奥田瑛二、「監督の“OK”は何点?」の答え “命がけ”で歩んできた俳優人生
熊井監督との出会いは、僕にとっての映画におけるそうした期間、最初のベースとなり、とても中身の濃い時間でした。
――『海と毒薬』は社会派の重厚な作品です。単独主演作ですが、当時、プレッシャーを感じることはありましたか?
プレッシャーはなかったです。オーディションだということも知らなかったんですよ。主役に決まっていると思っていました。その頃は35~36歳で『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』(TBS系・85年)などで人気になっていた時期だったので、話が来たらもう決まってると思ってしまっていたんですね。そしたらオーディションでした(笑)。でもあっという間に終わっちゃって。
そんな短いオーディションは初めてだったんですけど、あとで聞いたら、監督は僕の後ろ姿が見たかったそうなんです。
――短かったのは、そもそも話ではなく、終わってからの後ろ姿が見たかったから。
そう。正面よりも後ろ姿。「瑛ちゃんがドアを出て長い廊下を帰っていったでしょ。その後ろ姿で君は決まったんだよ」と。『海と毒薬』の本編で、手術シーンから、夜の廊下を打ちひしがれた主人公がいたたまれずに歩いていくシーンがあったんです。そこのイメージが監督には最初からあったんです。