ちょっとシュールに「猫街鉄道放浪記」 (57) 引退直前の急行「きたぐに」に乗る
2008年5月に、金沢駅から乗ったことはあるのだが、これは自由席。
これじゃあ本当の「きたぐに」を体験したことにならないと思って、いてもたってもいられず、東京駅のみどりの窓口に駆け込んだ。
なぜインターネットでぷちってしないかというと、北斗星もカシオペアも含め、寝台列車はインターネットで切符が買えない。
自動券売機でも買えない。
旅行会社かみどりの窓口で買うしかないんだ。
でも、この日持ち合わせが少なくて、とりあえず買ったのは翌日の寝台券と急行券のみ。
これが後で大変なことになる。
で、「きたぐに」に乗ろうとしたのは、1月の金曜日。
東京駅発20時過ぎの新幹線で新潟に行けばよい。
長岡駅で乗り継ぐこともできるのだが、やっぱり始発駅で乗りたいもんです。
そこで、金曜日行きましたよ、東京駅丸の内側のみどりの窓口。
30分前に。
ところがだ。
みどりの窓口はビジネスマンで長蛇の列。
土日は家族の元に戻るビジネス戦士たちが、並んでいた。
並んでみたがなかなか列は進まない! このままだと乗り遅れる! と、八重洲側にひた走り、JR系の旅行会社の窓口で乗車券をゲットする。
東京~長岡~大阪の乗車券と、長岡~新潟間の往復乗車券。
さて、東京駅から乗ったのは、「とき347号」。
東京駅を20時12分に出て、新潟には22時6分に着く。
20時24分発の「Maxとき349号」という手もあるが、22時44分着なので、「きたぐに」入線時刻には間に合わない。
じつは、2週間前に寝台特急「日本海」A寝台に乗った私。
なので、寝台の真ん中を通路が突っ切るのにはデジャブな光景だ。
とはいえ、国内の3段式に乗るのは子供のとき以来。
でぶった体をなんとかはしごを使ってよじ登りましたわ、上段に。
もう、狭い、頭がつかえる。
まるでうなぎの寝床である。
昭和のビジネス戦士たちは、こんな狭い寝台列車に乗っていたのかと思うと頭が下がる。
そう思うと、同じ上段でも「日本海」のブルマン式はまだゆとりがある。
ベットの幅も広いし、高さもある。それに「日本海」A寝台には外が見えるちっちゃな窓がある。
「きたぐに」にはないぞ。
感覚値でいうと、「日本海」のA寝台上段は、座りながらビールをぐびぐび飲めたが、「きたぐに」の3段B寝台は飲めない。
頭がつかえる。
で、横たわりながらビールを胃に流し込むのである。
そんなことをしているうちに、「きたぐに」は23時すぎ、新潟駅を発車していくのであった。
ところで、寝台の上段に寝ると、もう降りたくなくなる。
はしごを降りるのが面倒くさくなるからだ。
同じはしごといっても、「あけぼの」や「北斗星」などの開放式B寝台はラクチン。
通路側ではなく、反対外にあるはしごに足をかければ簡単に降りられるからだ。
「日本海」のブルマン式2段寝台は、上段から降りるのにちょっと苦労はするが、さすがA寝台。
上段で体を180度回し、お尻を向けてはしごを降りていけば、簡単である。
ところがだ。
「きたぐに」の3段式B寝台では、あまりにも上段の高さがないので、寝台上で体を回転することができないのだ。
そこで、しょうがないので、寝る・寝る・寝る。
ラジオをつければ、コミュニティー放送の番組が聞こえる。
ゆるゆるな、たむらぱんの番組だ。
車両の中をぱしゃぱしゃと撮っていた人々も、自分のベットに戻っていた。
電車内は夜の帳が下りていく。
いつしか眠りに落ちていったようだ。
目が覚めたのは、6時すぎ。
京都駅にさしかかる頃。
大阪駅には定刻通り6時49分に着いた。
が、ゆるゆるとはしごを降りて別な降り口を探そうとしたのがいけないのか、いきなり電気が切られ電車の中は暗闇のなか。
邪険にされた「きたぐに」がかわいそうになりながら、降り口に急ぐ私であった。
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