大学デビューの落とし穴 (18) 12月:コスパ重視な大学生が陥る"クリぼっち恐怖症"の正体とは?
大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。
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○ますますキツくなる"クリぼっち恐怖症"
いよいよ12月も残すところあとわずかになりました。まもなくクリスマスを迎えますが、世間が浮かれムードに包まれる一方、"クリぼっち恐怖症"に苛まれている人も少なくないと思います。
かつては「一緒に過ごす恋人がいない」ということが問題の中心でしたが、最近はSNSやパーティ文化の浸透もあってか、「楽しむ仲間がいればオッケー」という風潮になりつつあります。ただし、これはプレッシャーを緩和させるものではなく、むしろ「恋人どころか一緒に過ごす仲間すら見つからなかったら余計にみじめ」という不安を生み出したという意味で、クリぼっち恐怖症はますますキツくなっていると言えます。
さて、トミヤマさんは前回「偏ることを恐れると何もできない」と書きました。2年次からの専門課程を選ぶにあたり、「なんでもできそう」な道を選ぶと結果的に「なんにもできない」事態に陥ってしまう、だから思い切って偏ってみようと、そう説いたわけです。
実はこれ、ぼっち問題にもかなり通じる話だと感じます。そこで今回は、話題を人間関係にまで広げて考えてみたいと思います。
○クリスマスに一人ぼっちはなぜ怖いのか
クリスマスというのは、多くの人間が「誰と過ごすか」を一斉に考えさせられる機会です。関心の有無に限らず、その火の粉は万人に降りかかります。どんなスタンスを取ろうと、強制的に意識させられてしまうのがクリスマスの厄介なところです。
では、このイベントを一人ぼっちで迎えることが、なぜこんなにも「つらいこと」とされているのか。これは単に「さみしいから」というだけの話ではありません。その根底には、おそらく「否応なしに自分の居場所を意識させられてしまうから」という、極めて実存的な理由が関わっているように思います。
我々は基本的に、いくつかのコミュニティに属しながら暮らしています。大学1年生であれば、地元の幼なじみ、中学や高校の友達、大学のクラスメイト、サークル、バイト先、趣味のつながりなど、関わりの濃淡が異なる複数の所属先があると思います。
こういった中で、みんな一斉に「誰と過ごすか」を考えさせられるのがクリスマスというわけです。すると、どうなるか。ここで人々の脳裏に浮上するのが、「本当の帰属先(=ホーム)はどこなのか?」という問いです。
○「アンチ・クリスマス」の集いは実はリア充?
これを考えるのは、案外恐ろしいことです。もちろん、確固たる所属先がある人は問題ないでしょう。自分もそこをホームだと認識し、相手も同じ思いだと確信できる。
こういった関係がひとつでもあれば安心だし、「恋人」というのもそのひとつでしょう。
問題は、これに確信が持てないときです。いろんなコミュニティに所属してるものの、どの所属先でも「自分はコアメンバーである」と胸を張っては言い切れない……。自分が仲良しだと思っている人には、自分よりももっと仲良しの人がいるかもしれない……。結局のところ、自分にはホームと呼べる人間関係などないのではないか……。こういった不安をあぶり出してしまうのがクリスマスというイベントなのです。
だから、例えば毎年クリスマスの時期になると「アンチ・クリスマス」を唱えたイベントやデモ行進などが行われたりもしますが、これを「イデオロギーを共有する仲間たち」という視点で見れば、実はわりとハッピーでリア充な集いであることがわかります。これに比べれば、つながりに自信の持てないコミュニティのクリパに参加する人の方が、実存的な不安はずっと大きいはずです。
否応なしに「本当の居場所はどこか?」と問いかけられてしまう……。これこそが"クリぼっち恐怖症"の正体ではないかと思うわけです。
○人間関係でも「とりあえず偏ってみる」
今の大学生はしばしば「マジメ」「バランス重視」「損することを嫌がる」といった傾向を指摘されますが、これは人間関係の作り方にも当てはまるような気がします。
日常生活を快適に過ごすためには、人とのつながりが不可欠です。刺激や癒し、有意義な情報などを得られるし、孤独や不安を埋めてくれるといった効能もあります。しかしその一方で、人間関係は面倒くさいものでもあります。コミュニケーションというのは心身にそれなりの負荷がかかるし、それを維持していくためには、お金や時間といったコストを払う必要があるからです。
これを要領良くやろうとすると、様々なコミュニティに「浅く広く」関わることで、なるべくデメリットを背負わずにメリットを得るようなつき合い方や、他者とのコミュニケーションを可能な限りSNSなどのオンライン上で行い、リアルな時間とお金はすべて自分自身に投資するといった方法が選択されがちです。
コミュニティにしても、コアメンバーとしてイベントや飲み会を"運営"するより、誰かが作ってくれた場に"乗っかる"方が効率的だと見なされます。
しかし、実はこういう「コスパ重視」の心構えこそが、クリぼっち恐怖症の原因となる実存的不安へとつながっているのです。トミヤマさんも言うように、何ごとも「浅く広く」というのは意外に難易度の高いもの。様々なコミュニティを渡り歩き、面倒を背負わず器用に生きていくことももちろん可能だと思いますが、その"税金"としてついてまわる「結局のところ、自分はどこにも所属していないかもしれない……」という不安は、案外バカにならないものです。
では、どうするか。トミヤマさんと同じ結論になりますが、人間関係においても「とりあえず偏ってみる」ことをオススメします。損得を考えず、とりあえずどっぷり関わってみる。その結果、リターンも面倒も倍になります。
そういう時間やコストの堆積が帰属意識の形成につながるかもしれないし、どこかの地点で「自分の居場所はここではない」と感じるかもしれない。
どちらにしろ、そこまで行ければしめたものです。必ずや、確固たる仲間や、逆に「自分は一人の方が好きかも」という確信が得られるはず。って、何だかやけに説教くさい話になってしまいましたが……クリぼっちは自分の生き方を見直すチャンスということで、目をそらさずその不安に浸ってみて!
清田隆之/桃山商事
1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番
組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。
』
(原書房)がある。
Twitter @momoyama_radio
トミヤマユキコ
ライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。
Twitter @tomicatomica