日本の下町はあたたかい - 都内で焼肉店を経営するバングラデシュ人の働き方
東京葛飾区の堀切の「和牛炭火焼肉 牛将」をはじめ、もつ焼きやインドカレーなど都内に全4店舗を展開する有限会社ラーナーの社長、橋本羅名(ハシモトラナ)さん。日本人の奥さんと4人のお子さんに囲まれ、幸せな日々を過ごしながら、祖国バングラデシュと日本の架け橋になるために仕事に情熱を注いでいます。
■これまでのキャリアの経緯を教えてください。
バングラデシュ南部にあるカウカリ郡のシルシャ村で、11人兄弟の上から3番目として生まれ育ちました。進学を機に首都ダッカに上京し、家庭教師をして学費を稼ぎながら、バングラデシュ国立ダッカ大学政治学部を卒業しました。その後、家族のためにお金を稼がなくてはいけないと思い、たまたま見かけた日本語学校の留学生として来日を決意。それが1988年です。
来日後、すぐに練りゴム製造会社で仕事を始めました。
夜は居酒屋でバイトもして、親に仕送りをしていましたね。そのあとは焼肉店3軒に勤め、2000年には念願の自分の店をオープン。それがここ「和牛炭火焼肉 牛将」です。とはいえ当時は十分な資金もなかったので、事業計画書を作って駅前で保証人を探しました。助けてくれる人が見つかったのは本当に運がよかった。現在は飲食店4店舗の経営のほか、バングラデシュで検品会社を経営したり、企業のコンサルタント業務も手がけたりしています。
■現在のお給料について教えてください。
起業前に比べれば、給料は上がりましたが、人間って上をみたらきりがないですよね。
いい家や車がほしいとか、欲望もつきない。だからあえて、暮らしぶりは変えていないんです。贅沢をしなければ、そのぶんバングラデシュにいる姪や甥に仕送りができる。自分のちょっとした我慢が、もう一人の子どもの夢につながるかなと思って、そうしています。
■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?
一番は、お客さんの笑顔を見られること。美味しいもの食べながら、家族や友だちと楽しく過ごす時間を提供できることが嬉しいんです。バングラデシュにいるときは家庭も裕福ではなかったので肉を食べる機会はほとんどなかったんですよ。それが日本に来て食べてみたら、いやーうまいなあって(笑)。
しかも、米に合う。ちなみにバングラデシュも米食文化です。美味しいお肉をおなか一杯食べて、心の底から満足する。そういう幸せな時間や満足感を他の人に与える仕事ができたらいいなあと思ったのが、お店を始めたきっかけでした。
■逆に今の仕事で大変なこと、嫌な点は?
食材の原価。もうね、毎年上がりっぱなし。当店ではオープン当初から厳正した和牛を備長炭で焼くというスタイルにこだわっているのですが、店を始めたときに比べて、価格が7倍近くなっている肉の部位もあります。本当に大変ですよ。
いつかは、自分の養牛場や畑を持ち、食材からトータルで提供できたらいいですね。
●ご近所さんの言葉
■日本人のイメージは? あるいは理解しがたいところなどありますか?
堀切という下町に越してきたとき、ご近所さんに「家に鍵かけなくていいよ。ゴミ出してあげるから」って言われたんです。そのときは驚くというより、逆に私の田舎と同じだなあと思って、ほっとしました。私の生まれ育った村は、お米がなくなれば近所に借りに行くようなところ。日本全体もそうですが、とくに下町は助け合い精神が強いですよね。私は外国から来たということもあって、余計に厚く見守ってもらってきたと思います。
■最近TVやラジオ、新聞などで見た・聞いた日本のニュースは何ですか?
安倍政権が安全保障関連法を成立させたことです。
個人的には一度国民に是非を問うために選挙をしてもよかったのではないかなと思いました。
■あなたの「マストビジネスアイテム」を教えてください。
欠かせないのは、首や腰の痛みを和らげてくれるローションタイプの鎮痛剤。これがなくなると、もう大騒ぎ。だって、痛いと仕事にならないですから。腰痛には長いこと悩まされていて、20代のときには交通事故に遭って首も痛めてしまったんです。ちなみに事故のときは、首・腰・足を骨折して3日間意識がなくて死んだかなと思ったほど。そう考えると、今の人生おまけです(笑)。
もうひとつの必携アイテムは、レシピノート。肉をつけるタレやサラダのドレッシングなどの作り方が書いてあります。ほとんど頭の中に入っているけど、数十種類もあるから、念のため。脂やタレで汚れたり、なくしたりすることもあるから、いつも同じ物を3冊作り、予備としてキープしています。iPadも持っていますが、厨房には不向き。軽くて使いやすいノートが一番です。
■休みのとりかたは?
特定の休みは決まっていません。休むときは休みますし、自由にやっています。
お店は年中無休なので、必要なときに休みをとる感じ。土日の夜は混むので店に立ちますが、そのかわり金曜の夜は早く帰って家族と食事を楽しみます。週末も店に立つのは夜だけ。昼間は家族と過ごします。
■将来の仕事や生活の展望は?
日本とバングラデシュの、言葉だけじゃなく本当の意味での架け橋になって何かを残したいですね。まずは、バングラデシュに学校を建設したいと考えていて、すでに約600坪の土地も買いました。私がいま、こうやって日本で過ごしているのも教育のおかげですから。日本は天然資源などには恵まれていないものの、あるものを工夫して使うのが上手。そういう日本にいて学んだことをバングラデシュの人たちに伝えたいですね。いずれは1万坪の敷地に、幼稚園から大学まで作るのが目標。うまくいったらそれをモデルケースに、中東やアフリカにも広げていきたいです。