EXILEが語る20周年への思いと転機 2022年は「岩ちゃん見習ってオラオラで(笑)」
●20周年で決意新た「EXILEを進化させていきたい」
2020年11月にEXILE ATSUSHIが勇退後、14人体制となった新生EXILE。グループにとって節目となるデビュー20週年イヤーに放たれたオリジナルフルアルバム『PHOENIX』(1月1日発売)には、どんな思いが込められているのだろうか。EXILE NESMITH、橘ケンチ、EXILE TETSUYA、岩田剛典、世界の5人がアルバムに収録された曲への思い、さらには20周年という節目の意義、自身のターニングポイントとなった出来事について語り合った。
――2001年9月にメジャーデビューしたEXILEが20周年イヤーを迎えましたが、どんな心境でしょうか?
NESMITH:個人的には、オーディション番組(『ASAYAN』)でATSUSHIさんと一緒になり、そのときから客観的に「EXILEの音楽は格好いいな」と思っていて、刺激を受けていました。当時からオリジナルメンバーには食事にも連れていってもらうなど関わりがありましたが、2005年にLDHに入り、J Soul Brothers(二代目)を経て、EXILEに加入したときは、ATSUSHIさんからも「オーディションを経て、それぞれ違う道を歩んできたネスと、またこうして一緒になるのは、すごく不思議な縁を感じている」という言葉をいただき、僕自身も特別な想いを感じていたので、20周年という節目に、メンバーの一員としていられるのが奇跡だなと思います。
橘:僕的には普通にクラブダンサーとして10代を過ごしているなか、当時憧れていたのがHIROさんをはじめ、初代のメンバーの方たちでした。そのあと皆さんがメジャーデビューしたときは「なんで歌詞を付けているんだろう」と不思議な気持ちで見ていた時期もありました。でも2004年に初めてEXILEのサポートダンサーとして、僕とTETSUYAはミュージカルに出演させてもらったのですが、そのときすごく格好よくて、「クラブダンサーの枠で収まっていた自分の小ささに気づいたというか、俺もこういう風になりたい」と強く思ったんです。
その後、運よくグループの一員になることができましたが、このグループはいまの時代だけではなく、ずっと先にも繋がっていく存在だと強く感じました。20周年という節目の年にいるメンバーとして、“繋げていく”という使命感を持って、オリジナルメンバーがいなくなったEXILEを進化させていきたいと思っています。
TETSUYA:僕もEXILEというグループには夢を広げてもらったという気持ちが強いです。EXILEは、出会いによっていろいろなものが動くグループだと思っています。2001年の結成時から、第1章、第2章……とどんどん変化と進化を遂げている。だからこそ20年続いたと思いますし、いまの自分のダンスをしっかり色濃く落とし込めるように、がむしゃらに向き合っていきたいと思えるグループです。またライブツアーが行えるようになったら、その思いをすべて注ぎ込みたい。そんな20周年イヤーになればいいなと思っています。
岩田:僕と世界は7年ほど前にEXILEに加入させていただき、いわゆる“新メンバー”と呼ばれる立場なのですが、僕らが加入したときは、すでに国民的なグループとしてキャリアを築かれていたので、僕がなにか貢献できたという実感はないんですよね。だからこそ、節目の20周年という時期にメンバーとして一緒にお祝いできるのは、本当にラッキーだなと思っています。時代の流れとともにEXILEというのは変化してきたグループで、ダンス&ボーカルグループとしては、類を見ない存在だと思いますが、先輩から受け継いだ「世の中が平和になるように」とか「子供たちに豊かな思いを届けよう」というEXILE魂をしっかりと後輩にも繋げていけたらなと思っています。
世界:20年の間に、歌とダンスという根底はありつつも、AKIRAさんやMAKIDAIさんから始まったお芝居の道など、どんどん活動が広がっていくなか、LDHの中心はやっぱりEXILEというグループになると思います。だからこそ、20周年イヤーというものに対して、僕らEXILEはもちろん、後輩たち、さらに言うとEXILEになる前から応援してくれた人たちにとって、2022年はすごい年にしなければいけないと思います。いまの14人でしかできないこと、変化と進化を、スピード感を持って感じてもらえる年にしたいなと思っています。
●思い入れのある『PHOENIX』収録曲をアピール
――そんな20周年イヤーを勢いづけるアルバム『PHOENIX』が2022年1月1日に発売されました。すべてが魅力的な曲ですが、それぞれ、思い入れのある楽曲について語ってください。
NESMITH:EXILEの楽曲として初めて作詞をさせていただいた「Freedom」という曲です。僕らが楽曲を決めるとき、選曲会議というものをするのですが、僕がすごくこの曲を気に入って詩を書きたいと話して、じっくりと取り組ませてもらいました。いまコロナ禍でなかなか以前のようにファンとコミュニケーションが取れないなか、2021年8月に「CL 1st Anniversary Live 2021」というイベントを開催したのですが、そのとき「私とEXILE」という思い出エピソードを募集したんです。そこにはハッピーなものから、すごく辛いものまでたくさんあって……。それを読んでファンの皆さんが、どれだけEXILEと共に歩んでくださっていたのかが分かり、強く感銘を受けました。そんな思いも自分なりに落とし込んだ作品なので、ぜひツアーで皆さんと共有できたらいいなと思っています。
橘:「RED PHOENIX」ですね。いまの14人体制で最初に出したシングルですし、ATSUSHIくんが抜けたあとの世界観をどう表現していくかという意味では、とても重要な曲だと思っていました。
SHOKICHIが中心になって(白濱)亜嵐、TAKAHIROくんと共同で作ってくれた曲ですが、いまの14人の機動力も活かせた絶妙なところをついている。この曲を作ったあと、コロナ禍になってしまったのですが、思い出されるのが東日本大震災なんです。あのときエンタテインメントの力で日本を元気にしたいという思いで「Rising Sun」という曲を作らせてもらったのですが、またこの曲で、不死鳥の如く「なにがあっても立ち上がるんだ」というメッセージを伝えられたらなという思いがあります。
TETSUYA:僕は「DOWN TOWN TOKYO」です。パフォーマー的にはやっぱりこの曲は外せないかなと。EXILEは、時代と共に音の変化はありますが、ニュージャックスイングが必ず入ってくると思っています。やっぱりEXILEのルーツだと思うし、その意味で「DOWN TOWN TOKYO」は印象的ですね。ポロ ラルフローレンさんとコラボさせていただいて「こんなことって起こるんだ」って衝撃を受けました。
ブランデットムービーを撮るとき、TOKYO STADIUMの新作を着て、ダンスバトルみたいにソロを踊ったりして、とにかく楽しすぎて(笑)。まだファンの皆さんの前では披露できていませんが、あの撮影の感覚をステージ上で見せられたら、最高だなと。岩田:僕は「HAVANA LOVE」ですかね。この数年でリリースさせていただいた楽曲のなかで、一番耳に残るというか、シンプルに元気になる曲だなと感じています。とても聴きやすいし、間口も広がる曲。大人から子供までサビを口ずさむことができるのがいいですよね。ゴリゴリした男らしいナンバーも格好いいけれど、ライブでは一体感が生まれるのがこの曲じゃないかなと思うんです。
世界:僕はTAKAHIROさんが歌う「STAY WITH ME」です。
一同:そっちいくか?
世界:初めて聴いたときから素敵なバラードだなと思って耳から離れませんでした。まあライブではTAKAHIROさんが1人で歌うのか、普通にパフォーマンスするのかは分かりませんが、個人的にお客さんとして聴いてみたいなと思った曲です。
●東日本大震災やオーディション…それぞれの転機
――お話を聞いていると、いろいろな思い出が詰まった芸能活動ですが、それぞれ振り返ってみてターニングポイントとなった出来事を教えてください。
NESMITH:やっぱり2008年の12月31日ですね。EXILEが「EXILE PERFECT LIVE 2008」のファイナルを札幌でやったのですが、そのライブの直後に「二代目J Soul BrothersのメンバーをEXILEに」というお話をHIROさんからいただきました。先ほど話したように、ATSUSHIさんとの関わりをはじめ、これまでのいろいろな出来事がその日にすべて一本の線で繋がった感覚になりました。あの日をきっかけに、いろいろな夢が広がっていった気がします。
橘: 2011年の東日本大震災ですね。
僕がEXILEに加入して2年後に起こった悲しい出来事だったのですが、それまでの2年間は、いきなりアリーナツアーやスタジアムツアーなど、正直リアリティがなく、フワフワした感じだったんです。そんななか、震災が起きて、HIROさんを始め上のメンバーの方たちが、どうにかしようと必死に悩まれている姿を見て、楽しむだけではなくグループにいる意義や、自分にはなにができるのかということを真剣に考えるようになりました。あれから10年、まだいまだに考え続けている状態なのですが、自分にとっては、いろいろな意味で大きく変化した出来事でした。
TETSUYA:ケンチが話したように、EXILEに加入した直後から、あまりに目まぐるしく環境が変わっていったので、しっかりとした記憶がなかったんです。そんななかでも、天皇陛下の前で行ったパフォーマンスは鮮明に覚えています。あんな貴重な経験は二度とないと思いますし、孫の代まで自慢できることだなと。しかも僕らがずっと大事にしてきた振り付けがあるのですが、一番得意なダンスを天皇陛下の前で披露できたというのは、ダンサーとしては非常に大きなことでした。
岩田:だいぶさかのぼりますが、やっぱり僕は2014年の「PERFORMER BATTLE AUDITION」ですね。EXILEに入る前のことですが、メディアのカメラも入って密着していただくなど、自分のなかで大きく変わった出来事でした。いま20周年のお祝いにメンバーとしていられるのは、あのときのおかげですから。その意味では忘れられないですし、大きなターニングポイントだったと思います。
世界:僕もまったく同じです。あの武道館では、メンバーが発表される前に、EXILEと一緒に踊ることになっていて、リハーサルをやっていたんです。まだEXILEの方々をメンバーさんって呼んでいたぐらいで、顔もちゃんと見られなかった。そんななか、(岩田と)一緒に柱の影で他の人のパフォーマンスを見ていたのですが、彼が「あーそういう感じなのね」ってちょっとオラついた感じでつぶやいたんです。そのとき「やっぱり違うなこの人。スゲーメンタルだと思ったんです。この人と一緒にグループ入ったら安心だって(笑)。僕のなかでは衝撃でした」
岩田:俺、そんなこと言ってた? 全然覚えてない。でもかなりヤバくない?
世界:いやいや。その言葉で自分も一個スイッチが入ったのは間違いない(笑)。
橘:なんかすごく良い話だね。2022年はみんな、岩ちゃん見習ってオラオラで行かないとね(笑)。