奥様はコマガール (46) 夫婦ドライブと目的地選びの難しさ
家族といっても、我が家にはまだ子供がいないため、メンバーは僕と妻のチー、そして愛犬のポンポン丸くんだ。
お出かけの目的はドライブである。
我が家はマイカーを所有しておらず、これまで車でどこかに出かけることは皆無に等しかった。
だからチーは、かねてから「たまにはレンタカーでドライブしたい」と切に希望していたのだ。
そんなリクエストに応えるべく、その日の僕はレンタカードライブを決行した。
午前中に近所のレンタカーショップで車を借りて、いざ出発。
チーとポンポンはよっぽどドライブが楽しみだったのか、朝からやけにハイテンションだった。
ところが発進させてまもなく、ある計算違いが発覚した。
チーはドライブ用のCDを大量に持ち込んでいたのだが、借りた車にはCD機器が装備されていなかったのだ。
もっとも、これは僕にとってはほんの些細なことで、CDが聴けないならラジオを聴けばいいじゃないかと思うのだが、チーにはかなり堪えたようだ。
せっかくCDをたくさん用意したのにすべて無駄になったという徒労感が、彼女の繊細な神経にずっしりのしかかったのか、チーはたちまち頬を膨らませ、みるみる不機嫌そうな表情になっていった。
僕はチーの機嫌を回復させようと、慌ててFMのスイッチを押した。
しかし、どの局からもチーが好きそうな音楽は流れてこない。
それどころか、最近のFMはやけにトークの時間が長く、音楽目的で聴くこと自体が適していないのかもしれない。
かくして僕らのドライブのBGMは、見知らぬ男性DJの妙な人生相談コーナーとなったわけだ。
その後、チーはますますおとなしくなった。
あれだけドライブがしたいと強く希望していたわりに、いざ実現しても嬉しそうな表情を見せない。
僕としては、そんなチーの反応が気になって仕方なかった。
たかだかCDぐらいで、そこまで落ち込むものなのか。
それからしばらくして、ようやくチーの不機嫌の原因がわかった。
さすがにCDの件だけではなく、それとは別の生理的な原因もあって気持ちが沈んでいたようだ。
要するに、お腹が減っていたのである。
これも一見些細なことだと笑われるかもしれないが、チーにとっては重大なことらしく、彼女はどういうわけか昔から腹が減ったり喉が渇いたりすると、極端に機嫌が悪くなってしまう。
要するに子供なのだ。
案の定、ほどなくして食べ物と飲み物を与えると、チーは一気にご機嫌になった。
BGMがわりのFM番組からは相変わらず音楽が一切流れてこず、なぜかオカルトチックなテーマで謎のDJたちがトークを展開していたが、チーは空腹が満たされたことで心が寛容になったのだろう。
いつのまにかBGMについて不満を漏らさなくなり、ようやく休日のドライブらしい楽しい空気が漂い始めた。
よし、ここからが本番だ。
僕はアクセルを強く踏み、車を快調に走らせた。
前もって目的地を決めていたわけではないので、そのときの思いつきで富士五湖のあたり、中でも河口湖を目指す。
今日は天気がいいから富士山が綺麗だろう。
緑豊かな大自然に囲まれながら、河口湖でボートに乗る。
静かにたゆたう水面と絶景の富士山が、忙しない都会で働く僕らの心身を癒してくれるはずだ。
それが、このとき咄嗟に描いた青写真だった。
東京の首都高速から中央道に入り、車は一路河口湖へ。
1時間も走ると都会の喧騒は背後に消え、前方に美しい山々が広がってきた。
遠くに富士山も見える。
これだこれ、やっぱりドライブはこうでなくっちゃ。
待望の絶景に、僕の胸はみるみる高鳴った。
ところが一方のチーは、またもおとなしくなっていた。
都会の景色から田舎の景色に移り変わっていくにつれ、どういうわけかテンションが下がっていく。
おかしい、チーはこの絶景を見てなんとも思わないのか。
僕はめちゃくちゃ楽しい気分だぞ。
すると、ほどなくして原因が解明された。
チーは生まれついての田舎育ちのため、こういう景色には逆に慣れており、心がまったく躍らないのだ。
高校卒業まで大阪で育ち、以降も東京で15年以上生活している僕とは日常の心象風景が大きく違う。
アスファルトの道路や高層ビル、街にひしめく人混みばかりを見て育った僕と、美しい山々や湖、牧歌的な田園風景ばかり見て育ったチー。
田舎の景色に新鮮さを覚えるのは、当然僕のほうだ。
しかもチーは田舎の退屈さに辟易して、東京に出てきた女性である。
そう考えると、富士五湖の周辺はチーにとって退屈だった時代を思い出させる、言わばマイナス要因にもなりえる。
少なくとも癒されることはないだろう。
僕の独善的な勘違いだったのだ。
それは河口湖畔に到着してからもしかりだった。
昔からなぜか水辺が好きな僕は、ポンポンを連れて大はしゃぎするのだが、チーのテンションは依然として低いままだ。
「見て見て、いい景色だよ! 」。
僕がそう促しても、チーは「普通じゃない? 」と一蹴する。
なんでも子供のころから自然に慣れ親しんできたため、多少の絶景では驚かないらしい。
こうして僕らは、微妙な消化不良を感じながら河口湖をあとにした。
もしかしたらチーとのドライブは東京都内で良かったのかもしれない。
それを証拠に、夜に東京に戻って以降のチーは、渋谷や六本木を車で走りたいと一転して目を輝かせたのだ。
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