だから、私はiPhoneを使わない - 塩田紳二編
日本で広く普及しているスマートフォンはiPhoneとAndroidの2つに分類できる。iPhoneしか使わない人しかり、Androidしか使わない人しかり、それぞれを選んだ何がしかの理由はあるだろう。ここでは、普段、Androidスマートフォンを使い、iPhoneは使わないというライターの塩田紳二氏に理由を記してもらった。
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筆者は、日常的には、iOSを搭載したiPhoneやiPadを利用していません。とはいえ、これまでiPhoneやiPadを購入したことがないわけではありません。iPhoneは米国で初代のものを購入したし、iPadも初代、3世代目(いわゆる「新しいiPad」)を購入しました。
ただ、初代のiPhoneを除けば、どれも筆者を満足させるものではありませんでした。特に3世代目のiPadは、購入して1年もしないうちにコネクタが変更された4世代目が発売され、一気にやるきをなくしました。
筆者がこれまでの人生で学んだことの1つは、「俺はアップルの製品を買うとろくなことがない」ということです(あくまでも「俺は」です、「誰でも」と勘違いしないでくださいね)。
初代のiPadに関して他の媒体で「買って後悔した」という記事を書いたためか、熱烈なアップル製品のファンからは、筆者はあまりよく見られておらず、アップル社から声がかかったこともありません。他媒体のことなので、ここでリンクを掲載するのは遠慮さていただきますが、気になるなら「塩田紳二 iPad」でGoogle検索すると先頭に出てくるはずです。
ですが、別に筆者は、ウィンドウズやマイクロソフト、アンドロイドやグーグルその他アップル社の競合のどの会社のファンというわけでもありません。アップル製品の熱烈なファンの方からは理解されないかもしれませんが、好きだからウィンドウズを使っているわけでもないし、好きだからアンドロイドを使っているわけでもないのです。
これまでの経験から仕事などに利用できる機器を選択したり、ある時点で利用可能なものを探した結果、そうなったというだけの理由です。おそらく、世界中にいる多くのウィンドウズやアンドロイドのユーザーのほとんどが、「ファン」というわけではなく、なんらかの経緯でこれらを使うようになり、そのまま使い続けているというのが理由だと思います。なので、「熱烈なファン」であるアップルユーザーと「なんとなく使っている」ウィンドウズやアンドロイドのユーザーはお互いを永久に理解できないのではないかと思っています。
●私がiPhoneを使わない理由
○どんな製品にも尊敬すべきだが……
さて、どんな製品も、技術者が苦労して設計し、製造現場の人達の努力で作られます。なので、アップル社の製品を含む、どんな製品にも一定の「尊敬」を持たねばならないと筆者は思っています。もちろん、世の中にある製品はどれも素晴らしいものだけではなく、中には「金返せ」といいたくなるものもあります。
ライターという仕事をしているので、意にそぐわない記事を書かねばならないこともないわけではありませんが、少なくとも筆者は自分でテーマを選択できる場合、紹介するに値する製品の記事を書くようにしていて、そうでない製品については、基本的には扱わず「沈黙」することにしています。
とはいえ、基本的には、評価する製品は、自費で購入しているため、なかには、「ホントに後悔した」と書きたくなることもあります(そうして書いてしまったのが前述のiPadの記事です)。もっとも最近では、個人的な発言としてツイッターなどのSNSで文句を言うこともできるので、「後悔した」記事を書く誘惑をなんとか押さえ込むことはできているんですが。
○スタンスが合わない……
なぜiPhoneを使わないのかというと、アップル社の製品作りに関するスタンスに自分とは相容れないものがあるからです。製品作りに関するスタンスとは、たとえば、コストを重視して、匡体をネジ留めせずに接着剤で止めちゃうような感覚や実用性よりも見た目を重視するような感覚です。
筆者は、マッキントッシュ用のUSBキーボードを購入したことがあります。いまでも使われているアルミを匡体に使ったキーボードは、両面テープか接着剤で匡体が固定されており、中を開けるのも困難でした。また、その前世代の透明なアクリルを使ったワイヤレスキーボードや白い筐体のMac Mini(インテル版の最初の製品)は、ホコリを吸着してすぐに黒くなってしまい、その後の経年変化で白いプラスティックがいまでは黄色くなっています。見た目を重視するのはいいのですが、汚れやすいというのはいかがなものかと思います。多くのIT機器がグレーやベージュ、あるいは黒などの暗い色なのは、それなりの理由があるのです。また、標準を採用しながらも独自な拡張や自由の利かない仕様にしてしまうという感覚も筆者とは相容れないものでした。
たとえば、「新しいiPad」用に購入したカメラコネクションキットは、メモリカードのFATファイルシステムにアクセスできるものの、DPOF準拠のファイル名を持つ画像ファイルでなければ、iPad側からアクセスすることもできませんでした。ウィンドウズでもアンドロイドでも、メモリカードを接続すれば、中に入っているすべてのファイルにアクセスできるのが普通で、それが「コンピュータ」というものです。
なのにわざわざファイル名を制限するなど、愚の骨頂としか筆者には感じられませんでした。
●スタンスについて
○感覚が合う・合わないについて
iPhoneの話なのにiPadやキーボードの話になってしまいましたが、これは筆者の体験のうち検証可能な確実なものだけを選んだからです。
筆者が体験したり感じたことであっても、検証ができないことや完全に確認できないことは、さすがに記事に書くわけにはいかないからです。
じゃ、お前が使っているアンドロイドやウィンドウズは、そうじゃないのかというと、幸いなことにウィンドウズやアンドロイドは、複数のメーカーが製品を作っているため、特定の会社のスタンスと相容れないところがあっても、ほかにいくらでも選択肢があるのです。
また、そもそも、どちらも比較的緩いスタンスで仕様が決まっているため、ハードウェアにしても、ソフトウェアにしても自由度が高く、iOSのようにプログラミング言語のアプリはダメといったルールがほとんどないこと(公序良俗に反するものはもちろんダメですが)、比較的規格や仕様を遵守しているところが筆者に合っていると思っています。マイクロソフトといえば、かつては、独自拡張の王様みたいなものでしたが、ここ数年は、規格や仕様を遵守する方向に変わっています(知らない人もいるから念のため)。
ハードウェアとしてのiPhoneそのものが嫌いではないのですが、アップル社のスタンスが相容れず、おそらくiPhoneを日常的に使うために購入することはないと思います。とはいえ、「仕事の関係では入手するかもしれません」と書いとかないと、なんかの記事を書いたときに「使わねぇ」って言っただろとお叱りをうけそうなので念のため。