岩本沙弓の”裏読み”世界診断 (11) 製造業を見捨ててまで、インフレ対応を重視 - ”人民元”変動幅拡大の舞台裏
改革開放(1978年からの経済立て直しのための中国国内の体制改革、対外開放政策)以来、中国はこれまで2回の大きなインフレに直面してきました。
1回目のインフレは1988年に発生しています。
鄧小平氏による価格改革を起因とするインフレは国民生活を圧迫することとなりました。
共産党に対する国民の不満は、1989年の天安門事件でピークを迎え、改革開放も一時中断となりました。
2回目のインフレは1994年のことです。
その背景には1ドル=5元台だった人民元を一気に8元台まで切り下げたことがあげられます。
通貨安は輸出には都合がいいですが、第9回でふれたように、輸入品価格を上昇させ、インフレをもたらすことにもつながります。
当時、米クリントン政権は中国との関係を重視していました。
米ドル高・人民元安となれば、米国はより安く中国の労働力を利用することができます。
そして中国は輸出で儲けることができます。
ここで二国の利害が一致したわけです。
ちなみに、1994年から1995年にかけてというのは、ドル/円レートが当時の史上最高値である1ドル=79円台まで円高が急激に進んだステージです。