奥様はコマガール (37) 休日の敵は奥様の一時停止
出発地点は東京メトロ(地下鉄)丸ノ内線の四谷三丁目駅。
そこから新宿三丁目の駅は丸ノ内線でたった2駅なのだが、その距離がその日の僕にはやたらと遠かったのだ。
これはどういうことかというと、理由自体は簡単な話で、四谷三丁目から丸ノ内線に乗ったのはいいものの、車内で考えごとに没頭してしまい、気づいたら新宿三丁目を通り過ぎてしまっていたということだ。
こういうケースは、僕以外にも多くの人が一度ぐらいは経験しているのではないか。
無意識の通過は、特に珍しいことではないだろう。
しかし、これが4回も続いたものだから、さすがに情けなくなってしまった。
新宿三丁目を2駅も通り過ぎたところで降車した僕は、反対方面の電車に乗り換え、再び新宿三丁目を目指したのだが、そこでも車内で考えごとをしてしまい、気づいたら出発地点の四谷三丁目に逆戻り。
かくして、またも反対方面の電車に乗り換えるはめになり……。
これを4回も繰り返して、ようやく新宿三丁目に辿り着けたときは、感慨もひとしおだった。
やれやれ、たった2駅の移動に1時間もかかってしまった。
不測の長旅である。
それもこれも、僕の没頭癖が悪いのだ。
それが考えごとであろうが、読書であろうが、何かにいったん没頭してしまうと、視野が一気に狭窄してしまう。
小学生のころ、近所の子供会行事で山にキャンプに行ったときも、みんなで集団移動中に赤トンボを見つけてしまい、それを追いかけるうちに集団からはぐれ、山奥で迷子になってしまった。
本を読みながら街を歩いていて、壁に正面衝突したことも数知れず。
僕の人生の中で、没頭のしすぎによって生まれた失敗は、それによる成功の数をはるかに凌ぐのだ。
妻のチーも、これと似たようなところがある。
ただし彼女の場合、没頭癖による失敗というより、無我の境地による失敗というほうが正しいと思う。
僕が見る限り、チーは「何も考えないこと」に没頭するというか、要するに日常生活の中でなんとなくボケーッとしていることが多く、それによって数々の失敗を生んできたわけだ。
たとえば、ある休日のチーはこうだった。その日は天気が良く、絶好の洗濯日和であったため、チーは昼食を済ませると、溜まっていた洗濯物を片付ける計画を企てていた。
昼食と食器の洗い物がすべて終わったのが、午後1時。
洗濯に費やす時間は充分ある。
時間に余裕があるからか、チーはすぐに洗濯物にとりかからなかった。
愛犬のポンポン丸を抱きながら、リビングのソファーで食後のリラックスタイムをしばし満喫する。
その後、良きところで重い腰を上げ、いざ洗濯に移るつもりなのだろう。
ところが、である。
驚くなかれ、チーはその状態のまま、気づけば2時間も過ごしたのだ(マジです)。
「あー、やばい、もうこんな時間っ。
洗濯しなきゃ! 」時刻はすでに午後3時過ぎ。
冬場は日没が早いため、あっというまに時間の余裕がなくなった。
今から洗濯機を回すと、脱水が終わったころには4時を過ぎてしまうはずだ。
「なんで2時間も無駄にしたの? 」。
僕が訊ねると、チーは自分でも不思議そうに首をひねった。
「さあ、わかんない。
ボケーッとしてたら、いつのまにか2時間たってたの」。
なんでも、本当に無我の境地だったらしい。
最初はポンポンを愛でることに夢中だったのだが、途中から意識がプツンと切れ、その後の詳細な記憶はあまりないという。
だからといって、別に寝ていたという意識もなく、まさに光陰矢のごとし、というわけだ。
これだけならまだしも、その後も再び同じことが起こったのだから、開いた口が塞がらない。
午後4時過ぎに洗濯が完了し、さあこれから干すという段階になって、チーにまたもや例の無我の境地が発症。
リビングでコーヒーを飲みながら、なんとなくボケーッとしているうちに、あっというまに1時間が経過してしまったのだ。
「あ、やばい、もうこんな時間っ。
干さなきゃ! 」。
さっきと同じような言葉で慌てるチーだったが、時すでに遅しとはこのことだ。
時刻はすでに午後5時を過ぎており、冬場の日没は容赦なく、外の景色を暗くしていた。
絶好の洗濯日和はどこへやら。
チーの休日まとめて洗濯物計画は、あわれタイムアップと相成ったわけだ。
うーん、実にもったいない休日の使い方である。
また、こういった現象は食事中にもしばしば起こる。先日の食事中がそうだった。
「いただきます」と食べ始めてから10分後、チーはどういうわけか急に茶碗と箸を持ちながら手も口をまったく動かさくなり、ピタッと一時停止。
不審に思った僕が「どうした? 」と訊ねると、チーは途端に我に返り、「あ、ボーっとしてた! 」と口走ったのだ。
いやはや、これには呆れてしまった。
そりゃあ、食事にかかる時間がおそろしく長くなるわけだ。
動きの遅さが原因なのではなく、途中で何度も挟む一時停止が原因なのだ。
まったく無我の境地とは、ほとほと厄介だ。
本人にボーッとしている意識もないわけだから、僕の没頭癖よりもはるかに始末が悪い。
今後の対策に悩む今日この頃である。
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