「お金」に興味を持つという事 - セゾン投信・中野社長の半生記 (5) 新たな挑戦へ - 「投資信託」で個人のお金を預かり、長期投資を実現する!
それは年金のような本来長い時間軸で財産形成を図っていくべき機関投資家の資金も含めて、確かに求められる運用成果は短期指向に偏ってしまっていることは事実です。
それでも1990年代半ばまでは、少なくとも日本の機関投資家運用の資金は時間軸に寛容でした。
それは企業の会計処理が取得原価主義だったからでしょう。
つまりその時々の価格の変化に関わらず、企業のバランスシートは投資実行時の値段をそのまま売却時まで反映することができたのです。
ですから運用側も日々の時価の上下に神経質にならずに、大らかに投資シナリオを構築することができました。
債券の場合はとりわけ満期までの残存期間が価格動向に与える影響は甚大で、長い時間をかけて有利なリターンを得ていくことがポートフォリオ運用の極めて合理的な行動規範でしたから、自ずと長期運用を前提とした投資判断が有益でした。
すると前述のように、先を見て先手を打つ運用手法、平たく言えば逆張りで行動することが普通にできたのです。
投資対象の価格が安い時あるいは下がっている時でもじわりじわりと仕込んでいける、まさに長期投資の王道的行動規範でありましょう。
ところが1990年代後半になると、日本経済のバブル崩壊が本格的に顕在化し始めます。
日銀が三業種規制を強行した結果、不動産価格は暴落を続け、あまたの新興不動産業者がバタバタと倒産し、そこに巨額の融資をしていた銀行の貸出債権がどんどん不良化して行ったのです。
20世紀の高度成長時代には、不動産価格も経済とともに成長し続けました。
そのため日本には不動産は下がらない! という土地神話が根付いたのです。
その構造に馴れ親しんできた日本の銀行は、融資と言えば不動産担保さえとっていれば安心と、新興不動産業者にも莫大な不動産担保貸付金を積み上げてしまいました。
ところがバブル崩壊で貸出先の不動産会社が破綻すると、安心と思っていた担保も価格が激減していましたから、名だたる大手銀行からすべからく銀行業界全体に不良債権が山のように積み上がってしまったのです。
以前は軒並みトリプルAという最上級格付けを有して産業界に君臨していた日本の大手銀行は、今度は一斉に格付けを引き下げられ、世界の金融市場から邦銀のバランスシートは信用できないということになって、ジャパンプレミアムなる高い調達金利を世界の金融市場から要求されるようになってしまいました。
邦銀の財務情報がなぜ信用できないのか? それが取得原価主義会計であり、そのために不動産融資の不良債権損失を隠しておけたわけです。
海外からは日本の銀行は危ないと言われ続ける一方で、銀行自身は健全ですと言い続けていましたから、ついに政府は銀行への公的資金注入を法制化し、合わせて含み損があきらかになるように時価主義会計の導入を図ったのでした。
会計制度が原価主義から時価主義に変わるということで、日本企業の経営スタイルも抜本的な変革を迫られました。
決算ごとに企業は保有資産をその時の時価で評価替えしなければならなくなったわけで、日本的経営の特長であった内部留保型経営も、日本特有の慣習だった株式持合いの構造も瓦解が始まります。
もちろん運用資産についても同様、決算ごとに株式や債券も評価替えして損益に反映させなければならないということになりました。
財テク華やかなりしファイナンスカンパニーは次々と消え失せ、私のいた運用部隊は投資顧問会社に分離されて運用を続けていましたが、企業は運用資産の圧縮へと一斉に動き出すとともに、決算期ごとに一定の利益実現を厳格に求めるようになりました。
つまり、これまでの、10年かけてリターンを積み上げればいいという悠長なカルチャーはなくなり、機関投資家の資金では長期的運用を行うことが困難になったのです。
決算期ごとに結果を求められる運用は、まったく違う投資行動を強いられます。
価格が上がっていればそそくさと利益確定しなければならず、価格が下がってしまえばやがて戻ると確信していようと早々ロスカットしなければならないわけで、これはまさに相場に翻弄される短期投資そのもの。
もはや5年後10年後を語ることは無意味になったのでした。
機関投資家の資金では自ら培ってきた長期投資ができない。
ならば長期投資を可能としてくれる資金は? と思案したところ、個人のお金には決算がない、無論時価会計もない。
そうして「投資信託」という発想にたどり着いたのです。
そうだ、「投資信託」で個人のお金を預かって長期投資を実現させよう!実はそれまでほとんど関心を持ったことのなかった業界だったのですが、この時から私の「投資信託」へのアプローチが始まりました。
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