大学デビューの落とし穴 (17) 12月:偏ることを恐れると何もできない学生になる?
大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。
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○「なんでもできそう」の罠
12月です、師走です。師=教員も大忙しのシーズンですが、学生だっていろいろと忙しいですよね。クリスマスや年末年始のお楽しみで忙しいだけでなく、この時期は、2年生からの専門課程をどうするか決めねばならない大学が多いため、そっちで頭を悩ませているひともいるハズ。ということで今回は、失敗の少ない進級の仕方について考えてみたいと思います。
AコースとBコースの2択です、ということならわりと話は早いのですが(それでもかなり悩むとは思いますけど)、5つも6つも選択肢があると、当然一発では決められなくなってきますよね。「やりたいこと」がハッキリしていない学生ほど、悩む時間も長引いてしまいます。
その結果「なんでもできそう」なコースの人気が高くなるわけですが、これは大いなる罠です! 気をつけて!
「やりたいこと」がまだよくわからないから、いつか「これだ!」となったときに、なんでもやれるような、いろいろなジャンルの学問が学べるマルチなコースにいれば安心……その気持ち、痛いほどよくわかります。実際、マルチなコースの人気は年を追うごとに高まってきています。
○「なんでもできそう」は「なんにもできない」
しかし「なんでもできる」は、かなりの確率で「なんにもできない」と直結しています。たとえば、和洋中なんでもあるバイキング(ビュッフェ)を想像してもらいたいんですが、あれって結局、料理がどれだけ美味しくても、自分で皿に盛りつけた瞬間から素人感丸出しのゴチャゴチャプレートになっていくじゃないですか? なにこれ、エサ? みたいな感じになってるひと、いっぱいいますよね?
あれをキレイに盛りつけるには、相当のセンスと鍛錬が必要。それと同じで、マルチなコースを選択するのであれば、それを使いこなすだけのセンスが学生の側にないとダメなんです。そして、いまの時点で「やりたいこと」が見つかっていないようなぼんやりさんは、たいていそのセンスを持っていない!
……となると、マルチなコースには、一部のセンスある系学生と、その他大勢のぼんやりさんが集まってくるのであって、そこで繰り広げられるのは、センスある系学生の台頭と、彼らを見て劣等感を募らせるぼんやりさんの凋落。この格差をみることほど、教員にとって辛いことはありません。だから言いたい。
ぼんやりさんこそ偏っておけ! と。バイキングよりもまずはフレンチのコースだけをがんばって食べなさい! と。
じつはわたし自身、過去に苦い経験をしているのです。学部生のころ(法学部でした)、なんとなく偏りの少ないコースにいたほうがいいだろうと、自分では賢い選択をしたつもりで民法コースに進み(憲法や刑法はマニアックというイメージが支配的だったため)、その中でもさらに柔軟性が高いことで知られるゼミに入ったのですが、もう柔軟性が高すぎて、「○を極めました」と言えることがなにひとつない!
いや、副幹事長として運営とかは相当がんばった……コミュ力もアップした……それは嬉しいけど、でもそれって、ほかの場所にいてもできたことだし、もはや学問関係ないんですよね。いまから考えたら著作権法のゼミとかに入っておくべきだったとわかるのですが、後の祭りでございます(泣)!
○ぼんやりさんこそ偏りが必要
他のことならともかく、学問に関して、最初から「浅く広く」ができる学生は、そう多くありません。就職への不安などから、ついあれこれ学べるコースに惹かれてしまいそうな時こそ、そうした環境を本当に使いこなせるかどうかを己に問うてみてください。
そして、ぼんやりさんに偏ってみることをオススメする理由がもうひとつあります。それは、一回がっつり偏っておいたほうが、本当にやりたいことを見つけやすいということ。
ここでいう「偏る」とは、ある系統だった学問領域について専門的に学んでゆくことを指していますが、その過程でかならず「これ向いてる!」「これ無理!」と思う瞬間が出てきます。向いてることに気づけたら、儲けもの。そして無理なことに気づくのも、とてもいいことです。何が好きで、何が嫌いか、何が得意で、何が苦手か。得意を伸ばす方がいいのか、苦手を減らす方がいいのか……こうした自己分析はすべて「とりあえず偏ってみる」ことでしかはじめられないのです。偏るとか、ある一定の型に嵌められる、というのは、抑圧されることです。しかし、抑圧があってこそ、そこから自由になろうとする強い心が育まれると、わたしは言いたい。キツすぎて病んじゃうほどの抑圧からは全力で逃げるべきですが、筋トレだと思えるレベルの抑圧については、引き受けておくに越したことはありません。
たぶん、みんな将来が不安なんだと思います。だから自分の中にいくつもの可能性を持っておきたいんだと思います。しかし、偏ることをむやみやたらと恐れるひとより、己の偏りを知り、得意分野ではバリバリ活躍して、苦手分野では誰かに頼ることを恥ずかしがらないひとの方が、重宝されるし、愛されます。なぜ愛されるのか? それは「偏り」というのが「個性」の別名だからです。学生としてどんな偏りを身につけられるか、いかに面白く&チャーミングに偏っていくか。そこを考えることが何より大切なのではないでしょうか。
トミヤマユキコ
ライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。
早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。
Twitter @tomicatomica
清田隆之/桃山商事
1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番
組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』
(原書房)がある。
Twitter @momoyama_radio