ザ・ローリング・ストーンズの名曲はどれ? 1,146人が選んだ年代別ランキング
●ザ・ローリング・ストーンズの名曲はどれ? 1,146人が選んだ年代別ランキング
1962年にイギリスで結成されたザ・ローリング・ストーンズは、世界的ロックバンドであり、「最も成功したコンサートツアー」というギネス記録も持っています。今年の8月24日に、結成同時からのメンバーであるドラマーのチャーリー・ワッツが死去してしまいましたが、それを乗り越えツアーを再開。注目が集まっています。
ストーンズともなると、約60年も活動期間がありますので、なにせレパートリーが多い……。そこで、マイナビニュース会員3,000人(※)にアンケート調査を行い、年代別名曲ランキングを作ってみました。
※3,000人のうち、「ストーンズを知っている」と回答いただいた1,146人を集計母数にしています
○どの時期のストーンズが人気?
ストーンズは何度かメンバーチェンジをしていますが、ギタリストのメンバーチェンジが過去に2回あり、ブライアン・ジョーンズ、ミック・テイラー、ロン・ウッドという3人のギタリストがバンドに在籍しました。これがサウンド傾向やバンドの雰囲気に大きく影響しているので、歴代ギタリストを基準に時期を区切りたいと思います。となりますと、
となります。
さて、各年代の人気曲ランキングにはいる前に、そもそもどの時期が人気かを発表したいと思います。ジャン!
・1位:1962年~69年(ブライアン・ジョーンズ期) :730票
・2位:1970年~74年(ミック・テイラー期) :663票
・3位:1975年~86年(ロン・ウッド前期) :604票
・4位:1987年~現在まで(ロン・ウッド後期) :537票
n=1,146人のうち、好きな曲を選んだ人数を票数としてカウント
です。デビューしてから、世界的人気バンドになるまでのブライアン・ジョーンズ期は、定番キラーチューンの宝庫ですから、まぁこうなりますよね。さて、次のページから年代別ランキング、スタートです!
●1962年~69年(ブライアン・ジョーンズ期)の人気曲は?
○ランキングの前に、ブライアン・ジョーンズ期ってどんな時期?
幼なじみだったヴォーカリストのミック・ジャガーとギタリストのキース・リチャーズ、ブルースのクラブで知り合った、ギタリストのブライアン・ジョーンズとドラマーのチャーリー・ワッツの4人に、オーディションを経て加入したベーシスト、ビル・ワイマンの5人でバンドを結成します。バンド運営のモチベーションが一番高かったブライアンが、リーダーシップをとりながら活動を開始。
デビュー時より、ビートルズのライバル的不良バンドとして売り出されたストーンズでしたが、実はこれ、見事なマーケティング戦略でした。黒人ブルースの純粋なファンであったメンバーは、ブルースのコピーバンドとして人気がでればいい程度にしか考えていませんでしたが、ビートルズとも仕事をしていたマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムは、「はぁ、なに眠たいこと言ってんだ!おまえらビートルズのライバルとしてバチバチ売っていくぞ」(発言は想像です。しかもオールダムはメンバーの誰よりも年下でした)とばかり、メンバーに反逆的な言動をさせるようにして、世の注目を集めていきます。
そして、メンバーであったミックとキースに、「オリジナル曲じゃないと、ダメだ。売れそうな女の子を見つけてきたから、彼女が歌う曲を作れ」とばかり、2人にギターを手渡し台所に閉じ込めます。そこで徹夜で彼らが書いた曲が「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (涙あふれて) 」で、歌ったのは、後にミックと交際することになる、マリアンヌ・フェイスフルでした。
「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (涙あふれて) 」はヒットし、2人は自信を深め、以降、名曲をどんどん作っていきます。そして、キースにバンドの主導権と彼女(アニタ・パレンバーグ)を奪われたブライアンは傷心からか、ドラッグに溺れ、やがて脱退することに。残ったミック、キースはさらに渾身のソングライティングを行い、歴史的名アルバム『ベガーズ・バンケット』、『レット・イット・ブリード』が生まれます。そして、新ギタリスト、ミック・テイラーを迎え、リハーサルを繰り返していたところ、ブライアン死亡の報が届くのでした(つづく)。
○トップ3から発表します!この3曲です!
・1位:「サティスファクション」/『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』 (1965年):201票
・2位:「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」/『スルー・ザ・パスト・ダークリー』 (1969年):100票
・3位:「夜をぶっとばせ」/『ビトウィーン・ザ・バトンズ』 (1967年):87票
※n数=730
「サティスファクション」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はスーパー定番ですね。
「サティスファクション」はイントロの歪んだギターの音が印象的ですが、これは曲の制作途中の段階で、キースがギターの音をホーン風に加工して、スケッチ的に仮でいれたものです。バンドは制作途中のつもりだったのに、オールダムが「この状態でいい!これがシングルだ!」とばかりリリースしたのだとか。未完成な雰囲気も大事だということですね。
○4位以下も発表します!
・4位:「黒くぬれ!」/『アフターマス』 (1966年):61票
・5位:「ミッドナイト・ランブラー」/『レット・イット・ブリード』 (1969年):57票
・6位:「悪魔を憐れむ歌 」/『ベガーズ・バンケット』 (1968年):50票
・7位:「ホンキー・トンク・ウィメン」/『スルー・ザ・パスト・ダークリー』 (1969年):49票
・8位:「ギミー・シェルター」/『レット・イット・ブリード』 (1969年):36票
・9位:「無情の世界」/『レット・イット・ブリード』 (1969年):28票
・10位:「ストリート・ファイティング・マン」/『ベガーズ・バンケット』 (1968年):23票
※n数=730
海外雑誌のストーンズ名曲ランキングと比較すると、「黒くぬれ!」がここまで人気なのは、日本ならではですね。ブライアン演奏したシタールの音が印象的な若き怒りに満ちた曲……と思いきや、じつは失恋の歌だったりします。
ほかもどれも歴史的名曲ばかりですが、その後につながるエピソードある曲では「ギミー・シェルター」でしょうか。不気味な歌詞と曲調で、レパートリーの中でも異端の部類です。悲惨な状況を歌い上げているようで、「War」「Love」を対比させる文学的な歌詞のレトリックがあり、最後には感動させます。
ミックとデュエットした女性R&Bシンガー、メリー・クレイトンのあまりの名演に、興奮したメンバーが思わず「Yeah!!」と叫ぶ声がに3:02あたりに聞こえます。
○この時期、アルバム単位でどれか一枚と言われたら
すいません、ここは筆者の独断と偏見で選びます。『ベガーズ・バンケット』か、『レット・イット・ブリード』か。もう究極の選択ですね。どっちも、全曲ありえないレベルの名曲ばかりですが、『レット・イット・ブリード』かなぁ。「ギミー・シェルター」、表題曲の「レット・イット・ブリード」、「無情の世界」、「ミッドナイト・ランブラー」があって、さらに「モンキー・マン」に「むなしき愛」…って、どんなアルバムよ。まずまず一生もの、フォーエバー残る文化遺産レベルですね。曲単位で聴く昨今とはいえ、このアルバムは最初から最後まで通しで聴いてほしいです。
●1970年~74年(ミック・テイラー期) の人気曲は?
○ランキングの前に、ミック・テイラー期ってどんな時期?
ブライアンの死を乗り越え、ロンドンのハイドパークで新ギタリストのミック・テイラーを迎えて追悼コンサートを行います。当代きっての名ライブバンドとしては、いまいちな演奏でしたが、キース曰く「出来は最悪レベル、でも最も重要なコンサートでもあった」とのこと。いわゆる「場面」ってやつですね。ミック・テイラーは、ジェフ・ベックやエリック・クラプトンのようなスーパーギタリストだったので、バンドの音楽性はどんどんあがっていきます。
その後、ウッドストックのようなフリーコンサートがやりたくなったストーンズは、カリフォルニア州にあるオルタモント・スピードウェイでオルタモント・フリーコンサートを開きますが、ここでロック史上屈指の悲しい出来事『オルタモントの悲劇』が起こります。ライブを見に来ていた黒人の青年を、警備をしていたヘルズ・エンジェルスが刺殺してしまうのです。もはやコンサートとはいえない異様な雰囲気の中での演奏は、映画『ギミー・シェルター』で観ることができます。
ウッドストックのラブ&ピースな雰囲気を、ネガポジ反転のように悪夢化してしまったこの経験のせいか、以来、若者の怒りの代弁者のようなふるまいは控えめになり、音楽も悦楽的な内容にシフトしていきます。
南仏で貴族的に暮らしながら、ドラッグにふける日々。音楽的には充実していましたが、やがてバンド、特にキースに悲劇が訪れるのでした(つづく)。
○トップ3から発表します!この3曲です!
・1位:「悲しみのアンジー」 /『山羊の頭のスープ』(1973年):132票
・2位:「ブラウン・シュガー」/『スティッキー・フィンガーズ』 (1971年):113票
・3位:「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」/『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』 (1974年):91票
※n数=663
「悲しみのアンジー」は「黒くぬれ!」同様、日本での人気がとびきり高く、来日公演でもたびたび演奏されています。ストーンズは、セットリスト選びにも気を使うバンドで、「日本でうけるかな」じゃなく、「札幌で、横浜で、うけるかな?」というレベルで検討して、演奏曲を決めるそうですね。さすが、ギネス級の成功バンド。
「ブラウン・シュガー」は、バンドがノリノリ状態のツアー中に、アラバマに寄って録音されたもの。悦楽的な内容の代表曲かな。「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」はストレートな歌詞が魅力ですね。
これは後にメンバーとなるロン・ウッドと作った曲です。ロンのソロ・アルバム用のレコーディングではありましたが、ミックに「ちょうだい」と言われストーンズに進呈しています。ロン曰く「なんせ弟子なんだしね、別に疑問には思わないよ」とのこと。大人!ちょっと理不尽なようですが、彼はこの後輩力で、後にバンド加入できることになります。
○4位以下も発表します!
・4位:「ダイスをころがせ」/『メイン・ストリートのならず者』(1972年):56票
・5位:「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」/『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』 (1974年):54票
・6位:「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」/『スティッキー・フィンガーズ』 (1971年):43票
・7位:「ワイルド・ホース」/ 『スティッキー・フィンガーズ』 (1971年):40票
・8位:「ムーンライト・マイル」/『スティッキー・フィンガーズ』 (1971年):36票
・9位:「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」/『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』 (1974年):34票
・10位:「ハッピー」/『メイン・ストリートのならず者』(1972年):29票
※n数=663
「ワイルド・ホース」は、哀愁ただようカントリー調の名曲ですが、この曲はフォーク・ロックバンド、ザ・バーズのメンバーだったグラム・パーソンズという人物の話なしには語れません。裕福な家庭に生まれながら、父は自殺、母もアルコール中毒で死亡という波乱万丈の人生を送ったグラムは、キースと兄弟のように仲が良く、所属していた人気バンド、ザ・バーズの活動をほっぽりだして、キースとのセッションに没頭。カントリー界のジミ・ヘンドリックスと呼ばれた才能豊かなグラムの影響を受け、キースのカントリー志向がどんどん高まりました。
この曲は、そんな中で生まれた曲ですが、ストーンズの曲をカバーしたグラムの新バンド、フライング・ブリトー・ブラザーズのカバー版の方が、ストーンズより1年も先に発売されています。世界的人気バンドの曲のカバーをオリジナルより1年も前にリリースするのは普通ありえないですが、キースとグラムの仲ならではです。また、この曲の叙情的な歌詞も格別。これはミックの才能です。歌詞の文体はワイルドでも、文学性は高いというギャップね。そりゃ文化系女子がころりとやられるはずです。
○この時期、アルバム単位でどれか一枚と言われたら
『スティッキー・フィンガーズ』(ユニバーサル ミュージック)ですかね。自分たちのレーベル一発目のスタジオ・アルバムで、ベロマークが初登場したのもこのタイミング。前2作もブルース臭はプンプンですが、本作はイギリス臭がいよいよ薄れて、アメリカ~ンな感じ。次の『メイン・ストリートのならず者』は2枚組のさらに重厚な内容のアルバムで、じっくり浸るならこっちなんですが、初めて聴く人にはやや重いかなと。このアルバムの適度な軽さと、「ブラウン・シュガー」→「スウェイ」→「ワイルド・ホース」という、ストーンズの魅力をグッと3曲に圧縮したような流れが最高です。あとは、ポップアイコン的な価値もあると思います。壁に飾っておくなら、このアルバムですね。
●1975年~86年(ロン・ウッド前期)の人気曲は?
○ランキングの前に、1975年~86年(ロン・ウッド前期)ってどんな時期?
この頃のストーンズは、ドラッグ関係のトラブルが深刻化。レコーディングにも影響を及ぼし、険悪な雰囲気に。真面目に音楽に取り組みたいミック・テイラーにとってはストレスがたまる状況で、とうとう彼は脱退してしまいます。そして、オーディションによる選考の上、ロン・ウッドが加入します。選考にあがった候補の中には、なんとスーパーギタリスト、ジェフ・ベックもいました。しかし、セッションの途中でいきなりいなくなってしまったりなど、やや自分勝手な印象あったそうで、彼は選ばれませんでした。どんなに才能があるといっても、毎日楽しく演奏できる人でなきゃダメだよ、ということでロンが選ばれたわけです(もちろん、ロンはフェイセズ、ジェフ・ベック・グループを渡り歩いたほどの名うてのミュージシャンではあります)。まさに後輩力炸裂です。
そして、ストーンズ史において最大の危機と言われる、キースのドラッグでの逮捕事件が勃発します。長期の懲役刑になる可能性もありましたが、キースの日頃のある行いで収監は免れました。しかし、ミックはキースが収監されたときに備え、他のギタリストを探していました。これにより、2人の仲に亀裂がはいります。後半の2枚 『アンダーカヴァー』 (1983年)、『ダーティ・ワーク』(1986年)では、不仲は最高潮に。そして「6人目のストーンズ」としてメンバー同士のもめごとおさめてきた、イアン・スチュアートが病死してしまい、不仲は修復不可能なレベルに……。その間をなんとか必死にとりもつロン。がんばれ!おまえの後輩力だけが頼りだ(つづく)。
○トップ3から発表します!この3曲です!
・1位:「スタート・ミー・アップ」/『刺青の男』 (1981年):133票
・2位:「ミス・ユー」/『女たち』(1978年):83票
・3位:「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」/『アンダーカヴァー』 (1983年):63票
※n数=604
「スタート・ミー・アップ」は、1990年に来日したときのオープニング曲でした。映画『太陽を盗んだ男』で沢田研二(ジュリー)演じるテロリストの主人公が、原子爆弾を自作してまで政府に要求するのは「ストーンズの来日公演」です(正確には、池上 季実子さん扮する女性DJが発案し、主人公のテロリストがそれを採用する流れ)。日本のファンにとって、ライブを見るのは悲願中の悲願でした。90年に待ちに待ったストーンズがやっときて、東京ドームの天井を焦がすような火柱とともに演奏されたのが、この曲だったわけです。そりゃもうね、一生忘れられませんよ……。
「ミス・ユー」、「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」は、どちらもディスコなどの最新のビートパターンを取り入れた名曲。「ミス・ユー」は、ライブの定番曲です。のせたり、じらしたり……この曲で、スタジアムクラスのコンサートでも、しっかり観客の心をつかんでしまいます。「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」は、過激なPVでも有名。ストーリー仕立てですが、ミックは演技がうまい。
○4位以下も発表します!
・4位:「ホット・スタッフ」/ 『ブラック・アンド・ブルー』(1976年):60票
・5位:「メモリー・モーテル」/『ブラック・アンド・ブルー』(1976年):49票
・6位:「ダンス(パート1)」/『エモーショナル・レスキュー』 (1980年):48票
・7位:「ハーレム・シャッフル」/『ダーティ・ワーク』(1986年):43票
・8位:「トゥー・マッチ・ブラッド」/『アンダーカヴァー』 (1983年):35票
・9位:「ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン」/『女たち』(1978年):30票
・10位:「友を待つ」/『刺青の男』 (1981年):27票
※n数=604
「友を待つ」は、伝説のジャズサックス奏者、ソニー・ロリンズの流れるようなサックスもいいですが、PVがいいですね。日曜日のお父さんのような格好で、アパートの前で人待ち顔のミック、そこへヨロヨロとキースがやってきて一緒にクラブへ。チャーリー、ビル、ロンの3人と合流してやがて演奏しだす……。この頃の騒動もろもろ、そしてこの5人がもう揃わないことを考えると、さすがにこれは泣けます。
○この時期、アルバム単位でどれか一枚と言われたら
『女たち』(ユニバーサル ミュージック)ですかね。ジャケットもとびきり楽しいし。最大の解散の危機を乗り越えた時期でもありますからね。ねちっこいノリの「ミス・ユー」、2本のギターが絶妙にからむ「ビースト・オブ・バーデン」、パンクへの回答である「ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン」などなどありますが、エピソード的には、「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」でしょうか。
当時、ドラッグ中毒でどうしようもなかったキースは、「次に死にそうなロックスター」ランキングで毎年1位に選ばれるような状態でした(この頃のキースはガリガリに痩せていて、目もうつろ。今見ても、とてもつらい)。そしてとうとう1977年に、ライブレコーディングのために訪れたカナダ、トロントで大量のドラッグ所持より、逮捕されてしまいます。最悪終身刑、よくて懲役7年とも言われ、キース絶体絶命です。
そんな彼を救ったのはカナダに住む、一人の盲目の少女、リタ・ベダードでした。彼女は盲目というハンデがありながら、ストーンズのコンサートがあるときは、ヒッチハイクで会場まで駆けつけていました。それを知ったキースは、彼女が無事会場につけるように、数年前から、こっそり送迎の車を手配してあげていました。キースの逮捕を聞いたリタは、裁判の判事を探しだし、キースの真実の姿を伝えました。その結果、懲役刑はくつがえり、「罪滅ぼしに、盲目の人のためのコンサートをしなさい」という粋な判決が下り、キースは懲役を免れました。
With Rita Bedard, my Blind Angel from Toronto. Backstage. So great to see her again! pic.twitter.com/FWmm3xG8oj— Keith Richards (@officialKeef) July 16, 2015
このあたりから、キースはドラッグをやめます。「あんなのに人生をまかせるなんて、くだらないぜ」と彼が歌った「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」が『女たち』に収録されています。ほかにも、「ミック、やんちゃしちゃって、ごめん」とばかりにキースが書いたのが「ビースト・オブ・バーデン」です。ライブ映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』で、夕暮れせまるスタジアムでこの曲の演奏がはじまるのはハイライトのひとつ。ぜひチェックを。
●1987年~現在まで(ロン・ウッド後期)の人気曲は?
○ランキングの前に、1987年~現在まで(ロン・ウッド後期)ってどんな時期?
「悪かったな、ミック」「いいんだよ、キース」と、こんな会話があったかどうかは知りませんが、ロンの後輩力のおかげもあってか、2人の仲も復調。ツアーでの飛行機移動がしんどくなったビルが1993年に脱退してしまうものの、バンドは再び転がりはじめます。「ストーンズって、まだやってんのかよ」的な冷笑を投げかけていた人も、さすがにこの頃になると、ちょっとこいつらマジでパねえ的な視線に変わってきます。そして『ア・ビガー・バン』 (2005年)の頃には、キースがミックの家に泊まり込み、曲作りをするようになります。まるで60年代にオールダムに閉じ込められた台所で「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (涙あふれて) 」を作曲したときのように。
原点にもどって、音楽活動にいそしむ2人に、「チャーリーの癌」という信じられない一報が届くのでした。これまでメンバーの死、殺人事件、ドラッグによるグダグダとそれにともなう裁判、キースの骨折(木登りをしていて、落下した)などなど、かずかずの困難をはねのけてきたストーンズでしたが病魔、それも癌という、史上最悪の殺し屋に目をつけられてしまったのでした。このときは、チャーリーの癌は小康状態になり、その後も精力的に活動していましたが、2021年8月24日、チャーリーは死去しました。それでもメンバーたちは、新たにツアーを開始したのです(おわり、でもストーンズはまだまだつづく)。
○トップ3から発表します!この3曲です!
・1位:「スローで行こう」/『ア・ビガー・バン』 (2005年):68票
・2位:「アイ・ガッタ・ゴー」/ 『ブルー&ロンサム』 (2016年):63票
・3位:「ミックスト・エモーションズ」/『スティール・ホイールズ』 (1989年):54票
※n数=537
不仲時代は別々に曲を作っていたのが嘘のように、2人共作している「スローで行こう」が1位でした。そして、この中で特筆すべきは、3位の「ミックスト・エモーションズ」かと。ミック、キースの雪解け曲で、メンバーが仲良さそうにしているPVを見て、ストーンズファンはホッとしたものです。昔と比べて曲がどうのこうのと言う人もいますが、でも続けてくれることがね、ほんとありがたい。
○4位以下も発表します!
・4位:「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」/『ブルー&ロンサム』 (2016年):53票
・5位:「スリッピング・アウェイ」/『スティール・ホイールズ』 (1989年):48票
・6位:「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」/『スティール・ホイールズ』 (1989年):47票
・7位:「スルー・アンド・スルー」/『ヴードゥー・ラウンジ』(1994年):45票
・8位:「ブルー・アンド・ロンサム」/『ブルー&ロンサム』 (2016年):44票
・9位:「Oh No、ノット・ユー・アゲイン」/『ア・ビガー・バン』 (2005年):38票
・10位:「ブラインデッド・バイ・レインボウズ」/『ヴードゥー・ラウンジ』(1994年):35票
※n数=537
4位の「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」は、ツェッペリンもカバーしたオーティス・ラッシュの名曲ですが、このストーンズバージョンでは、なんとクラプトンが共演しています。偶然、隣のスタジオで作業していたので、「ちょっと演っていけよ」と言われ流れで弾いたものだそう。挨拶代わりにこんなの弾いちゃうんだから、ほんとにすごい。ちなみにストーンズとクラプトンの共演で有名なのは、1970年のキースの誕生日に演奏した「ブラウン・シュガー」。下記においておきますので、ぜひご一聴を。
○この時期、アルバム単位でどれか一枚と言われたら
チャーリーが参加した、最後のオリジナル・アルバム『ブルー&ロンサム』 です。聞きやすい大人な演奏なんかじゃなく、ミックのグイグイくるボーカルと迫力のブルースハープ、キースのゴリゴリしたギターが全面的にフィーチャーされた、極めて荒々しいプレイが聴けます。たったの3日間で録音されたそうですが、未だにこれだけの演奏がスッとできるって、もう信じられない。
●6人目のストーンズは誰だ?メンバー以外で成功に貢献したのは
年代別名曲ランキング、いかがだったでしょうか。最後にもうひとつ、おまけ的に「メンバー以外で、バンドの成功に貢献したのは誰だと思う?」という質問をしてみました。ロンドンの純粋なブルース少年たちが、そのままで世界的に成功できるはずはなく、裏側で沢山の人が貢献してくれているのです。※貢献したゲスト・ミュージシャンはあまりに多いので、除外しています
結果は以下のようになりました。
○あなたがいたから、ストーンズは成功した! お世話になりました!6人目のストーンズランキング
・1位:アンディ・ウォーホル:183票
失敗できないローリング・ストーンズ・レコードの1作目『スティッキー・フィンガーズ』のジャケット・デザインを担当
・2位:ジミー・ミラー:119票
1968~73年の黄金期にアルバムのプロデュースを担当。バンドがドラッグ漬けの最悪状態であったのに、傑作アルバムを何作も作り上げた
・3位:イアン・スチュアート:100票
結成時からピアニスト、ロード・マネージャーとして参加。オールダムによりメンバーから除外されたが、それでもバンドを支え続けた
・4位:アンドリュー・ルーグ・オールダム:97票
ビートルズのライバルとして、「不良」イメージでストーンズをセールスすることを考案。マーケティングの天才。ミック&キースのソングライティングチームを作った
・5位:マリアンヌ・フェイスフル:61票
ミックと交際した当時のトップアイドル。ミック&キースの曲を彼女が歌いヒット。彼女とミック付き合うことで、ストーンズのラブソングは説得力が増した
・6位:アニタ・パレンバーグ:39票
ブライアン、キースと交際。メンバーのファッションセンスに影響を与える。この人のおかげで、メンバーは一気にアカ抜けた
※n数=599
ウォーホルが1位でした。ポップアイコンとしての、ストーンズを作り出したのは彼といってもいいかもしれません。自らのレーベルを立ち上げた1発目で、あのジャケットをデザインした功績は大きいですね。
ジミー・ミラーが2位というのもいいですね。さすが、皆さんよくわかってらってしゃる。ジミーはプレイヤーとしても有能で、引き算のドラムはジミーに教わったとチャーリーは発言しています。特にドラッグのやりすぎで、レコーディングが停滞しまくった『メイン・ストリートのならず者』の頃、メンバーを鼓舞しながら(時にはチャーリーの代打でドラムを叩きながら)、がんばった功績は大きいですね。彼がいなければ黄金期の名盤の数々は世にでていなかったかもしれません。
そして3位は、イアン・スチュアート、通称「スチュ」。結成時の一番最初のセッションでも、真っ先にスタジオにきていたような人です。オールダムに「バンドのイメージにあわないから裏方になれ」と言われ、実際、そうしました。ロックン・ロールな乱痴気騒ぎは好きではなく、あくまでブルースをプレイすることが好きな人だったそうです。バンドが道を外さずやってこれたのも彼のおかげ、とミックが発言しています。
4位のオールダムもすごい。反骨心やラフさの大事さ、電気楽器の迫力に気づいていた彼の視点がストーンズを生み、やがてそれがストゥージズやMC5、キースが大好きなジョニー・サンダースのNYドールズを生んでいったわけですから、パンクの始祖の始祖の始祖?
5位のマリアンヌ・フェイスフルがストーンズのラブソングに与えた説得力はかなりのものだと思います。ストーンズは歌詞の口調こそ不良的ですが、繊細な感情のひだを文学的に表現しています。それを聴くと、リスナーはミックが彼女を想って書いたものだと思えるのでいいんですよね。
6位のアニタ・パレンバーグの影響も大きいですね。スラックスにタートルネックの青年といった格好だったキースが、70年代の堕天使ロッカー的なルックスになったのは彼女の影響でしょう。このキースのスタイルを未だに現在のロッカーも真似しているわけですからね。どんだけセンスがいい人だったんだ。現在のトップ・モデル、ケイト・モスもアニタの大ファンなのだそうです。
A most remarkable woman. Always in my heart. (Photo: Michael Cooper) pic.twitter.com/ubZtRYW1Am— Keith Richards (@officialKeef) June 14, 2017
○ストーンズが最高
わが青春のストーンズです。今聞いても全く色褪せていない。まさにマイヒーローです(すーさん/50代・男性)
「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」を英語の先生に教わりました(kazaguruma/50代・男性)
世代を超えて愛されている。いつ聞いてもたまらない!!(いしころ/男性・30代)
私は沢田研二さんが好きで、沢田研二さんがストーンズが好きなので、よく彼がカバーで歌っているのを聞き、親近感を持つようになりました(レモンティー/60代・女性)
ジュリーやショーケンは、初期ストーンズの格好良さに、一番最初に気づいた世代なんだと思います。しかし、当時の日本の芸能界では彼らのスピリットを表現することは許されず、ヒラヒラの衣装で歌わざるを得なかったんだと思います。後のジュリーのド派手路線にはミックの影響も感じとれますね。
○忘れられない来日公演
1990年の初来日公演を2回(初日と9日目)観れた事はとても嬉しかった(クロワッサン/50代・男性)
初来日時の狂騒が懐かしいです。当時、森高千里の歌の題材になるほどの社会現象になりました(ゆー助/50代・男性)
森高さんの「臭いものにはフタをしろ!!」ですね。当時は街頭キャンペーンもかなりやっていて、たしかに狂騒的状態でしたね。東京ドーム公演での「スタート・ミー・アップ 」の火柱は、日本のアーティストが演奏する場合は許可されないレベルの高さだったそうで、某日本人アーティストが「不公平だ」と、ぷんぷん怒っていたのを覚えています。
○キースが最高
キースのタバコ(アイスマン/40代・男性)
キースのテレキャス(梵天丸/40代・女性)
小学5年生でキース・リチャーズに出会い、ギターを手にして46年。ずっとファンです!もちろん、来日公演で地元・福岡に来た時は観に行きました。そこにキースがいるだけで涙が……。福岡ドームでジャックダニエルをラッパ飲み、タバコを吸いながら演奏できるのはストーンズくらいでしょ。チャーリーの事は残念ですが、まだまだ転がり続けて欲しいです(ベンジー/50代・男性)
おぉ、気持ちわかります!なんにしてもキースですよね。彼がいなければ、パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウもいなかったわけで。ファッションだけではなく、ルーツ・ミュージックを研究する求道者みたいなとこもありますね。
○ミックが最高
ミックの汚い歌い方がロックン・ロールな感じでファンキー(hebo/60代・男性)
ミックの歌声がいつまでも若くて好きです。高校の文化祭で、ミックのまねして歌ったのが楽しかった(50代・女性)
ミックのカリスマ性がいい。世界初の多元衛星中継のテレビ番組で放映された、ビートルズの「愛こそはすべて」の生中継レコーディングにミックを見つけた時は印象的だった(トシくん/60代・男性)
愛こそはすべて~は日本では1967年にNHKで放送された『OUR WORLD 〜われらの世界〜』ですね。ビートルズとは仲が悪いはずなのに、なんで?と思いました。ミックの詩は言葉こそ平易だったり、ラフだったりですが、事象の劇場的解釈やメタファーなど表現技法の宝庫だと思います。あとロックヴォーカリストのステージアクション法を開発した功績もありますよね。
○「悲しみのアンジー」大人気
若かりし頃、付き合っていた恋人が突然に上京すると言い別れることに。さびしさ一杯の時にふと流れてきて感動しました(PNなし/70代・男性)
「悲しみのアンジー」はたくさんの思い出のある曲で、聴くたびに失恋した時や辛かった時など色々なことを思い出させてくれる(パンナコッタ/40代・男性)
中学校の頃初めて聴いて以来、どこか懐かしさを感じる良い曲だと思います(じじた/40代・男性)
日本人の琴線にふれるアンジー。呼びかけるようなミックの歌い方もいいですよね。
○もう一度観たい!
ミックのソロコンサートで、日本で見るのは最初で最後と思ったら、ストーンズで来日。以降、嬉しい誤算で来日してくれたけど、コロナとチャーリーの件でもう来日はないかな。もう一度生で見たかった(PNなし/50代・男性)
そこは信じて待ちましょう!頼むから来日してー!!
この記事もおすすめ
提供元の記事
関連リンク
-
new
トヨタ×クリエイターの共創プロジェクト「TOYOTA DIRECTORSCUT」第4弾は「トヨタの”工場と人”」をテーマに12月22日(月)から作品募集をスタート
-
“ゆうこす”菅本裕子、産後ダイエットで80キロ→59キロに 実践法を紹介「ほんっっっとに強いし努力家」「すごく参考になりました」
-
new
Nissy、45万人が熱狂した2度目の6大ドームツアーを映画化! s**t kingz・kazuki & Show-heyもMCとして登壇した初日舞台挨拶【オフィシャルレポート】
-
new
「その仕草…夫は嘘付いてるよね?」義母と夫が曖昧にする妹の存在とは…義実家に入れてもらえない理由は?
-
“リアル春麗”堀江聖夏アナ、“サンタコス”で見事なかかと落とし SNS反響「可愛すぎるミニスカサンタ」「似合いすぎ〜」