本にも書いているんです。「芸人じゃなく、お笑いコンビじゃなく、“漫才師”と言われたい。」って。
昴生:やめろや、いじってるやろ(笑)。
亜生:そこは覚えておいてください。
――昴生さんは、いつ頃から“漫才師”にこだわるようになったのですか?
昴生:亜生と漫才をやり始めた頃からです。僕はずっとしゃべくり漫才がやりたくていろんなコンビでやっていたんですが、どこか違うなと感じていて、亜生と組んだ時に、「これや!」と思いました。お笑いの世界では、多才な人がめちゃくちゃ多いけど、僕らがどこで勝負できるかなとなったら、漫才しかないなと。
だからそこを強くしたくて。
――そこから漫才を突き詰めていこうとされたのですね。
昴生:そうです。でも、しゃべくりってめっちゃ難しくて、地でしゃべらんとウケへんし、形にもならへんのです。でも、亜生とだと、それがすんなりいけたので。
亜生:まあ、僕がおらんかったら、今のこの人はないでしょうね。
昴生:いやいや、こいつが泣きついてきたんです。助けてくれと(苦笑)。
――ご兄弟なので、子供のころから、今のように丁々発止な漫才のやりとりをされてきたんですか?
亜生:いや、それはないです。中学時代のお兄ちゃんは思春期で、ぜんぜんしゃべってくれへんかったし。
昴生:家にいて2人でお笑いをするようなことは1回もなかったです。ただ、関西人なので、普通にしゃべっていても、ボケとツッコミがあるので、そこの違和感はなかったかなと。僕らはコンビ歴9年ですが、兄弟で一緒にいて32年になるから、そこは漫才師としては武器になりますね。最初に初めて人前で漫才をやった時、先輩から「ずっとやってたん?」とも言われたんです。そこはだいぶ得しているなと思います。
●M-1挑戦を終わりにしようと思った過去
■昴生・妻の言葉で「優勝するまで出よう」と決意
――『M-1グランプリ2020』では準々決勝で敗退され悔しい思いをされましたが、自分たちを見つめ直すきっかけになったそうですね。
昴生:ほんまにおごりやったなと。『M-1』を舐めてたわけではないけど、自分らの普段と変わらんスタイルの漫才で優勝しようと思っていて、『M-1』はそんなに簡単なもんじゃなかった。自分らは天才やないのに、そのままでいけると思ったのが大きな間違いでした。
亜生:そうそう。『M-1』に合わせて調整とか全くしてなかったので。
昴生:でも、『M-1』だけを考えていたら、漫才がおろそかになっちゃう気がして。ただ、今となれば、1年間、『M-1』に照準を絞ってもいいのかなとも思っています。『M-1』はそういうことを、いろいろ気付かせてくれるありがたい大会です。
――今年は攻め方を変えますか?
昴生:それは企業秘密ですが、去年とは意気込みが違います。もちろん、毎年モチベーションは上がっていますが。
亜生:過去に1回下がった時もあったしね。
――モチベーションが下がったというのはいつ頃ですか?
昴生:2019年に、もう今年でやめよう、優勝できなくてもやめようって思っていたら、決勝にさえ行けへんかった。ちょうどミルクボーイさんが優勝した年です。その時は悔しさもあったけど、嫁から「やめる必要ないやん。出られるんやったらずっと出や」と言われて。ほんまにそうやなと思ったので、亜生と話して、優勝するまで出ようと思いました。
――奥様は素敵なアドバイスをされますね。
昴生:嫁はミキを俯瞰で見ているからこそ、時々ええことを言ってくれます。僕らはすでにこれまで『M-1』に出させてもらったことで、十分恩恵を受けているので、もう出る必要もないのかなとも思っていたんです。ただ、そういうことではないなと。
■コロナ禍で「お客さんのありがたさを再確認」
――7月2日からは全国ツアー「ミキ漫 2021全国ツアー」が始まりますが、昨年はコロナ禍で中止になったことで、特別な思いがあるのではないでしょうか。
昴生:お客さんのありがたさを再確認しました。もともとお客さんがおらな僕らが漫才している意味はないんじゃないかと思っていましたが、コロナ禍になって、余計にそう思いました。無観客でやった時、僕たちは一体、誰に向かって漫才をやっているんやろって思いましたから。
亜生:僕も、本当にコロナ禍でそのことに気づきました。単独ライブは特に、わざわざ僕たちのために、足を運んでくれるというありがたさを感じましたが、それはコロナ禍になるまで気づかなかったなと。そういう意味で、いい緊張はありますし、全国ツアーはほんまにありがたいです。
昴生:確かにいい緊張はあります。でも、緊張せえへんかったら、漫才師として終わりやし。この年で、こんなに毎日毎日緊張することってあんのかなとも思います。そういう意味では、刺激が多いから恵まれているなとも思いますし、全国ツアーは気合入れていきたいです。
■ミキ
2012年に結成した兄弟漫才師。ツッコミ担当の兄・昴生が1986年4月13日生まれ、ボケ担当の弟・亜生は、1988年7月22日生まれで、共に京都出身。『M-1グランプリ2017』3位、『M-1グランプリ2018』4位。また、2019年に「第54回上方漫才大賞」新人賞、2020年に「第5回上方漫才協会大賞」大賞を受賞。昴生は俳優として、TBS系ドラマ『恋はつづくよどこまでも』(20)に出演、亜生は、実写版『ライオン・キング』(19)に声優として参加。『トロールズ ミュージック★パワー』(20)では兄弟で声優を務めた。