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結成21周年のNON STYLE「こんなに続くとは思ってなかった」 コンビ継続の秘訣と転機とは?

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結成21周年のNON STYLE「こんなに続くとは思ってなかった」 コンビ継続の秘訣と転機とは?

●「新しい笑いが生まれる時代に突入したのかな」
昨年、結成20周年を迎えたお笑いコンビのNON STYLE(石田明、井上裕介)。9月14日からは全国ツアー「NON STYLE LIVE 2020・真/2021・新~あっというま~」を全国5カ所で開催。彼らの真骨頂である漫才をたっぷりと披露する。20年におよぶコンビの歴史においてのチャンス、そしてピンチも「M-1に優勝したこと」だと語る井上。一方の石田は「井上さんがいろいろと世間をお騒がせしてきた」と苦笑いを見せつつ、「自分にも相方にも人にも、求めすぎないようになってからすごく楽になった」とこれまでの道のりを振り返る。M-1グランプリ優勝をきっかけに起きたネタの変化や、コロナ禍での葛藤など、結成21周年の思いを明かした。

結成20周年を記念して、昨年開催する予定だった全国ツアー。新型コロナウイルス感染拡大の影響でそれが叶わなかったが、昨年、今年の2年分の思いを込めて、「2020・真」「2021・新」という内容の異なる2つの公演としてパワーアップした形で開催される。


石田は「昨年、20周年でやれたらと思ったことができなくなってしまったので。2020年に用意していたものもお蔵入りさせずにしっかりとお届けして、2021年に新しく作ったものも見ていただきたい。ネタは生ものなので、その年にしか生まれないもの。『真』と『新』でまた違った笑いを楽しめると思います」とアピール。「今年も最後まで無事にやり遂げられるかまだわかりませんが、その場合は来年に『真』『辛』『新』と3つのパターンでやるかもしれません」と話す。

井上は「ネタ入りは僕からになるので、どちらのパターンだったのかごっちゃになりそう(笑)。大変ですが、頑張ります!」と2パターンでの公演に意欲をのぞかせ、「やっぱりお客さんがいるかいないかで、生まれる“笑いのうねり”のようなものは変わってくる。有観客でライブをできることはうれしいですよ」とにっこり。
しかし「無観客でライブをやるということも、今後は定番化してくると思うんです」とコロナ禍でのエンタテインメントのあり方について吐露する。

「僕らは、その中で新たなうねりを作る方法論を考えていかないといけないんだろうなと思っています。よく(明石家)さんまさんが言っていますが、コロナ禍によってルールブックが改訂されることはもう仕方がない。改訂された中で、どう立ち回るかが大事。送り手、受け手どちらも有観客、無観客とやり方を選ぶ時代になるだろうし、あえて『無観客ならば、こういうことができる』と考える人も出てくるでしょう。また新しい笑いが生まれる時代に突入したのかなと思います」と前向きに語る。

●“求めすぎない”ことで気が楽に転機はM-1優勝

NON STYLEは、大阪府内の同じ中学、高校の同級生だった石田と井上が、2000年に結成した。昨年20周年を迎えたが、石田は「20年、本当に“あっというま”だったんですよね」とツアーのタイトルと同じ気持ちだそうで、「こんなに続くとは思っていなかったし、振り返ると“あっというま”。
なかなか東京に進出できない……と長く感じる時代もあったんですが、コロナ禍になってからここ1年半は引くぐらい“あっというま”です。この先ますます時間が早く過ぎて行くと思うので、ひとつひとつの出来事を大切にしていきたい」としみじみ。

対して井上は「僕は逆ですね。“あっというま”という感覚はなくて、コロナ禍になってからは特に長く感じている」のだとか。「それまではずっと外に出ていた人間なので、急に家にこもることになって、精神的にもしんどかった。子育てがあるわけでもなく、家にいて何か希望の光があるわけでもないですからね(笑)。そこから家で何ができるんだろうと考えたり、経験したことのないこと、新しいことの連続。趣味含め、いろいろなことに挑戦して密度が濃かったように思います」と時間の感じ方はそれぞれ違うようだ。


石田は「こんなに続くとは思っていなかった」と話したが、ここまで続けられた理由についてどのように感じているのだろうか?すると「求めすぎないようになったからじゃないですかね」と思いを巡らせた石田。「若い頃は自分にも相方にも、いろいろな人に求めすぎていた。だからしんどかった。自分に求めなくなって、相方に求めなくなって、誰にも求めなくなったら、すごく楽になったんです」と告白。考え方を変えたのは「医者に『石田さんがしんどくなるのは、求めすぎるからです』と言われたから」だそうで、「ずっと求め続けていたら、しんどくなってこの仕事も辞めていたでしょうね」と胸の内を明かす。

「すべて周囲の人のおかげ」というのが井上で、「先輩、後輩、マネージャー、番組スタッフ含め、いい人と巡り合ってきた。辞めたいな、しんどいなと思ったときに引っ張り上げてくれたのも、人です。そりゃあ借金だらけだった若い頃には、辞めたいなと思ったこともありますよ。
26歳まではバイトをしていましたし、バイト先の店長がずっと飯を食わせてくれたり、先輩が『頑張れよ』と支えてくれたり。本当に感謝しています」とこれまでの出会いを噛み締める。

そんな中でコンビの転機となったのが、2008年の『M-1グランプリ』優勝だという。井上は「M-1で優勝できたから、一生この世界でご飯を食べていけると思えた。あの年に優勝していなかったら今テレビにも出られていないでしょうし、『M-1チャンピオンの人や』と認識してもらえるようになって、仕事も増えた。でも優勝できたから、その後が大変だったとも言えます。いろいろな意味で、大きなターニングポイントです」とキッパリ。「M-1で優勝したから人生が変わったし、M-1優勝とその後を乗り越えたから今がある」と力強く語る。


石田は「コンビの転機かあ……井上がベストフンドシストを受賞したことですかね」と話して、井上も「やっぱりふんどしを巻いてからが、一人前ですからね」と乗っかり2人で大笑い。石田は「僕は普段『悔しい』とか言わないですけど、あれは悔しかったなあ。井上が先に選ばれたんや。俺も頑張らないといけない思った」と続けつつ、「井上さん、いろいろと世間を騒がしてきていますからね。よくいろいろと乗り越えてきたなと思います」と目尻を下げていた。

●M-1優勝後のネタの変化とコロナ禍の葛藤

人生を大きく変えたのが「M-1グランプリの優勝」だというが、さらにそれをきっかけにネタも変化していったと口を揃える。

井上は「先ほど石田が『求めなくなった』と言いましたが、ネタに関しては僕も求めなくなったというか。M-1で優勝できたことによって、大会向けのネタをやらなくていいようになったわけです。
石田が作った台本を見て『これはウケへんやろうな』と思っても、昔なら『直そうぜ』と言いましたが、今は言いません。石田がやりたいことをやろう、という感覚です」とネタ作りを担う石田に全幅の信頼を寄せる。石田も「確かに自由になりましたね」とうなずき、「今は、自分が面白いと思うことをやればいいと思っています。M-1を優勝するまでは、なかなかそれができなかった。ポイント制の空手をしっかりやる、という感じ。今は自分の殴りたいやり方でいい」と充実の時を迎えている。

お互いに年齢的にも40代に突入した。今後の目標を聞いてみると、井上は「今、目標を見失っている。探している最中です」と打ち明ける。「新しい笑いが生まれる時代に突入した」と思いつつも、葛藤も抱えているという。

「コロナ禍になるまでは、この先もライブにお客さんが来てくれるだろうと思っていましたが、それが全部崩れてしまったような気がしています。テレビ収録でも頑張って、現場で結果を残していれば、ある程度は付いてきてくれる人がいると思っていました。お笑いが好き、人としゃべるのが好きというのは変わりませんが、テレビ収録もお客さんの観覧ができなくなったり、無観客ライブや、一定数しかお客さんを入れられないライブだと、お笑いの正誤判定がしにくいというのも悩みどころです。YouTubeもやっていますが、再生数やコメントを見るだけではわからないことがある。やっぱりお笑いって、目の前のお客さんが笑ってくれるかどうかで、やっていることが正解か不正解かがわかるもの。自分がやっているお笑いが正しいのか、わからなくなるときがあります」

石田は「僕はもう、生のリアクションを信じるだけです」と力を込める。「8月まで古田新太さんたちと一緒に舞台をやっていたんですが(『ミュージカル「衛生」~リズム&バキューム~』)、やっぱりお客さんはエンタメを求めているんだなと実感しました。こういう状況下でも、エンタメを楽しみたい人は確実にいる。それならばそういった人たちを楽しませることをやるしかない。僕がやることは変わらないと思っています」と話していた。

■NON STYLE
石田明と井上裕介の2人によるお笑いコンビ。2000年5月に結成。2005年に上方お笑い大賞第25回最優秀新人賞、2006年NHK新人演芸大賞演芸部門大賞を受賞したほか、数々の賞を受ける。2008年に東京進出し、同年のM-1グランプリで優勝。2010年には、S-1バトルの初代グランドチャンピオンとなる。

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