長崎“教会群”からみる世界遺産登録のハードルの高さ【前編】
ここ数年、登録の可否が大きな関心事となっている世界遺産。「明治日本の産業革命遺産」の場合、10年あまりの歳月を費やし、もめにもめた末、昨年登録された。「軍艦島」などがある長崎市は観光客の増加に沸いている一方、同県にはもうひとつ、世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」があるが、2月に推薦取り下げとなった。2つ目の世界遺産登録に向け再スタートを切った長崎の行く先は……。
○3月末に控える国内推薦の公募締め切り
「時間がないですし、プレッシャーはありますが、攻めの取り下げです」2月中旬、電話越しにそう答えたのは、世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の長崎県の担当者。今年の登録を目指し準備を進めてきたが、ゴールまであともう少しのところでの仕切り直しとなり、再来年の登録に照準をあわせ、国の推薦獲得に向けた公募締め切りである3月末に推薦書の素案を間に合わせるべく奔走していた。連日のニュースで悲観的な見出しが躍る中、予想外に電話の声に悲壮感はなかった。
○「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
長崎やその周辺の地域といえば、大陸から近いため、古来より海外との交流の窓口となってきた。
キリスト教は戦国時代にフランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされ、この地にイエズス会の本部が置かれ布教の重要拠点とされた。天草・島原一揆後は禁教とされながらも、信徒は隠れて教えを継承した歴史がある。そのため、長崎周辺には全国的にみても特出して多い、約130もの教会が存在する。こういった、日本独自のキリスト教の歴史を特に顕著にあらわすものとして14の資産が選ばれ、世界文化遺産に登録しようとしている。
○推薦引き下げのわけ
「『急がば回れ』という趣旨です」。
2月9日「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の推薦取り下げが閣議了解されたことを受けて、馳文科相は会見で記者の質問に答えた。取り下げの理由について、馳文科相はユネスコの諮問機関イコモスから出された中間報告で“教会群”は世界遺産になるにふさわしい唯一無二の価値があるとされる「顕著な普遍的価値」が潜在的にあるとお墨付きを得た一方で、現状での推薦内容には問題があり、見直すべきだと示されたと説明した。公開の場で文化庁や関係自治体が、推薦内容について説明をしたものの、意見が覆ることはなかったため、先送りを決めたという。
なぜ取り下げとなったのか。再考を迫られた推薦内容そのものと、「世界遺産」全体が置かれている状況を知る必要がある。
●ストーリーが大事な推薦書
○“ストーリー”と“推薦内容”と“名前”
推薦内容の“良し悪し”とはどういうことだろうか。教会など個々の資産そのものの歴史的価値が高く、きちんとした姿で残っていることが大事なのではないかと、思う方もいるだろう。資産そのものの価値ももちろん大切だが、さらに個々の資産をつなげるストーリーに世界遺産にふさわしい価値があるかということも、大きなポイントになってきている。そのため、登録をめざす自治体などは、専門家の助言を受けながら、世界遺産の資産になりそうな遺跡や建造物の調査や、類似する別の世界遺産などとはどう違った価値があるのか、比較検討し、いかに唯一無二の「普遍的価値」があるものか証明するストーリーをつくることに力を入れている。そしてそれにもっともふさわしい遺産の名前をつけている。
○イコモスの存在
世界遺産の登録までには、国からユネスコに推薦書が出された後、イコモスによる審査がある。
この審査の勧告内容を踏まえて、世界遺産委員会で正式に可否が決定する流れになっている。記載されるには、このイコモスによる勧告が重要で、登録にふさわしいとされる「記載」から「情報照会」、「記載延期」、登録にふさわしくないとされる「不記載」までの4段階の勧告がある。「情報照会」や「記載延期」から「記載」に転じたケースは近年増加しているが、今まで「記載」の勧告が出たもので、登録されなかったものは1件しかなく、逆に「不記載」で、登録された例もほとんどない。イコモスを納得させる推薦内容に仕上がっているかどうかが登録に向けた天王山なのだ。
○事例1 富士山
今まで登録された世界遺産ではどうだったのか。たとえば、2013年に登録された「富士山」は最初、自然遺産での登録を模索する動きがあったが、自然遺産にふさわしい価値をもってないことがわかり、文化遺産での登録に舵を切った。信仰の山として人々に崇められてきた歴史、その美しい姿から国内外の芸術に与えた影響の大きさ。
富士山のそういった側面が世界遺産にふさわしいと、遺産の名称には、「信仰の対象と芸術の源泉」という言葉が追加された。
そして富士山の信仰にかかわる場所や、芸術に影響を与えた富士山の姿が見られる場所など25資産が選定された。しかし「三保松原」について、イコモスは富士山から物理的に遠いという理由からこの資産を除外しての「記載」勧告を出した。だが、最終的には、ユネスコの世界遺産委員会にかけられ、21の委員国の決議によって決まる。富士山の時、三保松原は、この場所から見る美しい富士の姿が芸術に与えた影響や富士山と精神的なつながりがあることを世界遺産委員会で認められ、全資産を含めた「記載」決議に転じた。
○事例2 平泉
イコモスから条件が付けられる例は、ほかにもあった。2011年、震災後の被災地に久しぶりの明るいニュースをもたらした平泉の登録。一度「登録延期」となってからの再チャレンジだった。推薦内容をブラッシュアップさせ、「浄土思想」とのつながりがより明確な6つの資産に絞った。
しかしイコモスは、1つの資産について、「浄土思想」との直接的な関連性が薄いとその資産を除外して「記載」勧告を出した。結局、5資産で世界遺産に登録された平泉は、除外された遺跡の拡張登録に向け準備を進めている。
●世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の推薦内容
○指摘をうけた推薦内容
長崎の件に戻ろう。14の資産は「1:伝播した教えが普及していった『伝来と繁栄』時代」、「2:禁教となって弾圧されながらも信仰が継承された『弾圧と潜伏』時代」、「3:禁教が解かれ教会が建てられるようになった『潜伏・復活』時代」、3つの時代に分類される。1にあたる遺産としては、「島原・天草一揆」の際に、2万人以上の民衆が立て籠もった長崎県南島原市の「原城跡」など、2は隠れキリシタンが潜伏していた集落の景観を残す「平戸の聖地と集落」などがある。3については禁教が解けた後に建築された国宝の「大浦天主堂」など8つの教会があり、西洋の伝統的な教会建築の様式を引きつぎながら、石のほかに木や土などで造られていて、特異な文化的な伝統を証明しているとされている。そしてこれらの遺産群全体について「450年に及ぶ西洋の価値観の交流の中で生じた日本における『キリスト教の伝播と浸透のプロセス』に世界遺産としての価値がある」(長崎県のホームページより)と、説明されている。一体何が問題とされたのか。
○“禁教期が日本のキリスト教史の特徴”とイコモス
ここでポイントになってくるのは、3期間に分けられる独自の歴史の「流れ」や「東西文化の交流」を表していることなどに価値があるとされているところだ。イコモスは先日出した中間報告で「日本のキリスト教の特徴は、禁教とされた時代があったことであり、禁教期に歴史的文脈をあてた形で推薦書を見直すこと」とある。つまり、「禁教期」に焦点をあてたストーリーに変えるべきということだ。なぜストーリーづくりが大事なのか。「世界遺産」をめぐる状況については、後編で述べたい。