カタール航空の関空撤退に見る中東エアラインの戦略--首都圏空港問題の実態
中東の"昇り龍エアライン"のひとつ、カタール航空が2016年3月で関空=ドーハ線を運休することを発表した。これだけ見ると単なる一路線の休廃止にすぎないように思えるが、背景には中東エアラインに課された政府間の取り決めや、中東エアラインの事業モデルの特質がある。
○中東マーケットは「乗継市場」
関空線はカタール航空初となる日本路線で、2005年3月31日に就航した。その後、2010年4月に成田線、2014年6月には羽田線を就航。しかし、関空線は2016年1月12日より週5便に減便を経て3月31日に運休となる。なお、成田・羽田線は現状通り毎日運航を続ける。
カタール航空に関しては2015年始めに、日本路線を撤退するとの情報が駆け巡った。業界では全面撤退はあり得ないとの見方が大勢であったし、ガセネタとする論調もあった。
しかし、中東諸国の"ガルフ航空群"を見てみると、カタール航空が関西マーケットで苦戦していたことも事実であり、最後発のエティハド航空が中部空港で苦戦しているのも同様である。
カタール航空は「商業上の理由」で関空線を休止するに至ったわけだが、これを読み解くにはまず、中東マーケットの特殊な事情を理解する必要がある。中東エアラインのすさまじい成長を支えているのは、実は中東地域の経済成長が主要因ではない。また、アジア、ヨーロッパからの中東への需要が急激に増えているわけでもない。
中東各国が「デスティネーション」として繁栄するには、地政学上・宗教上の問題に複雑な要素を多く持ち、まだ観光地としては成熟度が低いという背景もある。ではなぜこんなに伸びるのか。一言で言えば中東マーケットは「乗継市場」だからである。
○中東の自国の需要は2割程度
エミレーツ航空の成長の源泉は、ドバイが旅行の目的地として繁栄しているからではない。
UAEという資源大国の国力高揚をバックにつくられた巨大なドバイ空港と、急激な機材・乗員の拡張によって拡大された世界中への路線ネットワークが競争力の原点なのだ。
中東各社は欧州=アジア/オセアニア、アジア=中東諸国/アフリカ/南米という旺盛な航空需要に対し、ドバイ、ドーハ、アブダビという基幹ハブ空港経由で安価で快適なエコノミーや高級そのもののプレミアムクラスのプロダクトを提供、既存各社の需要やその後の成長分をごっそりさらっていったのである。典型的な「ネットワークキャリア」と言えよう。
それも、欧州や日本のフルサービスキャリアが「自国の需要を事業の基幹収入として据えながら、他国の乗継需要も摘み取る」というビジネスを志向していることに比べると、中東各社は「自国の需要は2割くらいしかないが、自国を経由していく出発地、目的地の需要を大量に摘み取ることでビジネスを成り立たせる」という特徴をもつという点で、大きな違いがある。欧州エアライン等が「他人の庭で商売をする」と中東エアラインを揶揄(やゆ)するのはこうした理由に基づく。
○中東各社の理想は深夜便
このような事情から、中東エアラインにとっての生命線は「コネクティビティ(乗継の利便性)」ということになる。アジア側の各国から自国のハブ空港に何十便が到着し、これらからの乗継客が2時間前後の乗り継ぎ時間でスムーズに欧州、アフリカ、そして南米に向かうというのが理想的だ。
これを可能とするためには、「到着便の集中時間帯」と「出発便の集中時間帯」がうまくつながるように発着のダイヤを固めることが必要になる。
この時間帯を「バンク(土手)」と言うが、バンクに集中した到着便をさばくためには十分な空港容量とターミナル(発着ゲート)が必要になるので、中東各社は広大な土地をさらに拡張して空港整備を行っているわけだ。そして、この時間帯に全部の便が着くようにアジア各地の出発時間を調整するのだが、日本線の大きな問題は両国の時差と成田空港の夜間発着制限である。
各社の日本線の発着ダイヤ(2015年冬ダイヤ)を見てみると、少し奇妙なことに気付く。日本発中東行きの飛行時間が長いのだ。偏西風を考慮しても2時間半も往路の方が長くかかるのは不自然なのだが、これは意図的に設定されたものだ。それは、「中東のハブ空港に早く着きすぎない」ためなのである。
各社の日本発は夜だが、飛行時間と時差の関係でどうしても中東着が早朝にならざるをえず、ハブ空港の出発のバンクである9~10時には早すぎる。そのため、巡航速度を落としたり迂回ルートを飛んだりして、ハブでの接続時間を適正に保つようにしている。
これは日本路線全部に当てはまるが、中東各社にとっては実は「夜中24時前後」に日本を飛び立てるのが最も都合がいい時間帯と言える。これより早いと、前述の長時間飛行(燃料コストはばかにならない)をせざるを得ないし、遅いと旅客が空港に来るのが不便で需要にひびく。この意味で、成田空港の23時以降の発着制限(不慮の遅延などを考慮して22時前後には離陸しないと便が欠航するリスクがある)は、大変悩ましい問題なのである。
2015年春にカタール航空の日本撤退報道が流れた際、「羽田発着時刻が遅すぎて不利だから」との見方もあったが、オペレーションに関して言うなら、地上交通利便さえ確保されるなら羽田空港の発着時間は致命的な問題ではないように思われる。
●事実上の「関空・中部縛り」の撤回が成田・羽田路線にどう影響するか
○暗黙の「関空・中部縛り」
話をカタール航空の関空線運休に戻す。このような市場環境の中での運休は、カタール航空が言う通り「商業上の理由」だろう。中東各社は本来まず東京に乗り入れたかった。しかし、成田空港の発着枠の制約、日本側エアラインの中東乗り入れ予定がないなどの背景があり、国交省は各国にひとつの条件を課した。
「成田空港に乗り入れるなら、同便数を関空か中部空港に運航すべし」という"関空・中部縛り"である。そこでカタール航空はまず、関空に就航した。
中東エアラインは当初、これに大変苦しめられた。日本での外航のマーケティングはまだまだ旅行代理店に依存するところが大きく、自社ウェブサイトで簡単に席がさばけるというものではない。まして売る商品は中東だけではなく、ヨーロッパ、アフリカまでのネットワーク全体に散らばる都市であり、これら地点ごとに細かく予算が振られて達成を求められる。日本国内で一度に2つの都市で代理店、法人相手に営業を展開するのは大変だ。
エミレーツ航空にしても当初は成田空港と中部空港に就航し、中部線ではビジネスクラス客には新幹線代をサービスするようなことまで行ったが結果が出ず、関空にシフトしてしまった。この"関空・中部縛り"は航空協定本文には出てこないが、「ROD(Record of Discussion)」すなわち議事録として記録され発効している。
○残る中東2社はどう動くか
カタール航空は当初、成田空港を21時台に出発し、関空を経由してドーハに向かう便で就航していた。「2地点を運航する」ことと「ハブ到着時間を適正に保つ」ことの一石二鳥を狙った。経由便では東京での競争力が弱く、その後に成田線を分離して関空と別々に運航、さらには羽田線を開設するという首都圏重視の戦略に転換した。しかし、一挙に供給量が3倍になったわけだから、関空線を持て余していたのは事実だろう。今回のカタール航空の関空運休は、この二国間の"関空・中部縛りが外れた"と見ることができ、当局の大きな姿勢の変化だと言えよう。これにより、エミレーツ航空の関空線、エティハド航空の中部線も運休が可能となった。しかし、両社がすぐにカタール航空に同調するかは予断を許さない。
エミレーツ航空は関西=中東以遠マーケットでの競争が減り、カタール航空の顧客の取り込みが見込まれる。
エティハド航空においても、中部線は中部=北京=アブダビの経由便であり、非常にタイトな状況にある北京首都空港のスロットを取得できているという政治的な事情もあるからだ。これを自ら放棄すると、今後の中国混雑空港での発着枠争奪戦に不利に働く可能性もある。
○残る「成田縛り」の行方
今後の流れとしては、世界の空が広く自由化に向かう中でこの種の"縛り"は存在意義を失っていくことになるだろう。現在、各社に最も影響が大きい縛りは"成田縛り"である。羽田空港からの国際線を就航する場合、「成田空港からの乗り換えは認めず、両方の路線を運航すべし」というものだ。
これは各社が雪崩を打って成田空港から羽田空港にシフトするのを防ぐのが目的だが、米国各社にしてみれば日本をハブとして活用しようとすると、まだ羽田空港は使いづらい。発着枠が限られ十分なネットワークを構築できないからだ。デルタ航空が当局に20枠を要求したのもこのロジックによる。
しかし、欧州路線は米国と違って日本をハブにするというロケーションになく、日本側の利便のよい羽田空港を使いやすい状況にある。このため、ANAはロンドン線を成田空港に就航していたヴァージンアトランティック航空とのコードシェアで、「両方で運航」として実質羽田空港にシフトさせたし(その後、ヴァージンが日本線を撤退したので、現在は羽田空港しか運航していない)、パリ線もさりげなく羽田空港に移している。
当局とすれば成田空港の存在基盤が揺らぐことは、空港運営としても、また、今後2020年に向けて発着枠を増加させねばならない羽田空港の飛行経路見直し交渉(千葉県民の理解が不可欠)においても好ましくないと思っているはずである。現状、パリ同時多発テロの影響で需要が減っている欧州側エアラインからの成田・羽田空港のダブル運航緩和要求にどのように対処していくのか、慎重なかじ取りが求められるだろう。首都圏空港問題はまさにこれから、佳境を迎えると言える。○筆者プロフィール: 武藤康史
航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。