山田孝之は「宇宙人」 絶賛の声続々『デイアンドナイト』監督の執念
●『BADBOYS』阿部進之介に惚れる
企画・主演の阿部進之介、ヒロインを清原果耶が演じた映画『デイアンドナイト』が1月26日に公開され、ツイッターでは早くも称賛の声が多数書き込まれている。「ぴあ映画初日満足度ランキング」では『そらのレストラン』、『愛唄-約束のナクヒト-』、『十二人の死にたい子どもたち』を抑えての堂々の2位(91.2pt)。邦画実写作品ではトップとなり、そのほか各レビューサイトでも概ね高評価を得ている(「Filmarks」3.8、「映画.com」3.7、「Yahoo!映画」3.8、「映画ランド」3.9)。
阿部演じる主人公・明石幸次は、鬱屈した日々を過ごしていた。父は大手企業の不正を内部告発したことで死に追いやられ、実家の外壁には誹謗中傷の落書きをされる始末。残された母、妹との関係性も破綻しかける中、正義と犯罪を共存させる児童養護施設オーナー・北村健一(安藤政信)に魅せられ、やがては父の無念を晴らすべく、復讐心にかられていく。善と悪はどこからくるのか――ご覧の通り、『デイアンドナイト』は非常に重いテーマを題材としているため、決して気楽に観られるものではない。しかし、日常で目を背けがちな“何か”と対峙した時、独特の高揚感に包まれるはずだ。
阿部と飲み屋で盛り上がったことがきっかけで、本作でメガホンをとることになった藤井道人監督。自主映画を多数手がけてきた中、伊坂幸太郎原作の『オー! ファーザー』で華々しく商業映画デビューを飾るも、監督人生においては大きな転機になったという。漫画や小説をもとに実写化される「原作モノ」が全盛の中、オリジナル映画に果敢に挑んだ人々を取材する連載「オリジナル映画の担い手たち」。なぜオリジナルである必要があるのか。その答えにこそ、藤井道人の熱情が込められていた。
○■「これから何をやっていけば」不遇の時代を経て
――構想、脚本を経ての約5年。決して短い時間ではありません。
そうですね。
すぐにお金が集まるオジリナル映画は、ほぼありません。実は今、新しい作品を撮っています。これもオリジナルですが、ある程度脚本が出来上がった段階で入らせてもらったので、ここまでの長い期間ではありませんでした。2018年12月7日に公開された『青の帰り道』という作品もオリジナルで、3~4年かかっています。毎年、「今年もクランクインできなかったな……」という作品がいくつもあるので、やっぱりオリジナルを映画にするのは相当大変なことなんだと思います。書籍化するとか、主演を先に決めてしまうとか、ハードルをくぐる方法はありますが、自分たちが納得するまで(脚)本を作る機会は、少なくないのが現状です。
――主演に加えて企画を担ったのが阿部進之介さんです。一緒にお酒を飲んでいる時に、物語の種が生まれたそうですね。
阿部さんが僕の自主映画を観に来てくださったのが、知り合うきっかけでした。『BADBOYS』(11)という不良漫画が大好きで、その段野という役を阿部さんが演じて一気に好きになっちゃって(笑)。段野って、最高のボスキャラでめっちゃ強いんですよ! 『クローズZERO II』にも出演した阿部さんも30歳を越えて「自分のやりたい表現」に行き詰まってきたみたいで、当時自分はまだ25~26歳ぐらいで、「自分がこれから何をやっていけば商業映画を撮ることができるのか」とか、そんなことすら分かってなかった時期でした。だから、最初は「自主映画を一緒につくろうよ」「題材は何でもいい」みたいなノリでした。
――そこに山田孝之さんが加わるわけですね。
そうですね。3~4カ月後でした。プロデューサーに興味を持ち始めた頃だったみたいで、その後、脚本の小寺(和久)さん、プロデューサーとしてand pictures代表の伊藤(主税)さんが加わって、基本的にはこの5名で月1回ぐらいのペースで集まっていました。
最終的に脚本が固まったのは、2017年5月。その年の11月にクランクインすることは決まっていたので、相当焦りもあったと思います。それまでの3年間の紆余曲折は何だったんだというぐらいのスピード感で(笑)。ロケ地の候補は他にもあったのですが、地域の方々と密接に映画が撮れるということで秋田に決まりました。
――風力発電の風車群が、物語の象徴的な存在として描かれています。監督の実体験がもととなっているそうですね。
4年前ぐらいのお正月だったと思います。生きづらさを感じている時に、妻の実家に帰郷したことがありました。
そこで風車を目の当たりにして、眺めていると2011年以降の日本も含めて、いろいろなことを象徴しているように感じたんです。
●山田孝之プロデューサーは「宇宙人」
――確かに、日常ではあまり目にすることがないものですよね。話せる範囲で構わないのですが、「生きづらさ」という閉塞感につながる出来事があったんですか?
若手で映画監督になるという道筋が見えてなかったんです。26歳の時、伊坂幸太郎さん原作の『オー!ファーザー』で商業映画デビューしました。僕にとっては人生の転機となった作品です。現場では一番年下。役者さんたちにもすごく助けていただいたのですが、自分の実力不足というか、それまで培ってきたことが役に立たなくて、とても悔しい思いをしました。しばらくは商業映画から距離をとって、もう一度インディーズから勉強しなおそう。
「生きづらさ」を感じたのは、ちょうどその頃でした。
――阿部進之介さんとの出会いも、監督にとっては大きな転機となりました。どのような方ですか?
すごく真面目な人です(笑)。クランクインするまで何度もぶつかりましたが、不器用な一面も魅力というか。何事も一生懸命考えてくださるし、人間的にすごく真っ直ぐ。阿部さんが5つぐらい年上なので、最初は気を使っていましたが、距離が縮まると兄弟喧嘩みたいになることもあって(笑)。これまでもご一緒することはありましたが、「主演と監督」という立場でここまで本音をさらけ出したのは今回が初めてでした。役者としては、感覚に頼らないというか。
しっかりと相手の言葉を聞く方なので、お芝居がすごく繊細で嘘をつかない。そういう部分もご一緒して楽しかったです。
○■「すばらしいプロデューサーもっと増えれば…」
――山田孝之さんとの面識はあったんですか?
全くありませんでした。最初、阿部さんから「山田孝之って知ってる?」と聞かれて、知らないわけないと(笑)。「映画を一緒にやりたいみたいなんだけど、呼んでいい?」と。役者で出たいということか? それってすごくラッキーパンチじゃん! と期待してしまったのですが(笑)、プロデュースとして加わっていただいて、すごくありがたかったです。ご一緒させていただいて、めちゃくちゃ勉強になりました。
――どんな方なんですか?
宇宙人です(笑)。
――宇宙人!?
背負っているリュックが重いというか。常にいろいろなことを考えてくださっていました。山田さんがいなかったら、この映画は完成しなかったと思います。プロデューサーに徹していただきましたが、役者の演技を見て「芝居してえ!」と震えていらっしゃるのが印象的でした(笑)。かといって演出について口を出すこともなく、現場でずっと温かく見守ってくださいました。日本にこんなすばらしいプロデューサーがもっと増えればいいなと思います(笑)。
――なるほど。詳しく聞きたくなります(笑)。
監督がいれば映画を作ることはできますが、プロデューサーがいないと、映画を世の中に伝えることはできません。僕の中ではプロデューサーはパートナーです。映画を世の中にどのように届けるのか。それはもちろん一緒に考えるのですが、プロデューサーによるところが大きいと思います。
――山田さんはプロデューサー、そしてパートナーとして、具体的にどのような点がすばらしかったんですか?
段取りにこだわらないというか、型にはめて物事を進めようとしないんです。どれだけ忙しくても会議に参加して、段取りっぽく進むと「何でそうなったんでしたっけ?」と立ち止って、「素人だからわからないんですけど、ちょっとおかしくないですか?」と意見を言う。ルーティーンがない分、常に新鮮な視点で作品と向き合われていたように思います。
●山田孝之が撮影セット内で泣いたワケ
――何よりも特殊というか、山田さんしかできなかったと思いますが、脚本開発で主人公以外を演じながらセリフを決めていったこと。そこも映像で見てみたいです(笑)。
本当にゾッとしますよ(笑)。すごい空間でした。そのやり方は山田さんのアイデアで、「自分が全部芝居をしてみて判断したい」と。山田さんが演じはじめると、ドキドキするんです。このセリフ、後で相談しようかな……そう思っているような部分で必ず止まるんですよ。そういう部分も見破られていたので、本当にすごい方だと思いました。
ラストシーンを撮影最終日に撮ったんですが、前日の夜11時ぐらいに山田さんと2人でセットに入ったんです。僕が「台本と違う芝居にしたい」と言ったら、山田さんが「一緒に考えよう」と応じてくださって。山田さんがセットに入って座った瞬間に……役の気持ちになって泣いてるんです。カメラも回ってないのに……本当にビックリしました。と同時に、自分の凡庸さが恥ずかしくなって。あらためて、すごい方なんだということが分かりました。山田さんには、「感情移入」という言葉がないんでしょうね。
○■作品のゴールは「あの時代はこうだったんだ」
――これだけの時間をかけて撮り終えて、あらためて「オリジナル映画」に対する印象、思いに変化はありますか?
『オー! ファーザー』以外、すべてオリジナル作品なんですが、いつも通りの大変さでした。漫画を題材にすることは時に必要ではあると思いますが、「今の時代に自分たちが作る意味」をきちんと考えて、世の中に出したいなと。漫画や小説は、その時期に必要だったから世に出たと思うんです。その点、オリジナルはすごく鮮度が高い。「今の時代に残したいもの」を表現することが可能なんです。
僕は、「今の社会における人間」を撮りたい。30年後に観た時に、「あの時代はこうだったんだ」と伝わる作品。『デイアンドナイト』は、実在するニュースも参考にしています。時代が変わっても色あせない作品を撮り続けたいと思いながら……困ったことに、最近は何も思い浮かばないんですよね(笑)。
――それは大変ですね(笑)。『デイアンドナイト』でやりきったと。
そうですね。『デイアンドナイト』と『青の帰り道』で、自分の中の膿みたいなものが出てしまって。そこをどう蓄積していくのか。今後の課題だと思います。
――作品のメインテーマである「善と悪」や「二面性」。2019年になぜそれを人々に届けたいと思ったんですか?
たぶん、日常的に感じていたんだと思います。2011年以降、「自分たちがどう生きるか」ということに対して、僕と近い世代の20~30代は「言葉を失う」「黙る」ということを選んだ世代だとすごく感じるんですよね。事なかれ主義というか。無関心でいることの正しさみたいなものが世の中に蔓延しているからこそ、翻弄される明石を描きたかった。それに対して、今の時代の人がどのような反応を示すのか。決して、強烈なエンターテインメントを撮りたかったわけじゃないんです。
――さて、そろそろお時間です。苦労の末に完成した『デイアンドナイト』。この作品が教えてくれたことは何ですか?
1から100まですべてやりきった映画は、今回が初めてだったと思います。長い旅をしていただけのような気もしますが、これがはじまりという印象もあって。善と悪はどこからやってくるのか。善と悪はどこにあるわけでもなくて。果たして自分は、身近にいる人のことだけでもきちんと見ているのか。映画を撮っていて自分が実感したことです。
■プロフィール
藤井道人
東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。大学在学中より、数本の長編映画の助監督を経てフリーランスディレクターとして活動開始。現在は映画監督、脚本家をはじめ、様々な映像作品を手がける。主な監督作は『オー!ファーザー』(14)、『幻肢』(14)、『7s/セブンス』(15)、『TANIZAKI TRIBUTE「悪魔」』(18)、『青の帰り道』(18)など。2019年には『新聞記者』が公開される予定となっている。