Apple Musicによる音楽の楽しみ方の変化(前編) - 松村太郎のApple先読み・深読み
今回は、再びApple Musicの話だ。Appleは2015年6月30日にApple Musicを開始した。Beatsを買収してから1年で、iTunesに変わる新しい音楽サービスとしてリメイクし、立ち上げにこぎ着けた。
Apple Musicでは、他のストリーミングサービスと同様、膨大な数の音楽に自由にアクセスすることができる。しかしAppleの独自性は、「ハンドクラフト」だ。
24時間生放送のラジオステーション「Beats 1」や、エディターと呼ばれるAppleのスタッフが世界中で大量に作り続けるプレイリストのライブラリ、そしてアーティスト自身が投稿してファンとつながるConnectの機能など、人の手が介在した音楽の楽しみ方の提供にこだわっている。
Apple Musicとよく比較されるのは、ストリーミング音楽サービスの認知度を向上させてきた存在であるSpotifyだ。登録ユーザー7,000万人、有料ユーザー2,000万人といわれる同サービスに、どれだけ迫れるかが、Appleの新サービスの成否を分ける指標にもなっていた。
Appleの役員が披露した最新の数字では、有料会員数は1,100万人に上り、前述のSpotifyの有料会員数の半数を上回るようになった。iOSの「ミュージック」アプリと統合されている点で、非常に大きなアドバンテージがあるが、Appleとしては、世界の85%のスマートフォンのシェアを占めるAndroidユーザーを取り込むことで、さらに会員数を伸ばすことを狙う。
ところで、皆さんは音楽をどのように聴いているだろうか。
筆者は2001年にiPodを使い始めて以来、iTunesに音楽を蓄積してきた。CDからリッピングして音楽を貯めてきたが、だんだんiTunes Storeで音楽を買うようになり、現在それらの音楽は丸ごと、iCloudミュージックライブラリとしてサーバにアップロードしている。
お気に入りの曲の再生カウントは3桁を超えるものもあるが、そうした楽曲に付随するメタデータも含めて、なんとか15年間ファイルをキープしながら聴いている。
当然だが、物理メディアではないので、再生を繰り返しても、データの劣化などは理論上ない。逆に、少し音に深みが出てくる、といったアナログチックな変化があっても面白くはあるが、まあ、そんな事はない。
レコードがすり減ったり、CDに傷がついていく代わりに、再生回数や星やハート、プレイリストへの追加といったデータが蓄積されていくのだ。
ただ、Apple Musicで音楽を聴くようになり、もともと持っていたアルバムも含めて、ストリーミングで聴くようになってきた。あのとき買わなかった(お金がなくて買えなかった)作品も、すべて聴けるようになったのは、初めてのお小遣いでCDを買っていたような世代である筆者からすれば、夢のような環境だと言える。
無駄に世代間論争をあおるつもりはないし、音楽を買わないことを責めたいわけでもないが、筆者のように音楽を物理的なメディアで買ってきた世代と、YouTubeなどで無料で楽しんでいる世代とでは、音楽を買う、聴く、という感覚は大きく異なるだろう。
筆者が「夢のよう」と書いた内容について、おそらくCDというメディアを活用せずに済んだ世代からは、全く共感が得られないのではないか、と思う。
●思い切って、iTunesの音楽ファイルを消してみた
音楽の聴き方が変化してきたこともあり、15年間守ってきた音楽ファイルを、先日思い切って、すべて消してみた。手元のMacのディスク容量が不足してきたため、100GBあまりのiTunesフォルダを一掃したのである。ちなみに、音楽データは消えても、前述の再生回数などのデータは削除されなかった。
一応、筆者もその機能を理解した上で、それでも心配で踏み切れなかったことではあるが、ディスク容量の限界が迫りくる状況で、一線を越え、データ自体をクラウドに任せたのである。ひとまず現状、問題はない。とはいえ、ファイルの削除が伴うため、読者の皆様が行う場合には、自己責任でお願いしたい。
一応、Office 365アカウントについてくる1TBのOneDriveに、iTunes Storeに取り扱いがなさそうな音楽ファイルはバックアップしてある。クラウドストレージの容量に余裕がある方は、そちらも試しておくことをおすすめする。
Apple Musicのユーザー、もしくはiTunes Matchを契約していると、ユーザーのiTunesライブラリ内、すなわち手元にある音楽ファイルは、iTunesと照合され、カタログにないものはアップロード、カタログにあるものは契約期間中は自由に再ダウンロード可能になる。これらの楽曲はストリーミング再生も行える。
ちなみに、iTunes Matchが別料金なのは、この再ダウンロードする音楽ファイルについて、Apple MusicやiTunes Matchの契約解除後でも再生可能にするオプションが存在するからだ。
もちろん、WAVEやAppleロスレスなど、再ダウンロード可能なAAC 256kbpsの音質より高くリッピングしていたファイルについては、音質が劣化する点を留意しておきたい。ただ、2001年ごろに筆者がリッピングしたのは、ほとんどがMP3 160kbps、頑張ってMP3 320kbps程度だったので、さほど気にする必要がないだろう。
ファイルの削除は、MacのiTunes上から行った。ライブラリ全体の音楽をcommand+Aで選択し、deleteキーを押す。すると、「この曲を削除してよろしいですか?」という確認が表示されるので、「ダウンロードしたものを削除」をクリックする。すると、iCloudミュージックライブラリにファイルが保存された状態で、iTunes上のファイルが削除される。
iCloudミュージックライブラリ・iTunes Matchでアップロードされるのは、iTunes Store購入分を除く10万曲で、1曲あたり200MB以下、再生時間2時間以内という制限が課せられる。また、より高品質な音楽はAAC 256kbpsに変換されてアップロードされ、品質基準以下のファイルはアップロードされない。
アップロードされないファイルを削除すると復旧できないため注意が必要だ。アップロードされたかどうかは、iTunesのマイミュージックのリストのクラウドのマークを確認するとよいだろう。
●Appleは「やっと」音楽をモバイル化した
Apple Music経由での再生が増えたことも理由ではあるが、Macのハードディスクに音楽ファイルそのものが入っていないからといって、普段の音楽聴取体験に特段不便も変化もない。それだけ、音楽を聴く環境が、Wi-Fiやセルラーなどでインターネットにつながっている環境だということだ。
iCloudミュージックライブラリでは、Macから音楽ファイルを削除できる点に加えて、iPhoneからでも、Apple Music以外の音楽ライブラリにアクセス出来ることがメリットだ。Macに接続しなくても、1曲単位で必要な楽曲をダウンロードして、オフラインで聴くことができる。
Appleは、iTunes Storeで、「音楽を購入する」という行為を、「音楽を聴く『権利』の購入」という形に変えてくれたように思う。しかしApple Musicとそれに付随してくるiCloudミュージックライブラリによって、「音楽を聴く権利をモバイル化した」と表現できるだろう。
SpotifyやPandoraなど、始めからストリーミング主体でサービスを展開してきた企業にとっては、音楽のモバイル化は当たり前の話と考えているだろう。ユーザーにとっては、PCでもスマートフォンのアプリでも良いので、とにかくネットにつながって、サービスから音楽を流してくればよいだけだからだ。つまり、これらのサービスにおいては、はじめから音楽はモバイル化されていたのだ。
しかしAppleには、iTunesユーザーや、iTunes Storeユーザーがおり、彼らは自分で音楽を所有してきた。そして、iPodやiPhoneに同期して、楽しんできた。こうしたユーザーに対して音楽をモバイル化するために、Appleは様々な手順を踏んでいく必要があった
。
iTunes Radioでストリーミング音楽を試しつつ、Appleにとって重要だったのは、iTunes Matchだと感じた。このサービスで、iTunes Storeのカタログを活用し、膨大なiTunesユーザーの音楽をクラウドへ持ち込むテストをしてきたといえる。
Apple Musicは、購読型ストリーミングサービスの部分がよりフォーカスされるが、Appleにとって力を入れているのは、Apple Musicの1つの機能であるiCloudミュージックライブラリの方だろう。これにより、ユーザーが所有している音楽をモバイル化することができ、Apple Musicを受け入れてもらうだけの素地を作ることを実現したのだ。
松村太郎(まつむらたろう)1980年生まれ・米国カリフォルニア州バークレー在住のジャーナリスト・著者。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。近著に「LinkedInスタートブック」(日経BP刊)、「スマートフォン新時代」(NTT出版刊)、「ソーシャルラーニング入門」(日経BP刊)など。ウェブサイトはこちら / Twitter @taromatsumura