オダギリジョー、納得できない仕事を避ける理由とは? - 『ゆれる』後の「甘え」「慣れ」の先にあった最高到達点 【第1回 役者の岐路】
●日本映画の現状を考えて
俳優・オダギリジョー(41)にとって、10月6日に公開される主演映画『エルネスト』は、彼の最高到達点と言っても過言ではない。ただしこれは、「現時点」という条件付きであり、過去に身を投じてきた役にも当然同じことが言えるだろう。TBS系ドラマ『重版出来!』でオダギリ演じる副編集長・五百旗頭が残した「正しい編集者とは何か」。彼がデビューしてから一観客として魅力されてきたこともあり、『エルネスト』の取材を終えてさらにその言葉の重みが増した。
ボリビア戦線下の1967年8月31日に25歳という若さで命を落とした日系二世・フレディ前村ウルタード。日本人の父とボリビア人の母のもとで生まれた前村は心優しい青年に育ち、医師を志してキューバ・ハバナ大学に留学する。ところが、チェ・ゲバラと出会ったことが彼の運命を変える。フレディは軍事クーデターから祖国を解放すべく、奨学金を辞退してまでボリビア軍事政権へと立ち向かっていく。
阪本順治監督いわく、タイトルにある「エルネスト」は、「目的を決めた上での真剣」という意味。その決断する姿は、観客に「今やるべきことは何か?」を強烈に突きつける。
オダギリは本作に備え、約半年にわたってスペイン語と向き合う。しかもフレディの出身地であるボリビア・ベニ州の方言指導も仰ぎ、外見においても体重を12キロ減量して限りなく実像に近いフレディを浮かび上がらせた。「想像もできないような困難な道」と覚悟していたというオダギリ。本作が約20年の俳優人生において大きな意味を持つのは、数多の自問自答を繰り返してきたことの証左、そして日本映画に対する思いにもつながる。
俳優・女優のターニングポイントに焦点を当てるインタビュー連載「役者の岐路」の第1回。日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を受賞した映画『ゆれる』(06)を経て、オダギリは新たな進化の過程を歩んでいた。
○外国語の方言習得は「限りなく時間がかかる作業」
――大変な意欲作でした。まずはフレディ前村さんとご自身を比較し、共通する部分を探して臨まれたそうですね。
いろいろありますが、分かりやすいのは……僕は、正しいと思うことと、正しくないと思うことに対して曲げることができないタイプの人間なんです。それに関しては相手がどういう人であっても、闘ってしまうタイプなんですよね。良い意味で自分の信念をあまり曲げられないというか……あまり悪い意味に取ってもらいたくないんですが(笑)、「自分が信じるものに対して突き進む」という点においてはすごく共感できる部分がありました。
――映画の中では、亡くなった父のジャケットを炎天下の中で着る姿、勉学を優先するために友人からのチェスの誘いを断りつつ本当に申し訳なさそうに謝る姿。そして、悪友が捨てた女性・ルイサとその子供への無償の愛。そういう彼の多面的な優しさが映し出されている作品でした。
勝手なイメージですが、「オダギリさんもこのような方なんじゃないか」と思いながら観ていました。
僕は自分のことを優しいとは思っていません(笑)。彼の「優しさ」については、監督が時間をかけて重ねた学友からの取材や、そこから広がったイメージなどから描かれた部分がきっと大きいと思うんですよね。それをいかに人間的な説得力を持って観客に届けるかということが俳優の仕事だと思うので、自分の優しさは残念ながら関係ないのかなと思います。正直なところ、僕はどちらかというと他人に厳しく、自分には甘いタイプなんですが(笑)。僕もフレディみたいな人には憧れるというか、あのような優しさを持った男性はとても魅力的だと思います。
――フレディさんが生まれ育ったボリビア・ベニ州の方言のスペイン語を、約半年間でマスターされたそうですね。阪本監督は、「言語を覚えたその先」の方が苦労があったのではとおっしゃっていました。
言語の習得だけでなく、方言指導の先生からも教わったそうですね。
外国語での芝居は、日本人の僕が想像できる範囲を超えることも多くあります。まずは、言葉を習得する上での先生が必要ですし、芝居の表現においても相談できる相手は多いに越したことはない。今回、セリフに関してはベニ州出身の方が茨城にいらっしゃって、その方が仕事の休みの日に東京に来てもらって。半年間、なるべく時間をとって言葉を学んでいくということをやりましたし、表現という部分ではキューバの俳優4人ぐらいにセリフの一言一言をどう捉えるか、相談に乗ってもらいました。スペイン語で芝居をする時、「この状況でこの感情だったらどの単語にアクセントを置くのか」とか、「どのようなテンポやリズムになるのか」など。それを1人に絞るとその人の感性や癖に影響されてしまうので、複数の俳優に付き合ってもらうことが重要でした。その一人ひとりが思うフレディ像に加えて、僕が想像する「フレディらしさ」をかき集めていくような日々でした。
――みなさんで集まってやられたんですか?
集まってやることもありましたし、一人ずつの時もありました。
――4人のうち2人の言い方で迷うこともありそうですね。
そういう場合は、僕と監督が思い描くフレディ像に最も近いものを選んでいました。あとは、自分が表現したいことがあったとして、それがどのような言い回しであればスペイン語圏の人にとって不自然にならないかとか。そういうことも相談しました。今思うと、限りなく時間がかかる作業ですね。
――ものすごく抱えるものが大きな役柄ですね。そこから選び抜いた一語一語をどのように記憶し、現場で表現されたのでしょうか。
4人のパターンは全部録音していました。その中で組み合わせたこともありましたし、1人を重点的に聞いてリズムを自分の中に刻みこむこともありました。本当にさまざまなやり方でパターンを組み立てていました。
――音源を現場に持ち込んで確認されたいたんですか?
ええ、そうですね。
――阪本監督もスペイン語習得を試みたそうですが断念されたと(笑)。セリフの言い回しを選ぶという点においては、ご自身で監督的な役割を担われていた。
スケジュールが合えば監督も参加されていました。監督がまずフレディに対してどのような人物にしたいのか。
このシーンではどうあってほしいのかみたいなことをみんなで共有しながら進めたことも何日かありましたので、監督が来られない時は任せていただいていました。でも、それは監督と俳優の信頼関係があってこそだとは思います。何よりも、僕が監督のフレディ像をしっかりと理解できていれば、監督が毎回来る必要もないわけですからね。だから僕が責任を持ってフレディ像をまとめ上げることになりました。
――最終決断をするのはすごく責任の大きなことだと、今のお話を聞いてあらためて思いました。一方で、俳優にとっては当然のこととも言えるのでしょうか?
どうなんでしょうね。俳優が役を頂いた時点から、監督よりもその役のことを考えるのは当然のことだと思いますし、自分の感性や考えを役に投影することはあるべきことだと思います。僕は今までそういうやり方をしてきたので、それが当たり前だと思っていますが、その反面、全く違うタイプ、例えば自分の意志とは関係なく監督の言う通りに完璧に芝居できる方もいる。それはそれですごくプロフェッショナルだと思います。だからこそ、どちらが間違いでどちらが正しいとも言えない。それぞれのやり方ですね。
○「今の日本映画界にとって必要なもの」
――先月13日に行われた上映会では、「想像もできないような困難な道」を予感していたとおっしゃっていましたね。
日本映画の現状を考えると、こういう作品を作ること自体が……どの言葉を選べばいいか分からないですが、「容易ではない」と思うんですね。それを監督がまず作ろうとしているということが挑戦だと思いました。ただ、こういう作品こそ今の日本映画界にとって必要なものだと思うので、そこにちょっとでも協力できたり参加できたりすることは、自分にとっても非常に意味があることです。
それから、キューバ革命やゲバラを扱うことに対しても「容易ではない」と思いました。日本のチームがそこに足を踏み入ていいものなのか。監督をはじめ、この作品に関わった人にとっては挑戦というのか、そのような大きな思いがあったはずです。
そして自分自身にとっても、準備することはとにかく山のようにあったので、それも「容易ではない」。そして、キューバでの撮影です。とにかく、現場ではとんでもないことが起こると覚悟していました。というのも、僕も過去に何度かキューバに行ったことがあったので。準備を整えて何もトラブルがなく撮影できる日本の現場とは、全く異なる環境であることは分かっていました。
●俳優にとっての「甘え」「慣れ」とは?
――撮影を終えて、想像通り取りだったと感じますか? それとも、想像を超えていたのか。
想像を超えていたと思います。撮影2日目ぐらいからシャワーが水しか出なくて(笑)。1日目はお湯だったんですが。そういうことすら日本では起こり得ないことですもんね。細かいトラブル含めて、想像もしていないようなことがたくさんありました。
――そのほか、上映会の壇上では「俳優をやっていると甘えや慣れが付きまとう」「それを排除しないと乗り越えられない作品」「初心に戻してもらう意味でも必ず乗り越えよう」と。確かに「甘え」や「慣れ」は、どのような職業にも付きまとうような気がします。
別の職業との比べ方は分からないんですが、「ぬるい気持ちでやっても仕事として成立させられる時」ってありませんか? でもそれをやることが、自分にとって何になるんだろうと思ってしまうんですよね。自分の気持ちが乗らないのであれば、やらない方がいい。その仕事が何を生むんだろう、と自分が嫌になるんですよね。
芝居で言うと、技術が備わって見せ方が分かってくると、ある程度のところまでは表現できたりもするんです。でも僕はそれが良いとは絶対に思えないんですね。身を削って絞り出してないということが、僕にとっては「甘え」や「慣れ」という言葉に近い。全てを死にものぐるいでやる必要はないんですけど(笑)人間ってすぐに楽な方に流れちゃうじゃないですか。日本の現場にいると、自分は甘やかされてるなと感じてしまうことが多くて、気を引き締めないと。言い方がすごく難しいんですけど……例えば時間に追われている現場だと、そこまで芝居にこだわれないじゃないですか。
――そうですよね。その場を成立させるためには、仕方のないことだと思います。
1回でOKを出してどんどん撮影をしていかないといけない現場で、やっぱり自分だけの芝居にこだわって「もう1回やらせてほしい」とも言えないんですよね。「100%出し切れたとは言えないんだけど……まぁ、悪くないならいいか…」みたいに過ぎていく日々が、どうしてもあるんですよ。足らない部分を技術で埋めているような感覚がどうしても許せないんです。
――経験がアダになる。そういう思いが「初心」という言葉に込められていたんですね。デビュー当初は何も分からない中で、どんな仕事でも「足し算」に。
そうですね。今見ると方程式を無視したとんでもないことをやっているんですけど、ただ、今はもうあんな無茶なことが出来ないんですよ。昔の自分の芝居を見ていると、危なっかしいけど、でも独創的で面白かったりもするんです(笑)。何が正解なのかは分かりません。でも、安全なことだけしていても面白くないじゃないですか? 「これが答えでしょ?」というのを指していっても、芸術や表現としてそれはどうなのかなと思うんですよね。安全なものだけ作っていても面白くないという気持ちはいつもどこかに抱いています。
だからこそ、初心に戻りたいというか、「脳みそで考える」ということから外れた方がいいんじゃないかと思わされるんです。もの作りという側面に立ち返った時、そういう思いが度々起きるんですよね。だから、『エルネスト』のような現場に身を置くと、考えていたことのすべて覆されたりするので、本当に感覚的なものに頼らざるを得なかったり、自分の持つ能力というか俳優としての根本をテストされているような場面にたくさん遭遇します。そこが僕にとってはすごくリスキーで面白いんですよね。
○納得できない仕事をやらなくなった理由
――以前、『永い言い訳』(16)のトークイベントに西川美和監督と出席されたことがありました。オダギリさんといえば、西川監督の『ゆれる』(06)に出演。そのトークイベント前日に『ゆれる』を観て、「もっといろいろなことをやっていたと思った」「いろいろと思うことが多々あった」とおっしゃっていました。過去の出演作は、そういうものなのでしょうか。
そうでしょうね。同時に、あの時にしかできないことはいっぱいあったのも事実なんです。先ほど言ったような。そのトークイベントでも、当時の自分はそう思ったんでしょうね(笑)。『ゆれる』は、その時に自分ができる120%のことをやったつもりでした。だから、今の自分が観て「何が120%だよ」と思ったんでしょうね(笑)。
――たとえば10年後。この『エルネスト』を観返した時に、同じように思う可能性もあるわけですね(笑)。
そうですね(笑)。10年後の自分がどう感じるのかは全く想像できないですけど、少なくとも面白い芝居をしているなとは思いたいですね。
――今回の作品では、カストロの「やるべきことなんか聞くな」「それはいつか君の心が教えてくれる」というセリフが印象的でした。フレディ前村が大きな決断をする姿が描かれていたわけですが、オダギリさんの転機といえば、映画監督の勉強のためにアメリカの大学に留学したものの、願書を書き間違えたことで結果的に俳優の道へ。俳優になってからの転機はあったのでしょうか?
うーん……(しばらく考え込む)。『ゆれる』は1つのターニングポイントかなとずっと思ってきました。自分が一番大切にしていた作家性やオリジナリティが発揮されていた作品でしたし、公開の規模も含めて自分が一番好きなタイプの映画だったんですよね。そして先ほどもお話したように、その時の全てを懸けて、表現者としての力を120%を出した気がしていたんです。ある種の満足感があったんでしょうね。目標としていた俳優像の1つのゴールを切ったような気がして。それから未来に気持ちが向かなくなったというと大げさなんですけど、「じゃあ、次に何をやろうか」みたいな気持ちになった時期でした。
それが30歳ぐらいだったんですけど、その頃を境に仕事をより慎重に選ぶようになりました。納得できないものは、やらなくなったというか。というのも、ちょっと自分を使い過ぎていた20代だったので。『ゆれる』が終わったあたりから、自分を抑えていかないと出るものも出なくなりそうな気がしたんです。本当にやりたいと思えるものだけで勝負するべきだと思ったんですね。そういう意味でもターニングポイントだったといえるのかもしれないですね。
――そういえば『エルネスト』の上映会で、阪本監督がこんなことをおっしゃっていました。一緒に飲んでいる時にオダギリさんが「越境したい」「生まれ変わりたい」と言っていたと。先ほどおっしゃっていたように、「俳優として生まれ変わりたい」ということだったんですか?
酔っ払ってただけじゃないですかね(笑)? あまり覚えていません。でも、甘えで乗り越えられる現場を甘んじる環境からは、いつも出なきゃいけないという気持ちはあるので、そういうことも含めて「越境したい」と言っていたのかもしれないですね。
――なるほど。さて、オダギリさんが予感していた「困難な道」の『エルネスト』。こうして踏破した今、俳優としてどのような変化、成長があったのでしょうか。
何よりも自信につながりました。やっぱり、強烈に困難だと予測した上で、それを何があっても乗り越えるんだということを目標にしていたので、甘えることなく乗り越えられたことは、役者としても人間としても成長したのではないかと感じています。マラソンを走り切った後に近いような気がします。振り返ると、この作品がまた新たな転機になっているのかもしれません。そして、自分の中ではある種、できることを全て注ぎ込んだ作品だと思っているので、『ゆれる』の後のように「じゃあ、次何をやろうか」みたいになるのかもしれません。
■プロフィール
オダギリジョー
1976年2月16日生まれ。岡山県出身。身長176センチ。O型。2003年、第56回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された黒沢清監督の『アカルイミライ』で映画初主演。その後、『あずみ』(03)で日本アカデミー賞新人俳優賞、エランドール賞新人賞、『血と骨』(04)で第28回日本アカデミー賞とブルーリボン賞の最優秀助演男優賞、『ゆれる』(06)、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(07)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞、『舟を編む』(13年)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。最近作に『南瓜とマヨネーズ』(17)が控えている。本作の阪本順治監督とは、『この世の外へ クラブ進駐軍』(04)、『人類資金』(13)に続く、3度目のタッグとなる。