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ライセンス、解散危機を乗り越え25周年!「ほんまにお笑い好きなんや」コロナ禍で再確認

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ライセンス、解散危機を乗り越え25周年!「ほんまにお笑い好きなんや」コロナ禍で再確認

●好きで入った道だからこその苦悩「楽しいだけでは…」
コンビ結成から25周年を迎えた、藤原一裕と井本貴史によるお笑いコンビ・ライセンス。6月26日からは、実に9年ぶりとなる単独ライブを開催する。25年という年月について「気づけばそんなにやっていたのかという感じ」と笑う2人だが、「解散しようと思ったこともある」と告白。それでも奮起できたのは、どのような理由だったのか。デビューからの変化や、「サンパチマイクさえあればいい」という、25年経った今だからこそできるライブへの展望を語ってもらった。

高校の同級生だった藤原と井本は、1996年にライセンスを結成。オーディションで吉本興業入りを果たし、2006年『M-1グランプリ』では決勝に進出している。友人からスタートしたコンビならではの息の合った掛け合いや、フリートークも人気を博している。


25周年という節目を迎えた心境はいかがなものだろうか。井本は「芸歴をカウントしていたのなんて、10年目くらいまでですからね。それからは全然数えないようになりました」と笑いつつ、「やっぱりどの世界でも、“10年ひと区切り”みたいなところってありますよね。10年続けたら、一丁前。そこからはもう、気づけばそんなになっていたのかという感じ」とコメント。

藤原も「10年目は、M-1があったからというのもあって、焦りもありましたね。それからだんだん芸歴を数えないようになって。40歳を過ぎると、誕生日が近づいても気づかないようになるじゃないですか。
それと同じ感覚で『もう25年もやってるんや』という感じ」と笑顔を見せつつ、「でも考えたら25年ってすごいですよね」としみじみ。「僕たちが19歳ぐらいでデビューして、当時、最初にファンになってくれた17歳の高校生の子がいて。その子も、今度のライブ来てくれたらいいなと思いますね。そんなふうに想いを馳せられる芸歴、年齢になったんだなと思います」と語る。

25年での変化をどのように感じているかを聞いてみると、藤原は「バカさ加減で言ったら、20代の頃となにも変わっていない」そうだが、「仕事の向き合い方は変わったかもしれないですね。やっぱり、自分本位ではなくなった。周りのことを気にするようになって、そういった意味では大人になったのかも」とにっこり。井本は「『芸人、楽しそうだな』と思ってこの仕事を始めて。
でも、すぐに目が覚めるというか、どんな仕事でもそうだと思いますが、“楽しい”だけで突っ走れる仕事ではないなと思っています。苦しいことの方が多いかもしれない」と複雑な胸の内を吐露。「根本には楽しいという気持ちがあるけれど、好きで始めたことだからこそ、プロの世界に入ってみると『こんなに大変なの?』ということもたくさんあって。年齢や経験を重ねていくごとに、“好き”とか“楽しい”という気持ちだけではできなくなる。そんな日々を続けてきて、この25年があると思うと、やっぱりすごいもんですね」と改めて継続の重みを噛み締める。

●解散危機を乗り越えられた理由「吉本興業にいたからこそ」

そんな中では、「コンビの危機」を感じた瞬間もあるという。井本が「解散というところまで行ったこともあります。8年目だっけ?」、すると藤原は「26歳とかやと思いますね。
僕が言い出したんです」という。

藤原は「『これ、売れへんな』という感覚があって。生放送のMCもやらせていただいていましたし、仕事がそんなに悪い状況というわけでもなかったんですが、『なにかが違うな』と思った。そもそもやりたい仕事に就けていること自体、稀なことなんですが、若いからそういった感謝もできない。不満や焦りを感じていたんでしょうね」と振り返る。

井本は「ね、そんなこともあるので、楽しいだけで突っ走ったわけではないですよね」と笑いながら、「僕は芸人を辞めたいなと思ったことはないですが、『明日辞めてもしょうがないかな』という気持ちではいます」と続けるなど、2人で真剣なトークを展開。藤原は「あれ! このツアー、そんなに重くないですよ!」、井本も「観に来ていただく方には、ざっくり25年ということで!」と思わず大笑いだ。

ピンチを乗り越え、ここまで来られたのは「吉本興業にいたからこそ」と声を揃える。
藤原は「会社に解散を切り出したときも、『ちょっと待ってくれ』と言ってくれた人がいました。そこで『オーケー』と言われたら、終わっていたかもしれない。それに吉本って劇場がいっぱいあるし、よその事務所だったとしたら、あまりネタの出番ももらえず、M-1ももっとあかんかったでしょうね。吉本に常設の劇場があるからこそ、25年続けてこられた。それが一番の礎になっていると思います」と感謝。井本も「吉本興業には上にも尊敬できる芸人さんがたくさんいて、下からもどんどん素晴らしい芸人さんが出てくる。おととしぐらいに、社長が『みんなファミリーや』とおっしゃっていましたが、本当にその通りなんやろうなと思います。他の芸人さんに嫉妬したりすることもめちゃくちゃありますし、切磋琢磨をしたくなくとも、させてくれるのが吉本興業」と語り、「昨年の緊急事態宣言のあと、久しぶりに劇場に行ったら、みんなが楽屋でものすごくうれしそうにしているんです。
めっちゃ明るい!そのとき、本当に芸人っていいもんだなと思いました」と目を細める。藤原も「刺激になりますよね」と同調し、「これまで全然売れなかった人がドカン!と売れたりすることもあるじゃないですか。そういうときは面白いなと思うし、うれしい反面、嫉妬もする。芸人っていいなと思う瞬間も多いです」と「カンフル剤のある環境」と話す。

●9年ぶりの単独ツアーで「僕らの成長を見てほしい」

6月26日から9月4日にかけて、「25周年! ライセンス漫才トークツアー~新作3本+トーク30分の60分公演~」を開催する。福岡、静岡、東京、京都をまわる、単独ツアーだ。

実は井本は「コロナ禍でツアーをやることに不安もあった」という。しかし「ある会社をやっている方とお話しする機会があって。
その方は『コロナ禍だからこそ、前に進んだ。止まることをしなかった』とおっしゃっていたんです。その話を聞いて、僕も『コロナだからできない』と言うのではなく、そこでできることをやるべきなんだと思った」と決心。また1回目の緊急事態宣言中は「お笑いがやりたくて仕方なかった」そうで、藤原も「昨年の緊急事態宣言が明けて、最初のライブで数カ月ぶりに漫才をやったら『うわ! こんなに楽しいもんなんや。俺、ほんまにお笑い好きなんや』と思って。再確認させてもらいました」と笑いへの熱をさらに高めたと語る。

9年ぶりの単独ライブでは、「シンプルにネタを楽しんでほしい。やっぱりそれに代わるものって、ないんですよ。ネタを提供したいし、受け取ってほしい」と井本。「以前の単独ツアーでは、ものすごいセットを組んだりしていたんです。LED照明を派手につけたりして、当時みんながやっていなかったようなことをやっていました。でも今は、サンパチマイクが1本、そこに立っていればいいと思っています」とキッパリ。サンパチマイクとは漫才師の象徴でもあるセンターマイクのこと。井本は「セットを立て込んでいたころは、きっとセットに頼らないとダメだった。25年経った年の功で、そう思えるようになったんだと思います」と自信をのぞかせる。

藤原も「『こういうネタもやるようになったんだ』と思いながら、笑ってもらえるネタになると思います。やっぱりネタも若い頃とはまた違ったものになる」とアピール。「若い頃ならば、ネタの入り口も自由でよかったけれど、おっさんになってそれをやっていたら『気持ち悪っ』と思われてしまうので(笑)。入り口も変わってくると思いますし、若い頃とは違った説得力を見せることもできるはず。そういった成長も見てもらえたらうれしいですね」とネタの変化も見どころだ。

井本が「同じ学校で、そこから一緒に芸人になって。友だちから始まったコンビだからこそ、出せるものがあるはず。そういう相方と、25年続けられたことはうれしいですね」というと、藤原も「この世界に一緒に入ってきて、当然、この相方でなければここまで来られていない。同じ時期にしんどい思いをして、『あのとき、キツかったな』と共感できる人は他に絶対いないですから」とうなずくなど、特別な関係を築いてきた。

「このような状況になってお客さんもみなさん大変で、行動だけでなく、気持ちまで自粛になってしまっていると思うんです。楽しい気持ちで、足を運んでほしいです。コロナ禍でツアーを走り切ったあとには、きっと僕らもなにかが見えると思う。なにか見つかりそうな気はしています」(井本)、「43歳という年齢でまわるツアー。50代になったときに、43歳のツアーはよかったなと思えるものにしたいです」(藤原)と意気込みは熱い。25周年を期にまた新たなスタートを切ろうとするライセンス。彼らの今後がますます楽しみになった。

■ライセンス
高校時代からの友人同士である、藤原一裕と井本貴史によるお笑いコンビ。1996年にライセンスを結成。オーディションで大阪吉本興業入りし、1999年の第29回NHK上方漫才コンテスト優秀賞。2001年に拠点を大阪から東京に移す。2006年の M-1グランプリでは敗者復活戦に勝利し、初の決勝進出を果たしている。

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