くらし情報『黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!』

2015年7月2日 14:35

黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!

黄金を巡る旅 (1) 名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)--尾張藩の「金庫」だった!
○怪盗現る!

「金の鯱が黒ずんで見える…」。最初に異変に気付いたのは、名古屋市建築局の技師だった。1937(昭和12)年1月、名古屋城のシンボルである金の鯱(しゃちほこ)の鱗が盗まれる事件が起こった。盗まれたのは110枚ある雄の鯱のうちの58枚で、何者かが闇夜にまぎれて天守閣に登り、剥ぎ取っていったのだ。

人々はこの事件を「昭和の柿木金助だ!」と騒ぎ立てた。江戸時代、柿木金助という怪盗が、巨大な凧に乗って名古屋城の天守閣に上がり、金の鯱の鱗3枚を盗んだという話が伝えられていて、「傾城黄金鯱」という歌舞伎の演目にもなっていたのだ。柿木金助は実在の人物だが、「凧に乗って…」という部分は作り話で、実際には城内に忍び込んで五層目の櫓まで登り、そこから外に出て鱗を盗んだのだという(「柿木金助傳」・柳沢武運三編)。

一方、「昭和の柿木金助」は、調査のために組まれていた足場を登っての犯行で、管理態勢の不備を指摘された名古屋市長が辞任を求められる事態ともなった。


名古屋城の金の鯱は、寄木造の芯の表面に金の板を打ち付けたもので、当時に流通していた「慶長大判」で1940枚、純金換算で215.3kgもの金が使われていた。

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