昭和の残像 鉄道懐古写真 (50) 身延線「見たら忘れられない」旧型国電たち - 115系そっくり電車も
身延線は、東海道本線富士駅から富士山の西側を流れる富士川に沿って北上し、中央本線甲府駅を結ぶ約88㎞の路線で、いまから31年前、1981年8月まで戦前形旧型国電が走っていました。
関東・関西で活躍した後、身延線へ転属し改造された、ひと癖もふた癖もある”古豪”たち。
一度見たら忘れられない、特徴ある車両ばかりでした。
その最大の特徴が、電動車のパンタグラフ部分が低い「低屋根車」です。
身延線では、私鉄時代に建設された小断面のトンネルを拡張しないまま電化しました。
そのため、パンタグラフ折りたたみ時に架線と一定の距離が保てず、電動車の屋根の一部分をざっくりと切り取り、その部分を低くすることでクリアしたのです。
究極の低屋根車、クモハユニ44800番台も活躍していました。
クモハユニ44は1935(昭和10)年に横須賀線用に製造されたもので、ひとつの車両に客室・郵便室・荷物室がある合造車でした。
身延線へ転属した際、パンタグラフ部分のみでなく、屋根全体を250㎜低くした「全低屋根車」となり、その異様な姿は強烈な印象を残しました。
身延線への転属が遅かったクモハユニ44803は、パンタグラフを後部に移設し、その部分のみ低屋根化したので、原型に近いスタイルを残していました。
さらに、115系そっくりの電車も走っていました。
戦後製の72系を種車にした改造車で、足回りをそのまま使用し、115系300番台のような新性能近郊形ボディーを新製して乗せ換えたのが、クハ66とモハ62です。
種車の台枠側面が垂直だったので、115系のように車体の裾を絞ることができず、その部分のみ垂直となっていました。
1981年8月、戦前形旧型国電はワインレッドの115系に置き換えられましたが、このクハ66とモハ62はそのまま使用され、1984年1月に引退となりました。
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