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『カメラを止めるな!』上田監督、奇跡の舞台裏と“ワイルド親父”の教え

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『カメラを止めるな!』上田監督、奇跡の舞台裏と“ワイルド親父”の教え

●1カット37分にスタッフ「いや、無理だ」
漫画や小説をもとに実写化される「原作モノ」が全盛の中、オリジナル映画に果敢に挑んだ人々を取材する連載「オリジナル映画の担い手たち」。第5回は、空前のヒットを記録している映画『カメラを止めるな!』(公開中/製作:ENBUゼミナール 配給:アスミック・エース=ENBUゼミナール)を手がけた上田慎一郎監督の現在地とルーツを探る。

監督俳優養成スクール・ENBUゼミナールのシネマプロジェクト第7弾として製作された『カメラを止めるな!』は、オーディションで選ばれた新人の俳優たちが出演。脚本は数カ月にわたるリハーサルを経て当て書きされたもので、37分にわたる1カットのゾンビサバイバルが観客を引き込む。

都内2館上映から口コミが広がり、著名人も次々とSNSを通じて絶賛。公開館数は累計180館以上(8月14日時点)まで拡大し、47都道府県の劇場を“感染”制覇した。製作費300万円のインディーズ作が起こす数々の奇跡。そのきっかけは、上田監督の情熱とそれを育んだ環境にあった。


○脚本の初稿で青ざめた理由

――映画史上、大変稀な現象が続いています。今の状況をどのように思われていますか?

最近、よく聞かれます(笑)。今はこういう取材をいただいたり、テレビやラジオに出演したり、公開が150館に増えたり、舞台あいさつが2分で完売したり。毎日驚くようなニュースが飛び込んで来るたびに驚き、そのことについてこうした場でしゃべっているうちに1日が終わるような日々です。喜びを噛み締めたり、実感を慈しんだりしている暇が今はありません(笑)。

――じっくりと余韻に浸るのは、もう少し先になりそうですね(笑)。

そうですね(笑)。「あの日々は何だったんだろう」と考えるのは、だいぶ先になると思います。


――小劇団の作品にインスパイアされて、今回の映画ができたそうですね。

2014年に解散してしまったんですが、2013年に劇団PEACEの『GHOST IN THE BOX !』という舞台を見て、インスパイアされました。最初はその脚本家、出演者と一緒に映画化しようとして動いていたんですが、お互い仕事の事情などもあって頓挫してしまって。2016年の暮れにとある企画コンペの話が来たので、その時にもう一度企画書を引っ張り出して、登場人物や展開をまるごと変えて、全く新しい企画として作り直しました。――初稿ができた時、「本当に撮れるのか?」と青ざめたと聞きました。

ええ。結局、企画コンペには落ちてしまって、その直後にシネマプロジェクトのお話をいただきました。新人の俳優と新人の監督で、ワークショップを経て1本の映画を作るという企画です。
俳優応募者の中から僕が選抜させていただいて、最初の数回は普通のワークショップをしたんですよ。既存の映画台本や演技トレーニングをして。みんなの個性を知った上で、このメンバーとなら『カメラを止めるな!』が作れるかもしれない、そう思いました。もともとあった骨組みの中に12人を投げ込んで、完全当て書きで作りました。

○「これ、やれるの?」に燃える

――出演者の方々に1カット37分のシーンがあると伝えた時の反応はいかがでしたか?

最初に伝えたのはカメラマンと特殊造形のスタッフだったんですが、「いや、無理だ」と(笑)。ホラー映画やゾンビ映画はカット割りありきの仕掛けだったりするので、37分の会話劇ならまだしも、37分廃墟を走り回って首や腕がとれたりするのを1カットで撮るのは無理だと。うまくつないで1カット風にするか、本当の1カットにするかは、撮影直前まで検討しました。僕はもちろん1カットで撮る派。
映像上、1カットで繋がってるように見せられてもテンションとか空気感、緊張感みたいなものは1カットにならない。映画を観てくださった方なら分かると思うんですが、そもそも彼らを「1カット風」で撮っていいのか? そんな嘘はアカンやろと(笑)。結局は、みんな納得してくれました。

――説得するのも一苦労だったわけですね。

説得というよりは……やっぱり、「無理」「不可能」って言われることって、本当はみんなやりたいと思っているはずなんです。僕も、企画を出した時に「いいね」って言われるより、「これ、やれるの?」と言われる方が燃えるタイプ。徐々にみんなも「マジでやるの?」から「マジでやるのか!」に変わって、モチベーションが上がっていって、最終的にはノリノリになっていました(笑)。

――オリジナル作の映画化は非常に難しいという声をたびたび耳にしますが、そういう苦労はありましたか?

僕は商業映画をやったことがないので分からないんですが、今回でいえばプロデューサーから「上田くんの好きな企画を好きなようにやってくれ」と言われ、具体的な指図もないまま自分のやりたいことをやらせてもらいました。
もちろん1カットを撮るために工夫したことはたくさんありますが、世間で流行っているものを入れてくれとか、有名キャストを起用してくれとかも言われなかったので、そういう大変さは全くなかったです。

●琵琶湖遭難事件と父の反応

○最初の動員目標は5,000人

――普段映画を観ないような人も劇場に足を運ぶほど、大きなうねりを生み出しています。その予感はいつ頃感じ始めましたか?

作品として面白いものができたという手応えを感じたのは、関係者試写の時です。関係者は台本を読み、展開も分かってるので粗探しをしがちなんですよね。キャストもスタッフも、フラットに見ることができない。だから、そこまで盛り上がることがないんですが、今回はすごく盛り上がって笑い声もあって、拍手も力強くて長かった。その後の打ち上げは12時間、4次会まで続きました(笑)。「自分たちはいいものを作ったんだ」という日の飲み会って、なかなか帰りたくないじゃないですか? 当時はまだ著名人の方々からも全くコメントをいただいてなくてヒットする見込みなんて全くない状態ですけど、その時点で「俺たちは面白いものを作ったんだ!」という達成感がありました。


去年の11月の6日間先行上映が連日の満員で、そこから口コミが広がっていきました。ただ、ワークショップで作った映画のお披露目の場でもあるので、知り合いや身内も多い。関係者ではない人たちが褒めてくれて自信はついたのですが、果たして一般の方々に届くのかという不安が残ったままでした。その後は海外映画祭で日本人以外にもウケるということが分かって、業界向けの試写でもお褒めの言葉をいただいて。それでも一般の方が反応してくれるのか不安をいだいたまま、公開日を迎えました。

――それだけ絶賛の声があっても不安を感じるものなんですね。

もちろん。インディーズ映画は、1館でレイトショー1回、2週間ぐらいの上映がほとんどです。
それが『カメラを止めるな!』の場合は、2館で1館は3回上映。この規模のインディーズ映画としては異例な形でスタートしたわけですが、最初の動員目標は5,000人。インディーズ映画ではかなり高い目標です。それが今では十数万人の方が観てくださって、自分たちの想像をはるかに超えた事態が巻き起こっています。「作品として面白い」という自信と、ヒットに対する自信はまた違う。面白い作品でもヒットしてないものはたくさんあると思います。

何よりも、キャストとスタッフがこれだけ胸を張って周囲に勧めてくれたのが最初の奇跡。先行上映までの半年間、毎日のようにビラを配ってくれたり、SNSで発信してくれたり。本当にありがたかったです。

○「ノストラダムスの大予言」父の決断

――Twitterに書いてありましたが、ご両親も宣伝してくれたそうですね。

そうですね(笑)。母は今まで短編映画を作った時も、宣伝してくれてました。今回は地元でも凱旋上映が決まったので、そのスタッフとしても働いてくれています(笑)。両親は、僕が「映画監督になりたい」「東京に行きたい」と言った時も、全く反対することもなく。幼い頃からわりと「やりたいようにやれ」という親でしたね。

――その中でも、ご両親からの教えで覚えていることはありますか?

お父さんが、変わった人というか。永ちゃんに憧れていて、オールバックで。すごく車高の低いフェアレディZで幼稚園に迎えに来るような人です(笑)。「こういうふうに生きろ」みたいに説教されたわけではないんですが、「自分のやりたいことはすべて叶う」と常々口にしていました。

親父は、1999年に地球が滅亡するというノストラダムスの大予言を信じていて、1,000万円ぐらいかな? すべて金塊に変えたんですよ。「金塊だったら燃えないから」みたいな思考だったのかな(笑)。ただ、それを換金した時にかなり値が下がっていたみたいで、母に土下座したそうです(笑)。とにかく自由で破天荒なのが父。母はそれを支える常識人です。

――ホームレス時代があったことも別の取材で話されていますが、その当時のご両親はさすがに心配されたのでは……?

そうでもありません(笑)。それよりも前の出来事になりますが……高校2年生の夏、男なら何かでっかいことをやり遂げなければいけない。そう思って、友達と3人で琵琶湖を手作り筏(いかだ)で横断しようとして、遭難してしまったことがありました。NHKでも行方不明と報じられた大事件。ほかの親は集まって泣いてたらしいんですが、親父だけは「大丈夫。帰ってくる」と安心していたそうです。対岸までついた時、琵琶湖全域にパトカーが出動するほど大騒ぎになっていることを知るわけですが、すぐに警察に連行されてマスコミにも囲まれました。友達2人の親はカンカンに怒って泣いていましたが、親父だけは喜々としてマスコミの取材を受けて「うちの息子がやってしまいましたね!」みたいに明るく話していました(笑)。
○日本映画界へ「前を向こうよ」

――ワイルドすぎる(笑)。劇場では小さい子から中高年まで多くの人が同じところで笑っているのが印象的でした。幼い頃に影響を受けたお笑い芸人はいますか?

思春期の時に影響を受けたのはダウンタウンさんです。『ごっつええ感じ』『ガキの使い』『ビジュアルバム』など、松本人志さんのお笑いから最も影響を受けたと思います。あとは吉田戦車先生、うすた京介先生といった漫画家さんからも。高校卒業する時、映画監督になるかお笑い芸人になるか迷ったぐらいお笑いが好きでした。

――斎藤工さんがブログで絶賛されていて、その他の著名人の方も「映画界に一石を投じる作品になる」と評価している方が多いです。ご自身としてはどのように思っていらっしゃいますか?

僕は「映画界を変えたい」という思いでこの映画を作った訳ではありませんでした。本当に面白いものをただただ作りたかっただけです。でも、『カメラを止めるな!』がきっかけで普段劇場に行かない人が行くようになって、劇場で映画を観ることのすばらしさに気づいた人からの声をいだくので、それは本当に嬉しいですね。

「低予算でキツイ」「人手が足りない」「時間が足りない」「原作ものばかり」そういう声を聞きますよね? 僕はあまりそういうことを思ったことがないんですよ。別に否定するわけではないんですが、そういうことをボヤいてるだけじゃ何も変わらない。とにかくやるしかないわけで、まずは「じゃあ、どうするか?」って前を向こうよって思います。

(C)ENBUゼミナール

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