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NMB48白間美瑠「歌って踊れるソロアーティストに」 『PRODUCE 48』で夢が確固たるものに

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NMB48白間美瑠「歌って踊れるソロアーティストに」 『PRODUCE 48』で夢が確固たるものに

●過酷なオーディションで再確認した“私の幸せ”
アイドルグループ・NMB48の“最後の一期生”白間美瑠が、8月15日に大阪城ホールで行われる卒業コンサートで約10年間におよぶアイドル生活に終止符を打つ。卒業後は歌って踊れるソロアーティストに。その道を決意させたのは、IZ*ONEを輩出した韓国でのオーディション番組『PRODUCE 48』で、「歌って踊ることをやり続けることが私の幸せだと確認した」と振り返る。そこで痛感したレベルの差。またターニングポイントについても語ってもらった。

『PRODUCE 48』はAKB48グループが協力し、韓国のエンターテイメントチャンネルMnetが企画した日韓合同のオーディションで、日本からの参加者は48グループに所属していることが条件。

参加者は歌唱やダンスを審査され、一定の票数を獲得できなければ脱落。最終審査で残った12人がIZ*ONEのメンバーとしてデビューした。
白間は最終審査まで駒を進めた20人のうちの1人だった。

アイドル人生でのターニングポイントに迷わず『PRODUCE 48』を挙げた白間。「この10年で1番大きかったですね。NMBでやってきたレッスンとはまったく違うし、もちろんレベルも全然違う。1つのステージに対する練習量が半端ない。NMBでの練習量は長いときで8時間。プデュでは睡眠時間も削って練習するのが当たり前でした。半端ないですよね(笑)。
ずっと『なんでこんなにやらなあかんねん』と思っていましたし、日本メンバーはヘロヘロ…。仕事で一度帰国してからまた韓国に戻るときは『無理~』ってメンバーと一緒に泣いていました。恐怖でしたね。でも、韓国のメンバーはあの練習が普通なんです。だからこそあんなにレベルが高いパフォーマンスができるんだと肌で感じました」とレベルの差を痛感したという。

あまりにも違いすぎる環境にはじめは慣れなかったものの、徐々に「私もそこに行きたい」と感じるように。そして、「歌って踊れるソロアーティストになりたい」という大きな夢も、参加したからこそ確固たるものになった。「ずっと歌って踊りたい。
これをやり続けるのが私の幸せだと確信できたのは『PRODUCE 48』のおかげ。つらい経験でしたが、得たものは大きいです。自信になりました」。韓国で得たものはほかにもある。「1つひとつのステージのありがたみを感じられるようになりましたね。韓国では名前が知られていないけど、日本で『みるるん』と呼んでいただけることがすごくありがいことだと実感した。帰国後のコンサートでは支えてくれたファンの方のあたたかさをより感じられるようになりましたね」としみじみ。

また周囲から「“表情”についてよく褒められるようになりました」といい、「これまでそこまで意識してパフォーマンス中の表情練習をすることはなかったけど、韓国での経験を通してダンス練習の後、鏡の前での表情練習を加えるようになりました。
“表情管理”ができるようになったと思います」と胸を張る。

●「らしくない」やみるきー卒コンで芽生えた覚悟

アイドルになる前は「めっちゃ引っ込み思案だった」という白間。「人前にでるのがめっちゃ苦手で、学校の日直で前に出てあいさつするのも嫌い。すぐ泣いていた」。そんな引っ込み思案で泣き虫だった1人の女の子が、アイドルとしてお披露目ステージに立ったのが2010年10月。同期は山本彩、渡辺美優紀、上西恵、吉田朱里ら。白間はその中でも比較的若いメンバーだった。

「私、一番手のかかったメンバーだと思うんですよ。
ダンスレッスンも毎回1人だけ踊れていなくて、先生に怒られ、怒られてはレッスン室を飛び出して『もうできひん!』って泣いて…。それをお姉さんメンバーのさや姉(山本)たちに慰めてもらっていました」。

そんな白間に訪れた転機は2013年9月に行われた「AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会」。AKBのシングルを歌う選抜メンバーをじゃんけんで決めるもので、この年、白間は当時圧倒的人気を誇っていた大島優子と第1回戦でぶつかり、勝利したことで注目を集める。

「大島優子さんはすごい大先輩。そのじゃんけん大会で“白間美瑠”をアピールすることができて、多くの方に気にしてもらえるようになって自信がついたんです。握手会に来てくれるファンの方の人数も目に見えて増えました。待機列の長さも変わりました」とうれしそうに回想する。


続くターニングポイントはNMB10作目のシングルとして2014年11月に発売された「らしくない」で、矢倉楓子とともにダブルセンターを務めたこと。同曲を「NMBを引っ張っていくんだって自覚した曲」と位置づけている。そして、同じ1期生で「1番支えてもらった」という渡辺美優紀の卒業も変わるきっかけとなった。「(2016年7月に行われた)みるきーの卒コンで、最後のMCで手を挙げて『私がNMBを引っ張っていける存在になりたい』と宣言させてもらったんです。いままでのコンサートのMCで自分からしゃべり出すことはほとんどなかったのですが、みるきーが卒業することを受けて『ここは1期生の私が変わっていかないと!』と心から感じて自分から発言しました。そこで殻が破けたんです」。

その濃い10年間のアイドル人生が、彼女を前向きな人へと変えていった。白間は「アイドルをやらせていただく中で本当にたくさんのターニングポイントがあって、1つひとつの出来事が自信になりました。
NMB加入当初はダメダメだったので、レッスン室に残って人一倍努力した。その時間は誰にも負けないと自覚している。それも自信に繋がっています」と胸を張る。

卒業後の夢は「強い女性像を印象付けられる、歌って踊れるかっこいいアーティスト」を掲げている。

「ソロ活動への不安、ですか? 一切ないです。やってやろう!という気持ちでいっぱい。不安なんか全然ないです。いつかは武道館やNMBでお世話になった大阪城ホールにも一人で立ちたい。ステージの大きさに関わらず、たくさんのステージに立ちたいです。ステージを一人で使い放題。絶対、気持ちがいいですよね!」。そう瞳を輝かせた白間。泣き虫で引っ込み思案の女の子は、もうそこにはいない。

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