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宮藤官九郎の"映画脳"を覗く - ゆとり世代から地獄のことまで「振り幅が大きい作家でいたい」

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宮藤官九郎の"映画脳"を覗く - ゆとり世代から地獄のことまで「振り幅が大きい作家でいたい」

●地獄のヒントは居酒屋のテレビ
6月19日に最終回を迎えた日本テレビ系ドラマ『ゆとりですがなにか』。「ゆとり第一世代」と呼ばれる1987年生まれの男女が、友情に、恋に、仕事に生きる姿を描いた。その脚本を担当したのが宮藤官九郎(45)。彼が『週刊文春』で連載している「いまなんつった?」の2016年3月3日号では、「問題は教育制度そのものではなく、それを受けた彼らが社会に出て感じている負い目の方じゃないか」と疑問を投げかけている。

一方で、映画監督として4作目となる『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』(6月25日公開)で選んだ舞台が"地獄"。17歳でこの世を去った大助(神木隆之介)は、赤鬼キラーK(長瀬智也)率いるロックバンド"地獄図"に参加し、地獄からの生還を目指して奮闘する。宮藤監督の過去作を振り返ると、時代劇コメディーの『真夜中の弥次さん喜多さん』(05年)、パンクバンドをテーマにした『少年メリケンサック』(09年)、中学生の妄想を描いた『中学生円山』(13年)。ドラマを含めても、"宮藤監督ワールド"こそ独創性に優れているといえるのではないか。


ゆとり世代から地獄のことまで。作品作りにおける彼の頭の中は、一体全体どうなっているんだろう。今回は、『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』の話題を中心に、「宮藤官九郎の映画脳」という一点に絞って彼の頭に"メス"を入れた。

――いよいよ公開ですね。業界内での反響はいかがですか。

まぁ、あの……関係者の方やスタッフは良いことを言ってくださるので(笑)、本当の評価は公開するまで分からないと思ってます。一般の人に観てもらった時にどこまでこの世界を楽しんでいただけるのか。気になりますね。


――私が観た時の試写室は満員。補助席まで出る盛況ぶりでした。

そうですか。よかったです。

――個人的にツボだったのが、中村獅童さんのシーン。思わず吹き出してしまいました。役柄が明かされていなかったので……まさかあんな役だったとは(笑)。

ありがとうございます(笑)。
獅童さんから直接メールをいただいて、「精いっぱいやらせていただきます!」と。獅童さんにお願いして良かったです。

――『週刊文春』の連載「いまなんつった?」を昨年から読んでいるのですが、今回の映画の話もたくさん取り上げていらっしゃいましたね。そうですね。去年はほとんど映画がメインになっていて、春から秋ぐらいまではずっと映画のことばかり考えていました。

――今回は連載に書かれていた内容に沿って、お話をうかがいたいと思います。

よろしくお願いします。

――脚本を手掛けられた『GO』(01年)と『ピンポン』(02年)で、映画のスタンスが決まったそうですね。
「原作と脚本」の関係性について書かれていたのですが、今回はオリジナル作品です。その点はどのように受け止めていらっしゃいますか。

オリジナルの場合、いちばん必要なのは「説得力」です。企画を成立させるにあたり、協力してもらういろいろな人を説得しなければなりません。興味を持ってもらうために、自分のやりたいことをスタッフやキャストに伝えていくのですが、もし原作があれば「この本、面白いから読んでください!」で済むというか、だいたい共有してもらえますよね。でも、オリジナルはそれができない。

僕のオリジナル作品では、大抵の人の興味はギャグやコメディ要素。ただ、作品を作っていく中でそれだけではないテーマが見えてきます。
オリジナルだからこその難しさもありますが、好きなように作れる強みもあって。もともとの発想「0→1」は自分の中にあるもの。だから、僕にとってはとってもやりやすいんです。原作がある場合は、原作と映画の違いを意識しなければなりませんから。

脚本だけを依頼される時は、また事情が変わってきます。原作があると進むべき方向が決まってやりやすい。ところが監督をやるとなると、今度はオリジナルの方がやりやすくなります。「この世で1つしかない」ものを作り出せるのは、オリジナル作品の監督だけなんで。


――正直に打ち明けます。映画化決定のニュースを書いていた時点では、「この映画は大丈夫なんだろうか」と不安になるほどイメージをつかめていませんでした。「聞こえないふり」をする人はどのあたりから減っていきましたか。(1月の完成披露試写会にて「(周囲を説得する中で)聞こえないふりをする人が多かった(笑)」と発言)

(笑)。皆さんちゃんと聞いてくださっていましたが、やっぱりキャストが決まってから反応は変わってきたんじゃないですかね。長瀬(智也)くんと神木(隆之介)くん。オリジナル作品で大事なことなんですけど、解釈の違いとか誤解から生まれるものも絶対にあると思います。原作を映画化するのは楽な部分もありますが、そういう発想の原点となる「誤解」はない。
オリジナルは解釈の違いから「そういう見方もあるのか」という発見につながって、そこから僕もまた広げられる。「そっちの方が面白い!」と飛びつくことができるし、やっぱり僕はオリジナルの方がやりやすいですね。

――企画したのが2012年で、脚本を書き始めたのが2014年。"地獄"の撮影場所を悩んだ末、近所の居酒屋のテレビで『楢山節考』(58年)を見て閃きがあったと。

ええ。ヒントとなった木下惠介さんの『楢山節考』。これは地獄の話ではなく、姨捨山をモチーフにした話なんですが、今から60年前くらいの作品です。すべてセットで撮っていて、昔はオールセットで撮影している作品が結構あった。

地獄の映画をやることをは決めていたんですが、そのビジュアルまでは自分の中で見えていなかったんですよね。ロケで撮るのか、あるいはグリーンバックで合成で撮るのか。でも、どちらも何かしっくりこない。それはそれで見たことある感じになりそうだし、それをやるのであれば僕よりも上手な映画監督がいっぱいいると思ったので、何か面白いアイデアないかなと思った時に、『楢山節考』を見て、大きなスタジオに地獄のセットを作れば、珍しい映画になるんじゃないかと思ったんです。

●書かないと思い出せないアイデアはいらない

――いろいろな作品を並行して進めていらっしゃいますが、そういうアイデアの管理は? 居酒屋での偶然の出来事も、何かに書き留めているとか。

メモることはあまりないです。並行してやっている期間が長い時、例えば再来年、来年、今年の作品を同時に進めている時とかは、整理しないといけないから後で思い出せるように必要なことを書き出すことはあります。でも、書かないと思い出せないようなことであれば、それだけひらめきのインパクトとしては弱いんだろうなと思うので、よっぽど忘れちゃいけないことだけメモったりしています。あとは打ち合わせ中に、後で絶対に必要になることなどは書いておくようにしたり。でも、今回の作品ではほとんどありませんでした。

――五感を通して伝わってきたものが、自然と脚本や映画の世界観に生かされているわけですね。

そうですね。脚本は考える時間がいくらでもありますけど、現場での撮影はその日その場の判断でしかできないこと。そこで監督はジャッジしなきゃいけないから、決断力を強いられる時は、やっぱり今までの自分の経験しかないですよね。経験をもとに、瞬間的に判断する。だから、忘れないように書き留めておくことはあまり意味がない。やっぱり、その場その場で変わっていきます。

今まではカット割りを考える時に楽しい時ときつい時がありました。そうすると大体スタッフの方が「現場で役者の芝居を見てから考えてもらって全然いいですよ」と言ってくださるのでお言葉に甘えて臨んでいたんですが、現場で何も思いつかない時もあるんですね。でも、今回は全カット絵コンテを書いたんです。全シーン全カット絵コンテを書いたら、現場で全く悩みませんでした。

なおかつ、違和感があった時に絵コンテがあると、それを壊すこともできる。前もって考えていたビジュアルが1つあると、そこから変化させることもでできる。それに気づけたのは発見でしたね。

――今後も同じような方法でやっていくつもりですか?

うーん、分からないですね(笑)。今回は、たまたまビジュアルにすごく頼る作品だからそうしましたけど……今後それをずっとやるのか(笑)。できればやったほうがいいんだとは感じました。

――最初は2時間33分の作品だったそうですが、最終的には2時間5分に。率直にどちらの方が気に入っていますか?

それはもちろん2時間5分です。もちろん諦めたシーンとかあるし、その30分をカットしたんですけど、台本上大きくカットしたシーンはありません。だから、出てない役者さんもいない(笑)。これも絵コンテ書いていてよかったなと思うところで、多めに素材を撮っていったんです。今までは「撮ったつもり」になっていたこともありました。今回は撮れてないカットが1つもなかったので、そういった意味では最初に思い描いていたとおりの映画に近づいたんじゃないかなって思います。

編集の方がつないだ2時間30分を見た時に、意外と完成度が高かったことがちょっとショックでした。そこからカットしないといけないのかと(笑)。でも、今まで4本撮って、現場がいくら楽しかったり盛り上がったりしても、日が経ってその映画を見た時に、「このカットはいらないな」とか「この間は必要?」とか、そういうところが出てきて。今回はそこを意識して、2時間5分にまとめました。だから、「尺の都合」で泣く泣くカットしたシーンはありませんし、短くしたことで良くなっているところはたくさんあります。――その話にも関連するのですが、映画の尺がだいたい2時間前後であることについてどう思いますか? 連載でも書かれていました。

先日、『ストレイト・アウタ・コンプトン』(15年)というラッパーの映画を観ました。2時間47分の作品なんですが、全然退屈しなかったんですよね。やっぱり時間は関係ない。1時間半の映画でも退屈する時はします。きっと人それぞれの好みや思考があると思いますが。

昨年公開された『ハッピーアワー』は5時間17分。まだ観ることはできていないんですが、もしかしたらそのくらいの方が気持ちのいい時間なのかもしれない。誰が「映画は2時間」と決めたのかなとは思います。きっと、座って1つのものを観てられる時間はそのくらいなんでしょうね。『七人の侍』(1954年)も途中に休憩が入っていましたし、インド映画で長いものは3日に分けて観るものもあります。そんな作品がある中で「2時間」は1つの基準になってるんだろうなと思います。

――これまでの作品は達成感があり、今作は「挑戦」でもあったと聞きました。次作でなんとなくイメージしていることはありますか。

この方向でもう1本やっても、もうこれを超えることはないと思うので、次はもうちょっと現実的な世界でやりたいです(笑)。淡々とした映画。やっぱり、振り幅が大きい作家でいたいという思いがあるんですよね。いつやっても「宮藤官九郎っぽい」になっちゃうというのは、みなさんが観たらそう思うのかもしれませんが、僕の中では全然違うものを作りたいという思いが毎回ある。この映画は地獄が舞台で、現実感のない世界。今度は、また別の世界の作品を作っていきたいです。

■プロフィール
宮藤官九郎
1970年7月19日宮城県生まれ。1991年より大人計画に参加。TBS系ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(00年)で脚本家として脚光を浴び、行定勲監督の映画『GO』(01年)で第25回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。映画監督デビュー作となった『真夜中の弥次さん喜多さん』(05年)で新藤兼人賞金賞を受賞し、本作は『少年メリケンサック』(09年)、『中学生円山』(13年)に続く4作目の監督作品。

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