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「ThinkPadの父」が語るThinkPad開発の歴史 - 歴代モデルも勢ぞろいしたレノボ・ジャパン設立10周年記念事業説明会

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「ThinkPadの父」が語るThinkPad開発の歴史 - 歴代モデルも勢ぞろいしたレノボ・ジャパン設立10周年記念事業説明会
●ThinkPadの開発秘話を披露
レノボ・ジャパンは11日、同社の設立10周年の節目を迎えるにあたり、今後の事業戦略に関する記者説明会を開催した。説明会では、同社代表取締役社長 留目真伸氏や、「ThinkPadの父」とも呼ばれる同社取締役副社長 内藤在正氏が、これまでの10年間を振り返るとともに、これからの取り組みなどを紹介した。

○なぜ日本でThinkPadが開発されたのか

はじめにレノボ・ジャパン 取締役副社長 内藤在正氏がThinkPadの歴史を振り返った。内藤氏は1974年に日本IBMに入社。「IBM マルチステーション5550」やその後継であるPS/55などの開発に従事した。このころは世界向け製品と日本向け製品でOSとハードウェアも異なっており、日本の開発部隊は日本向けの製品を作っていたが、DOS/Vが登場してから、この位置付けが変化し、世界向け製品の中における1機種の開発を日本で担うことになった。この部隊が開発したのがThinkPadだという。

なぜ、日本の開発部隊がThinkPadの担当になったのかというと、当時の日本IBMには、TFTカラーディスプレイや小型HDD、低消費電力のCMOS、実装基板、チップセットなどから、藤沢研究所の製造ラインなど「小型PCを作るための要素技術がほぼすべてそろっていた」(内藤氏)ためだ。
また、バッテリや高効率電源、FDD、キーボードやカーボンファイバーといった日本の協力企業が持つ技術力も大きな存在だったという。

ユーザーが使うIT機器は1980年代から大きく変化してきた。端末やデスクトップPCでは、オフィスにいかなければ仕事ができなかったが、ノートPCの登場によってオフラインの仕事であれば会社の外へ持ち出すことが可能に。

また、1998年を境にオフィスだけでなく、家庭や宿泊施設にもワイドバンドネットワークが導入され、ネットワークにアクセスできるようになったほか、現在ではWi-Fiや携帯電話網を利用して、オフィスにいなくても、オフィスにいるかのように仕事ができるようになった。「これが何を意味するかというと、デバイスの使いやすさや性能が仕事のアウトプットに影響するということ」と内藤氏。

ThinkPadは当初から一貫してビジネスツールとして、PCを使ったり管理するわずらわしさを最小限にとどめ、どこにいてもオフィスと同様の生産性を提供し、ひいてはユーザーの成功を目的に開発が進められているという。○ThinkPad開発の歴史

内藤氏はThinkPadの歴史を5つの世代に分けて説明する。第1世代は1992年から1999年まででThinkPadというブランドの創世記となる。
初代ThinkPadの「ThinkPad 700C」からはじまり、最上位モデルには次々と機能が盛り込まれ、一方でエントリーの300シリーズや薄型軽量を目指した500シリーズ/600シリーズと製品自体のラインナップも拡充された。

この時期、オーストラリアのユーザーから"非常に激しく壊れた"ThinkPadが戻ってきた。内藤氏は「それをみたときに開発陣は愕然とした。当時のThinkPadは70万円は必ずしていたので、われわれは"70万円もする製品だからきっと大事に扱ってもらえるだろう"と考えてきた。しかし返ってきた製品はそうではなかった。ツールというのは大切に使ってもらうのではなく、お客さまがどのように使ってもストレスがないように作らなければならないと学んだ」という。

これを契機にテストの仕方も変化した。それまで要求スペックに対してまでのテストしかしていなかったところ、どこまで何をしたら機械が壊れるかというテストをしたうえで、その次のレベルを目指すようになったという。
「機械を見るのではなく、機械の先にいるお客さまを見るという文化が確立されたと思っている」(内藤氏)。

続く第2世代は2000年から2004年。第1世代で多様化したシリーズの再定義が行われ、「A」「T」「X」「R」といったラインナップに整理されたのがこの時期だ。さらに、このころから操作方法の統一かや部材・オプション製品の共通化が図られた。

これについて内藤氏は「当時のIBMの社長から"新しいThinkPadを贈ってくれるのはうれしいが、なぜ新しいThinkPadが届く度に電源スイッチを探さなければならないのか"と尋ねられ、確かに機種間の整合性が欠けていた」とその理由を紹介した。

またこのころは「開発陣にとって非常につらい時期だった」と内藤氏。CPUが早くなると同時に消費電力も増え、設計が難しくなっていた。その一方でユーザーからはより低価格の製品が求められるなど葛藤の時期だったという。


その葛藤の最中、2005年にLenovoがIBMのPC事業を買収し、開発陣はLenovoへ移籍することになった。「お客さまからはThinkPadが変わってしまうのではないかと心配されたが、"同じ開発理念、同じ開発部隊で続いていくので、ThinkPadは変わりません"と説明した。たくさん励ましもいただきありがたかった」と当時を振り返った。

Lenovoブランドとなった2005年から2009年が第3世代だ。第2世代で取り組んだ冷却や無線、電源管理といった技術や、ThinkVantageといったソフトウェアの開発が花開いた時期だ。このころ、アメリカの大学に赴き、「学生がどのようにPCを壊すか」を調査。その結果を堅牢性の試験ラボに取り入れたという。

2010年から2012年までの第4世代では、SMB(中小企業)向けに開発されたThinkPad Edgeシリーズなどを新たに投入。
2012年からの第5世代では、タブレットや2-in-1といった新たなフォームファクタを提供するほか、ThinkPad X1 CarbonやThinkPad Wシリーズといったクラムシェルモデルの追求といった挑戦を続けている。2014年には1億台の累計出荷台数を達成。このうち7,500万台はLenovoブランドになってからの数字だという。

現在ではレノボ・ジャパンとNECパーソナルコンピュータの開発陣が一体となって製品開発に取り組む体制が構築されており、今後もさらなる軽量・薄型化を実現するための技術や長時間駆動に必要な技術、新たなUIに向けたディスプレイやソフトウェアの開発、セキュリティの向上を目指して取り組んでいくとした。

●会場では歴代のThinkPadも多数展示
○レノボはこれから「未来型企業」へ - その鍵は"共創"

続いてはレノボ・ジャパン 代表取締役社長 留目真伸氏が登壇。「この10年、レノボがやってきたのは新しい時代のグローバル企業を作るということにほかならない。中国の会社とアメリカの会社が一緒になったわけだが、文化的な壁をいかに乗り越えて新しい企業を作っていくことを目指していた」という。

2009年から2015年まで25四半期連続で、ワールドワイドにおけるシェアを伸ばし、いまやPCでは世界1位、タブレットでも世界3位のシェアを獲得するに至っている。


日本国内でも2005年の・ジャパン設立時には6.2%だったシェアが、コンシューマ市場への参入や、NECとの合弁会社設立を経て2015年には29%のシェアとなるまで成長した。これに伴い売上高も10年間で4倍となったという。

留目氏はこれからの取り組みにあたり「われわれのビジョンは、パーソナルコンピューティングを人々の生活や仕事に浸透させることであり、その部分は変わらない」とし、そのうえでPCやタブレット、スマートフォンといった個人が使うデバイスから、それを支えるネットワークやサーバ機器といった分野にも注力していくとした。その一方で、「順調にシェアを獲得してきたが、現状を考えるとわれわれが目指す"デジタルライフ"や"デジタルワーク"が実現しているかというとそうとはいえない。PCでできることがタブレットやスマートフォンで可能になっても、やってることはこれまでとあまり変わらない。また、生活の中でコンピューティングパワーにサポートされている時間なんてほんのわずかしかない。これではいけないと思う」と課題を挙げる。

これに対してNECレノボ・ジャパングループでは「DREAM」(Digital Revolution for Empowering All Mankind)構想を打ち出し、すべての人が常時コンピューティングパワーを使うような社会を2020年まで実現させることを目指す。


NECレノボが掲げるデジタルライフやデジタルワークのイメージやそこに至る道すじを共有化し、スタートアップや他業界の企業、エンドユーザーまで巻き込んで「共創プロジェクト」として推進する。すでに取り組みは始まっており、由比ヶ浜の海の家「Lenovo House」や渋谷のハロウィンイベントも「共創プロジェクト」の一環で、地域の一部だけでなく全体の活性化などを想定しているという。

留目氏は「この構想を通じて、NECレノボ自身も外部のパートナーやエンドユーザーともオープンでフラットな世界を作り上げて、新たなワークスタイルを作り出すような"未来型企業へ"脱皮を図りたい」とした。

○歴代のThinkPadも多数展示

会場では歴代のThinkPadが多数展示された。以下、写真で紹介する。

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