純愛映画の逆を行く『ナラタージュ』 観客に「傷ついてほしい」行定勲監督の思い
●映画化できたのは、松本潤の存在のおかげ
島本理生による恋愛小説『ナラタージュ』が、松本潤×有村架純によって映画化され、公開を10月7日に控えている。松本演じる葉山と、有村演じる泉が、教師と元生徒という関係を越えて恋に……というあらすじからはロマンティックな展開を予想させるが、実際は非常に曖昧とした関係の中のもどかしさ、恋愛の勝手さがじっとりとにじみ出る大人の恋愛物語だ。
メガホンをとった行定監督は、同作を映画化するのに10年間待ったという。少女漫画原作映画が人気を得る中で、あえて「恋愛の息苦しさを表現したい」という行定監督が、同作に込めた思いを聞いた。
○奇跡的なキャストがそろった
――『ナラタージュ』について、ずっと映像化したいとのことですが、そう思っていたのはどうしてですか?
10年以上前に企画をいただいたのですが、その頃『世界の中心で、愛をさけぶ』が僕の代表作で、純愛映画を望まれている時期に、むしろ恋愛の息苦しさを表せる作品だと思ったんです。恋愛の曖昧さを題材にするのは、僕の好きな日本映画の真骨頂だし、ぜひと思ったんですが、キャストが上手く定まらず……。
なかなかキャストが決められない中で、日本映画も少女漫画原作映画全盛の時代になり、更に作りづらくなってきました。ただ、映画って、作られてない時にこそ必要だと思える作品があると思うんですよ。
『世界の中心で、愛をさけぶ』のときも、純愛なんで求められてなかったし、見向きもされていなかった。世紀末を迎えて、陰惨な物語やモラトリアムな物語が多い中、純愛を信じてみようというところからできた作品だったんですが、そうすると「純愛ブーム」と言われて(笑)。そこに乗っかったほうが経済的には潤うんでしょうけど、天邪鬼な人間なので。
――いろいろ映画を撮られつつも、この企画は並行して進められていたんですね。
ことあるごとに周囲にシナリオを見せて、好評ではあるんですけど「いまの時代、こういう作品はあたらないかもしれない」という判断がありました。シチュエーションとしては王道の教師と生徒という面もあるから、少女漫画原作映画全盛の時代ならいけるんじゃ、と思いましたが、やっぱり内情は全然違ったってことかもしれませんね。
逆に言えば、これは映画的な作品になるんじゃないかと、手応えはありました。プロデューサーはやっぱり、映画どっぷりのものになっていると、回避しようとしますから。
特に大きく構えるときは、なるべくわかりやすく盛り上げて、みんながついてこれるような作品にする。もしくは、非常に仲間内で「俺たちのセンスはこれだ!」と言えるような作品ですよね。
――ちょっと皮肉が(笑)。ポップな作品をよく観るなかで、久しぶりにずっしりとした恋愛映画を観たなと思いました。
昔、僕が少女漫画原作の企画を持っていった時は、見向きもされてなかったんですよ! なのに今、あのころぜひやりたかった漫画家さんの作品もガンガン映画化されていて!(笑) 不思議なもので、観客が実は映画を生み出しているんですよね。だけど観客も麻痺していくから、何を観たらいいのかわからなくなっていく。だから僕らはあえて、昔はあったけど今にないものを出したいんです。ただ、商業的に成功するかどうか見極められないから、実現するまでに10年もかかってしまいました。
今回実現できたのは、奇跡的にも松本潤くんが「やる」と言ってくれたことが大きいです。それから、まだ10年前に存在していなかった有村架純さんが今輝いていて、彼女もやりたいと言ってくれたこと。そして坂口健太郎くんがいたこと。今作られるべきだから、10年間作れなかったんでしょうね。これまで企画にあがっていたキャストをイメージしても、圧倒的に今の形が良いと思います。必然というものが、あるんだと思います。
●「松本潤に傷つけてほしい」という望みも
○葉山はダメなやつ
――松本さんの壮絶な美しさも印象的でした。
葉山は、ダメなやつですけどね(笑)。
でも、男ってこうだから、僕は1番葉山に感情移入するんです。昨今の世の中では不倫とか、言い訳が効かないような恋愛感情に喜んで飛びついているけど、人って、みんな言い訳のできないものを持っているわけで。恋愛も楽しい部分だけ取るといいんですが、苦しい部分も積み重なっているのが『ナラタージュ』なんです。人を狂わせてしまう要因にもなるし、そんなこと望んでもないのに、好きだった相手に息苦しい思いをさせてしまうとか。
葉山が「ごめん」と謝りはするけど、何も変わろうとしないところも、すごく現実的ですよね。それでも忘れられない人だと言えるのが、割り切れなくて、生々しくて、純愛なんだな。
――かなり閉塞感にあふれていますよね。2人で歩くシーンも曇天で、打ち上げられたゴミが散乱している海岸で。
現場についたら真っ先にスタッフが「ゴミ回収するの大変だなー」と言っていたけど、「これはまんまでいい。ゴミが気に入ってるんだよ」と言って、そのまま撮影しました。そういうところを歩いているのが、ロマンティックではない現実ですよね。2人が自分の感情に気づいて必死で、寄り添いたいと思うからこそ軋轢が生まれたりして、ぶつかり合いが恋愛なんでしょうね。
僕自体が、シナリオを作っていくときに、「決定的にしたくない」といつも思っているんです。人生に決定的なことなんてちっともないから。そんなに確固たる何かを残せていける人生なんてつまんないですよね。曖昧さが好きなんです。
――そんな葉山先生の曖昧さに、くそ~と思わされたり。
恋愛の偏差値が試される映画だなって話していたんですけど、どれくらい深く恋愛の場面とぶつかって、自分が翻弄されているかが現れますよね。恋愛には翻弄されるべきだと思うんですよ。全然好みじゃなくても、いいところを見つけると一瞬で好きになっちゃったりとか。そういう経験ってみんなあるだろうに、映画になるとどうしても美男美女の物語になってしまうから、ダメな部分を突出させています。松本君も「これ、俺、大丈夫?」って言ってましたから(笑)。
○高校生に傷ついてほしい
――松本さんは完成作を観た後に、演じている最中に感じていた葉山のダメな部分について何かおっしゃってましたか?
そこについては言わなかったけど、「思った以上に大人の映画だから、自分のファンは大丈夫かなあ」とは言っていましたね。でも大学生くらいから上なら、全然大丈夫だと思います。
きっと高校生も観ると思うけど、高校生には、傷ついてほしいな。
僕がずっと企画書に書いていたのは「こんなのだったら、恋なんてするんじゃなかった」というコピーだったんです。そういう経験がある人間の方が、男と女の関わり合いにおいて、長年男と女でいられると思います。
――「高校生に傷ついてほしい」というのも素敵なコピーですね。
傷つくと免疫になりますからね。僕も子供の時にいっぱい観た映画、全然わかっていなかったんですよ。大人になっていくと、アート映画に見えていた作品が全然違って見えて、あの頃は感情が追いついてなかったんだと思います。ミケランジェロ・アントニオーニもさっぱりわからなかったけど、大人になって観ると、人間が持つ業が描かれていて全てが素晴らしい。――松本さんのファンもそうやって傷つけられてしまうような作品に。
でも逆に、望んでいるかもしれないですよね。「松本潤に傷つけてほしい」って。それがエンタテイメントだと思うんですよ。
最近は不倫にしても、人のことを叩いて「酷い」と非難ばかりしているけど、自分も正しいことばかりやっているわけではないですからね。せめて映画くらいはと、僕は思っているんですよ。映画の主人公たちは不貞を働いても、息苦しさに生きることが説明されていますから。
※次回、『ナラタージュ』キャスト陣についてのお話を10月8日に掲載します。