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『シン・ゴジラ』にも出ていた! 逆輸入俳優・ジョー ナカムラを直撃 - 筋肉美の秘密、CM49本ブレイクのワケ

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『シン・ゴジラ』にも出ていた! 逆輸入俳優・ジョー ナカムラを直撃 - 筋肉美の秘密、CM49本ブレイクのワケ

●『ドラゴンボール』『北斗の拳』に憧れて
ディーン・フジオカ、大谷亮平、矢野浩二、祐真キキ。海外で活躍した後に日本でブレイクする"逆輸入俳優"、その次なる注目株ともいえるのが、庵野秀明監督作『シン・ゴジラ』(16年)、ジョン・ウー監督作『追捕 MANHUNT(原題)』(18年公開予定)など話題作への出演が続いているジョー ナカムラ(43)だ。

兵庫県加古川市から上京。俳優として成功することを夢見ていたが不遇の時代が続く。暗闇の中から希望の光に導かれるように、29歳で降り立ったのは香港だった。ここでも鳴かず飛ばずの日々を過ごしていたが、ある出来事で彼の人生が一変する。

都内某所でDHC MENシリーズ新CMの撮影があると聞き、休憩中の彼を直撃。同シリーズといえば、筋肉美がネットでも話題に。
白いガウンから引き締まった肉体をチラリとのぞかせ、これまでの俳優人生と独自のトレーニング法を気さくに話してくれた。

撮影中は鋭い視線をカメラに送りつつ、カメラが止まると周囲のスタッフと和やかに談笑。3ヶ国語を操る"逆輸入俳優"とはいっても、人との接し方は加古川で過ごしていた頃と変わらないという。インタビューの受け答えにも、人懐っこい魅力を感じる。

○高倉健や石原裕次郎が通っていたジム

――撮影は順調ですか?

はい。今回の撮影コンセプトは顔中心。前回は背中、前々回は胸元や腹筋みたいに、毎回コンセプトが変わるんです。

――それに備えて体も作っていると聞きました。


そうですね。今回は腹筋をはじめとした「前」を全面的に作ってきたんですけど、今日来てみたら表情がメインだったので、腹筋はあまり関係なかったのかなと(笑)。腹筋が映えるようなトレーニングをメインに、あとはいろいろなパーツもバランスよく、という感じです。

――ネット上では筋肉美と共にシルエットの美しさを褒める書き込みがたくさんありました。何かコツはあるんですか?

トレーニングでいちばん大事なのは食事。体作りは、9割が食事だと思います。基本的にDHCさんはコンテスト向けのような筋肉ゴリゴリのボディじゃなく、ほのかに丸みと膨らみを残しつつ一般受けするサイズにしてくださいと言われているので、そのオーダーメイドです。「ゴリゴリで」と言われれば、そうします(笑)。
――どちらがお好みなんですか?

どちらかといえば「ゴリゴリ」にもなってみたいですがどちらかと言うと、各パーツが分かるような、親しみやすい「ソフトマッチョ」みたいなイメージを基本にしています。だいたい週に3日は筋トレ、撮影中は毎日ジムに通って、パーツごと鍛えています。

――筋トレ日数は意外と少ないんですね。9割を占めるという食事は、どのようなメニューなんですか?

朝にバナナ1本とヨーグルトを食べて、1時間ちょっと歩きます。走ると筋肉が落ちちゃうので、そのあたりの調整は大切です。もちろん走ることもありますが、歩いたりする日も。それを繰り返しながら体のバランスを見て、その日に走るのか歩くのかを決めています。

――若い頃から鍛えていたそうですね。


18歳の頃、僕が育ったのは兵庫県加古川市で、近所にスポーツジムというものがありませんでした。そんなところにプレハブのジムができて、そこに通いはじめたことがきっかけで体を鍛えはじめました。

――プレハブ? 珍しいですね(笑)。

大通りに面しているジムで、オーナーは畳屋さん(笑)。ボディビルのコンテストに出ていた方だったみたいです。趣味で建てたジムだったんですかね? いつの間にか会員制になっていて、マッチョなおじさんがたくさんいました。

当時の僕はまだ細かったんですけど、『北斗の拳』とか『ドラゴンボール』の世代だったこともあって、「いつかこういう体になりたいなぁ」と小さい頃から憧れがあって、「大人になったらあのジムに通おう」とずっと思っていたんです。

――「モテたい」欲求ではなかったんですね。


うーん、モテたいというよりも「あれが男の体だ」みたいな理想像の方が強かったですね。

――なるほど。そこから体を鍛えることがライフワークに。

ええ。最初は胸のトレーニングばっかりしていたんですよね。すると、腕が細くて胸だけが膨らむというアンバランスな体形になってしまいました。マッチョ系の雑誌を読みながら自分でトレーニングメニューを組んでいって、上京した時にとあるスポーツジムでバイトを募集していたのでそこで働くことになりました。

有名なプロレスラーやハリウッド俳優、かつては高倉健さんや石原裕次郎さんが通っていたジムです。
そこで先輩や会員の方のトレーニングを見ながら、それを自分のメニューに組み込んでいって、理想的な体形に徐々に近付いていきました。途中でベンチプレスの大会に出たりとか、ある時から趣味の領域を超えていく(笑)。海外に行くとよく分かるんですけど、外国人の体はバランスが良いんですよね。海外で生活していた時、ルームメイトから技術やトレーニングメニューを盗んでいたんですが、自分なりに限界が見えてきて、そこで行きついたのが食事とトレーニングのバランスだったんです。

○活動拠点を香港に移した思い

――てっきり、アクションなど俳優業を考えての体づくりだと思っていました。

仕事関係だとこんなことがありました。

シンガポールで『メンズヘルス』というジム・フィットネス系の雑誌があるんですが、そこのカバーオーディションで「シックスパックを2週間で作れるか」と聞かれて、「作れます!」と言ってしまったんですよ(笑)。なぜならカバーになりたかったから。
そこから2週間、鬼のように筋トレをしてちゃんと作って、見事にカバーになりました。

幸運にも、その号がシンガポールの売り上げトップ3に入ったんですよ。それで翌年1月のカバーをもう1回やってくれと言われて、そこからまたトレーニングに励みました。

――すごいですね。もともと国内で俳優として活動されていて、上京後に香港に行かれたそうですね。今の話はその時の出来事ですか?

そうです、そうです。

――活動拠点を移したのは、何か思いがあったんですか?

上京しても当時の自分には人脈も何もなく、事務所に入るコネもない。自分を変えたくて国を変えたというのが一番大きなポイントでした。

――現地の言葉をしゃべれないまま行ったと聞きました。

そうですね。広東語は全くしゃべれなかったんですけど、高校時代からハリウッド映画に興味があって、英語だけは勉強していたんです。

――実際に行ってみていかがだったんですか。

結局、どの国の人でも心が通い合えば、友だちは友だち。ただ、彼女ができても文化違いでケンカすることが度々ありました。それがいちばんの壁で(笑)。価値観というよりも……日本的な空気の読み方と微妙に違っていたりするんですよ。

●飲み屋で知り合った女性と外出「今すぐ事務所に来なさい」

――その後、CMオファーが殺到する大活躍。ブレイクするきっかけは?

香港に行った当時、携帯も何もなかった。アパートには備え付けの電話があって、国内はフリーでかけられるんです。そこでずっと電話番をしていたんですが、1~2カ月全然仕事が無くて。帰らなきゃいけないなのかなと思っていたある日、電話が鳴りました。

事務所のスタッフからの電話で、「ランチに行こう」と。今までそんなこと言われたことなかったので、これはきっとお別れ会だと覚悟しました。言われた店に行くと中華料理店の丸テーブルに封筒が置いてあったんです。これ、みんなの寄せ書きだろうなぁ。そんなことを思いながら開けてみたら、出演CMに関する明細書だったんです。みんな、拍手で祝ってくれました。

3日後には上海でロケ。2週間後ぐらいにそのCMが流れたんですが、香港中のクライアントから「あいつは誰だ?」と問い合わせが殺到し、次々と仕事が決まりました。

――劇的な展開ですね。

そうですね。ほかにも、こんなことも(笑)。

飲み屋で知り合った女性から『スパイダーマン』の試写会に誘われたんですよ。試写会なんて行ったことがなかったんで、もちろん「行く」と。「記者がいるけど、大丈夫?」と聞かれたんですが、もちろん気にしません。エスカレーターを上がって映画館に向かうところで、カメラマンがブワーッと撮ってくるんですよ。香港の試写会はすごいなぁと驚きながら、映画を観ました。

次の日、電話番しているとスタッフから「今すぐ事務所に来なさい」と。事務所に行くとまたみんなから拍手されて、「今日の新聞見た?」と聞かれました。芸能欄の一面には、僕と彼女が大きく載ってたんです。「彼女のこと誰だか知ってる? すごく有名な子だよ」と。

飲み屋で知り合ったのは、元ミス香港にノミネートされた子だったんです(笑)。その日からまた仕事が増えました。

――出会いは大切ですね。ただ、一時的な注目だけで人気は長続きしないと思います。長く活躍されたのは、何か工夫やこだわりがあったのでは?

当時の香港は日本人ブームで、オーディションでも日本人と一緒になることが多かったんですが……気取っている人が結構いました。僕は関西人なので、フレンドリーに接していくうちに「お前、面白い」と思ってくれて、友だちが友だちを呼び、クライアントがクライアントを呼んで輪が広がって行きました。

――プレハブのジムに通っていた頃から、人との接し方は変わっていないということなんですかね。

そうだと思います。その後は韓国人ブームが来て、背が高くて、髪が長くて、細い人が多かった。同じことをしていても差はつかないので、僕は基本的に短髪と筋肉で勝負して、彼らとは違う仕事が僕に入ってきたんだと思います

○"逆輸入俳優"の道を選んだ理由

――そこから再び活動拠点を日本へ。

香港、台湾、シンガポール、中国と色々な国々を回って感じたことがあります。それは、日本の映像はアジアの中でもトップクラスだということです。厳しい世界の中で残ったわずかな人が表舞台に立てる世界。そこにあえてチャレンジしたくて帰国しました。

――香港で大成功していたわけですから、とても勇気のいる決断だったと思います。

もう9年ぐらい前になるんですかね。TBSの昼ドラ『スイート10 ~最後の恋人~』の準主役オーディションがあって、約100人の中から選ばれました。撮影を終えて台湾に戻っていたんですが、日本の当時の事務所スタッフから「この勢いで挑戦しないか」と勧められて、活動拠点を再び日本に移しました。

成功したからこそ、その経験と自信を日本で試してみたかった。ここ数年、少しずつは上がってきているんですけど、帰国当初は全然ダメでしたね。

――最近では『シン・ゴジラ』にも出演されたそうですね。

はい(笑)。キャストの多さに驚きました。自分もどのシーンに出ていたのか(笑)。僕は観測隊の隊長役で、川辺の基地でずっとゴジラを観測していました。本当の軍隊のような雰囲気がありましたよ。

――福山雅治さんが出演し、ジョン・ウー監督がメガホンを取る映画『追捕 MANHUNT(原題)』にも出演されたそうですね。

撮影は去年の夏に終わりました。1976年に高倉健さん主演で公開された『君よ憤怒の河を渉れ』の原作を再び映画化した作品です。

日本版は東京・新宿が舞台ですが、今回は大阪。ジョン・ウー監督は香港人。香港、中国、台湾の人は大阪好きの人が多いんです(笑)。僕はチャン・ハンユー(高倉健さん役)の後輩弁護士の青木役で、すべて中国語のセリフでした。

――かつての経験が生かされたわけですね。

オーディションを受けて一番驚いたのが、いつものように100人ぐらいの中から選ばれるんだろうなと思っていたら、そこにあったのは僕のプロフィールだけでした。台湾、香港、中国で経験したことがやっと報われた(笑)。そう思った瞬間でした。

僕に目をつけてくださった監督には感謝しかありません。子どものころからいちばん携わりたかった監督、それがジョン・ウーだったんです。

■プロフィール
ジョー ナカムラ
1974年4月2日生まれ。兵庫県加古川市出身。身長180センチ。A型。29歳の時に香港へ渡り、香港、シンガポール、台湾で活躍。モデル・俳優として多くの雑誌の表紙を飾り、数々のドラマやPVに出演、CMは49本に出演した。近年は、『シン・ゴジラ』(16年)、映画『追捕MANHUNT(原題)』(18年公開予定)など、話題作への出演が続く。

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